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東北大学職員組合退職者の会婦人部主催「平和の旅」第2弾
2000. 11/19〜11/24

「ベトナム平和の旅」感想文集

  「観光コースでないベトナム」へ、一行18名で行ってきました。アジアの歴史と民族、そして私たち自身を知る旅として、昨年に続いて2回目の海外企画となりました。12/17には「写真交換会」と銘打って感想を語り合い交流し、感想文集を出すことにしました。以下に添乗員のMさんの日誌をもとに旅全体のスケッチを紹介し、参加者の感想文を掲載します。



旅程から

-Mさん(添乗員)の旅日誌をもとに-

第1日 11/19(日)仙台発ソウル乗換でホーチミンへ

<以下ベトナム時間にて>

第2日 11/20(月) 終日ホーチミンとその近郊の見学

第3日 11/21(火) ホーチミンからフエへ

第4日 11/22(水) 古都フエから首都ハノイへ

第5日 11/23(木) ハノイ滞在〜帰国の途へ

<ここから日本=ソウル時間>


感想文集

“ベトナムを旅して”

O・Tさん

 ホーチミン空港に到着、いよいよベトナムと思いながら飛行機の出口に向かって進んで目に入ったのは、ベトナム人(言葉で)が使っていた座席周辺がものすごくだらしなく、思わず足も目も釘付けになった。降り立った深夜の空港は、高温多湿で「ベトナムにまた来ることはあるまい」とひそかに思ったのだった。がフエ、ハノイを訪れるなかで変化した。クチのトンネル、戦争証跡博物館は、私たちの当時の闘いを引き寄せてくれた。いま私は、アメリカのベトナム侵略戦争を象徴する虐殺事件のあったソンミ村、日本占領時代、農民から米を収奪し、1944年から45年にかけての飢饉で200万人が死んだというクアンチ省など訪ねたいと思っている。
 1975年4月30日、大統領官邸に解放軍が堂々と入城する模様を伝えるテレビの画面、今は統一会堂と呼ばれるその場に立ち、深い感動に包まれた。
 ハノイ女性同盟との交流では、日本語ガイドの通訳に不満が残ったが、侵略戦争に反対して戦った両国の女性の熱い思いは通じ合ったと思う。ベトナム人はたくましい。知恵者である。
 “独立と自由ほど尊いものはない”(ホーチミン)は、いま私たちの課題である。


あらためて考えさせられた....豊かさとは何か

K・Yさん

 南ベトナム解放から25年。20世紀最大の悲劇のひとつと言われる程の傷を受けたベトナム。しかし、ドイモイ政策のもとに復興はめざましく、ホーチミン、ハノイを主として、近代的な建物が建ちならび活気あふれる都市に変貌していたが、やはり貧しさはいたる所に目についた。あたかも昭和30年代の日本を想わせた。人々の表情は明るさとしたたかさとを合わせもっているかのようだ。都市でも農村でも家の前に数人がたむろし、食事をにぎやかにしたり、のんびりやすんだりしている光景がいたる所で目につく。この国では孤独な人はいないのではないかとさえ思った。あらためて豊かさとは何かを考えさせられた。フエを中心とする王朝時代の遺跡は見応えがあったが保存状態が悪く心配される。10年後はもっともっと目を見張る変貌が予想される。是非、又、訪れてみたい。


第2回平和の旅ベトナムに参加して

K・Iさん

 深夜に降り立ったホーチミン市のタンソンニャット空港。一歩外に出たら30度の蒸し暑さと国際空港と呼ぶには余りにも汚いのでちょっとびっくりしました。
 クチのトンネル見学に向かう道路の車窓から見るホーチミン市の町並みは道端に台を置きその上に商品を並べたり、また食べる物があって皆が食べていたり雑然とした雰囲気の中にぶらぶらと何もしないでいる人もいてベトナムの人は怠け者なのかなあと最初は思いました。ガイドのヒュウさんの説明によればベトナムは暑いので、朝早く4時頃に仕事に出かけお昼には帰って食事をし、午後は休むのだとか。それぞれの国の事情があるものだと納得した次第。
 トンネルの体験は強烈な印象をうけ、何故近代兵器を備えたアメリカ軍が負けたのか解った様な気がしました。戦争証跡記念館の枯れ葉剤による被害の標本は見るに忍びず、今だにその影響が続いていることに罪の深さを感じざるを得ませんでした。
 フエの都はさすがにしっとりと雨に煙って古都と呼ぶにふさわしいたたずまいでした。宮廷料理も満足のいくものでした。
 ハノイはまた政治の中心の都市という感じで、同じベトナム人なのにホーチミンとは違った気がしました。最初のスケジュールの予定変更によってバチャン焼の窯元を訪ねることができ、余りの安さに本当にこれでよいのかと一瞬思ってしまった。
 ソウルでののりかえなどで少しくたびれたけれど素晴らしい旅でした。


はじめての旅─ベトナム

K・Kさん

 ひとっ飛びに暑い国に到着し、真夜中だったのに30℃を越える気温に先行き難儀かなと聊かおじけずいたのでしたが、冷房のきいたバスで巡るコースは申し訳ない位快適な旅でした。
 ホーチミン─フエ─ハノイと南北を縦断した5日間は、ベトナムの今と昔を一部分だけでも視ることができたのでしょうか。
 緑豊かな街路樹、アオザイの美しい女性、市場には溢れんばかりの品物の山、道端で商うフランスパンやフォーの店、木陰の椅子、農家の庭先に拡げられたライスペーパー、たっぷり水をたたえて流れるサイゴン川、平和だからこそ美しい光景は忘れられることができません。観光バスにかけ寄る物売りの人や靴磨きの少年たちも一生懸命働いて、どんなねぐらに帰ってゆくのか気になったり、“いつかまた行ってみたい”という思いを強くした旅でした。
French bread
山積みにされたバゲット(フランスパン).ベトナムはかつてフランスの植民地でした...写真をクリックすると大きくなります



始めてのベトナム旅行

K・Sさん

 今回のベトナム旅行は、私にとっては始めてのことばかりで、本当にいろんなことを考えさせられた楽しい旅でした。
 クチの地下基地や戦争証跡博物館や歴史博物館など、他のツアーでは見学することができない様な、それでいて私が一番見て歩きたかった様な所へ行くことができたことが、一番嬉しく思ったことです。
 また、ハノイで、ベトナム女性同盟の方と懇談できたことも、とても勉強になりました。私が生まれる前から長く続いていたベトナム戦争のこと、その時、ベトナムの母と子を救おうと運動していた人達が、こんなに近くにいたことに驚くと共に、一緒に旅行ができて本当に良かったと思いました。
 見学したところ以外にも、バスの中から見た景色は、私にとっては全てがカルチャーショックでした。原付バイクの様なものに三人も四人も乗った人達でいっぱいの道路。日本に比べれば、すぐにこわれてしまいそうなほど小さい商店が並び、すごいほこりの中むき出しのまま売られている食べ物。何に使うのか分からない道具が売られているお店。ベトナムの人達の生活習慣にも驚かされました。
 ベトナムでいろんなものをみたりきいたりして、自分なりにいろんなことを考えた私は、自分が今まで、世の中を世界的な視野で見ることができていなかったことに気づきました。それが、今回の旅で得たもので一番大きいものだと思います。
 旅から帰ってきて、保育園の子ども達に会った時、初めて、この一週間で、すごいはやさで成長する子どもたちよりも自分の成長が大きかったと感じたのでした。これもまた、私にとっては初めての体験となりました。


活気あふれるベトナム

K・Kさん

 南北に長いベトナムを、実質4日で駆け抜けた旅。まずは、私より年長の方々が多かったのですが、全員大きな病気やけがもなく、元気に楽しく旅行できたことに、喜びと驚きを感じた旅でした。私も退職する前後の年齢にさしかかっても、皆さんのようにパワーと好奇心を持ち続けたいと、改めて教えていただいたと思います。
 地図を見ると北のハノイと南のホーチミンでは、青森ー鹿児島ほどの距離もあるのです。当然、同じ国でも気候も違えば、人々の気質も違っていました。でも、ドイモイ政策の成功からでしょう。とても活気があり、人々は生きることに前向きだなと、感心させられました。ベトナム戦争の傷跡もまだまだ残っていましたが、ガイドさんの説明の中に批判めいた言葉が感じられず、歴史の一つのように語られていたように私には思えて、興味深かったです。
 また、古都フエや、毎日の食事などを通してベトナムの文化のレベルの高さや、器用さに感激し、ベトナムに対する認識を新にしました。


まさに百聞は一見にしかず

S・Kさん

 私にとってのベトナムは、ベトナム戦争反対の抗議行動、ベトナム母と子支援募金運動に始まる。今回、ベトナム戦争集結二十五周年記念に、ベトナムを自分の目で見てみたいとツアーに参加した。
 ベトナム戦争の激しい戦場となったクチの町の郊外にある、全長250kmの地下トンネル、その博物館、ホーチミンにある戦争犯罪博物館を見学できたことは、まさに百聞は一見にしかず。壮絶なベトナム戦争で大国アメリカにベトナム人民がなぜ勝利できたかが良くわかった。ハノイで、あの戦争の指導者、ホーチミンの廟、そしてホーチミン博物館見学ができなかったことはかえすがえす残念だった。
 旅行日程が、こんなにも変更したツアーははじめてだったが、予定にない、バッチャンの陶磁器の買物ができたり、タンロン水上人形劇を鑑賞できたことは、うれしかった。
 ツアーに参加した皆様、ありがとう。


今度は、日本の番だ

S・Kさん

 夢にも思わなかった今回の私のベトナムへの旅は、旅行会社のMさんの熱心なパスポート取得の督促と、妻の強い勧誘によって、実現した。こどものころ、私の頭に描くベトナムは、水牛に少年が乗っている図だった。政治的ものごころがついた二十歳ごろは、あのベトナム戦争。「北爆」の記事が載った「赤旗」を興奮して配ったものだ。旅の最初の都市、ホーチミン市(旧サイゴン市)は、道いっぱいに自転車、バイク、人がひしめき、その両側には、帽子、衣類、メガネ、アヒルの丸焼き、フランスパン等々、日常必要なものは何でもあるといった路上売店が並び、建物の建替もあちこちでみられ、復興、創造のエネルギーをすごく感じた。また、白いアオザイを着たバイク乗りの学生さんの姿は、すがすがしく印象的だった。郊外の水田地帯には、アヒルの群れや、水運の舟も見られ、実にのどかなものだ。近くにクチの地下トンネルがあった。私もベトナム支援はした。だが、ベトナム侵略を強行したアメリカ軍が、日本政府の協力のもとに、日本から出撃していった事実は重い。ベトナム婦人同盟ハノイ市委員会の誇り高い、ひたむきな社会活動も、あの戦争がなかったらもっと高い水準に到達していたことだろう。ベトナムは独立した。今度は、日本の番だ。おみやげにペーパーナイフとベトナム将棋を買った。


心に残るクチのベンディントンネル

S・Nさん

 一度は行きたいと思っていたベトナムへ、平和の旅として行くことができ、昨年に続いて気心の知れた人達と楽しい旅をすることができました。
 帰ってきてすぐに、もう一度でも二度でも行きたいと思った国ははじめてです。きっと心残りが多すぎたせいかもしれません。ハノイではホーチミン廟とホーチミン博物館が見学不可で外廻りをながめただけなのが心残りですし、ハノイの町中、湖のほとりなどもゆっくり散策してみたかったという思いがあるからかもしれません。
 印象に残ったのは、やはりクチのベンディントンネルの中を身体をかがめて通り、またその当時の食料の「タロイモ」を試食したこと。戦争証跡博物館では、20代の頃を思い起こしたりしました。ベトナム女性同盟の方々との懇談もとても有意義でした。バッチャン陶芸村も心に残った場所です。ご一緒した皆さん、本当にお世話様でした。


ベトナム「平和の旅」から帰国して

S・Mさん

 ベトナム「平和の旅」から帰国して、中国の映画「南京1937」をみました。日本軍の「人を人と思わぬ」殺戮行為におぞましくて正視できませんでした。
 泣いている幼い子の手に栓をぬいた手りゅう弾を握らせて殺すシーンは、怒りで胸がふるえました。
 昨年「平和の旅」で韓国へ行ったとき見学先の独立記念館で「日本人の人殺し」と馬倒してきた「ハルモニ」の顔がワンシーンのようによみがえりました。
 ベトナムヘ行く前に、南ベトナム解放25年「韓国兵のベトナム住民虐殺」という新聞(赤旗)の見出しに目がくぎづけになりました。侵略されたことはあっても侵略したことの無い韓国が65年から72年にかけて、のべ40万人の軍隊をベトナムへ派遺して、日本軍仕込みの残虐な殺し方をしていることに驚きました。
 くしくもアジアで米軍が駐留しているのは日本と韓国だけです。私たちと入れ違いにクリントン米大統領もベトナムを訪問して謝罪の一言もなく帰りました。
 ベトナムで印象的だったのはホーチミン市の「戦争証跡博物館」で見覚えのあるポスターに出会えたことでした。「日本をベトナム侵略の基地にするな」・「ベトナム人民は必ず勝つ」・「ニクソンの蛮行に大抗議運動を」・「ベトナムの母と子を支援しよう!」等々の民青や新婦人、日本共産党の支援運動のポスターが展示されており、さすが“ベトナム”と感じいりました。
 韓国とベトナムの二つの国を旅してあらためて日本という国について考えさせられました。


私達はもっと危機感をもたなければ

S・Rさん

 韓国平和の旅に続き、ベトナム平和の旅にお誘いいただきありがとうございました。
 ベトナムと言うとベトナム戦争が始めに思い出されます。その当時はTVや映画で見聞きするだけで、ベトナム戦争反対とかの声を出したり、支援活動とかする機会も無かったので現地にいき始めて、日本の人達の活動したポスターなど見、その当時の様子を聞き感動しました。今日本も戦争法が通り宮城県では、毎年のように実弾演習も強化されて行くなか、私達はもっと危機感をもたなければと思いました。
 食事は中国・フランス・ベトナム料理とバラエティに富み、食は文化とはこのことだと思い、写真を撮り「食の旅行だったの?」と言われる程でした。ホーチミンのむし暑さも、フエでの雨もあの町にピッタリだし、ハノイの自転車、バイク、人の生活感も道を渡るタイミングも、バッチャン村での買物交渉もすべて楽しかったです。


すべてに刺激的、面白い旅

T・Tさん

 一言で言えば、すべてに刺激的、面白い旅でした。
(1)戦いのあとがクチをはじめ、しっかりと残されていました。歴史の事実を後世に伝える国の姿勢が明確です。
(2)女性同盟との懇談は、現地のことだけに実感として受けとめることができ、よかったです。それにしても女性は、どうしてあんなにスタイルがいいのでしょう!!
(3)食べ物〜パンがおいしかったですね。フエの宮廷料理、目でみる食文化を堪能しました。フランス料理はさすがでした。
(4)南から北へ、気候も風景もかなりの違いを感じましたが、得体の知れない不思議な活気は共通でした。ドイモイ政策によるくらしの変化がこれからどのようになっていくか、興味をもってみていきたいと思っています。
(5)ハノイとフエ、もう一度、ぜひ、ゆっくりと行ってみたいところです。


“ベトナム平和の旅”に参加して

T・Tさん

 “ベトナム平和の旅”にご一緒させていただきありがとうございました。帰ってきてから手当たり次第報告しています。熱のさめるまでは自分でもしょうがないと思っています。
1、クチのベンズウオックトンネルと旧大統領官邸との差が、余りにも違いが大き過ぎるので驚かされました。ベトナム戦争を象徴しているようです。
 しかし、ベンズウオックトンネルも“見せ物”になっている感じでした。もっと工夫はないものかと思います。
2、フエの王宮跡の見学で、正門(午門)と城壁に弾丸の跡が無数にありました。改めてベトナム戦争を思いました。
3、今回のメインイベント 女性同盟との懇談では、わが団長の挨拶もすばらしかったし、具体的な質問もいろいろ出て大変よい会だったと思います。またグエン・ティ・トゥン女史は、ばりばりの共産党員でした。女史の評価はともかく、ベトナムでも男女差別はあるのかという質問に、否定しなかった点が印象的でした。
4、ガイドのヒュウさんが言っていた米の二毛作は誤りで、二期作です。教えてやるといいと思います。
 以上、感じたことを記しました。“香菜”を除けば、本当に楽しい平和の旅でした。ありがとうございました。


こういう食文化もあるのだ

T・Rさん

 一度は行きたいと思っていたベトナム。退職者の会婦人部のおかげで実現しました。やはり、戦争の影響はもろに受けていて、くらし向きは2・30年遅れていると思いました。衛生面が一番解決を追られている点でしょうか。
 それにしても、ドイモイ政策で外貨を受け入れ、まずホテルを立派なものにしたのには驚きました。段階を経て国民生活を向上させる第一歩というところでしょう。しかし、どこの国に行っても観光客相手の物売りはいるものですが、ベトナムのしつっこさには辟易しましたね。観光を復興の柱にするのであれば改善の余地ありですね。それと、日本語の案内を整備することも課題と思いました。
 ベトナム料理は馴染みが薄く、エスニック調とはいうもののあの香りはちょっと....。帰ってきて調べたら、コリアンダーというハーブで、「日本人には余り好まれない」とありました。石川文洋さんによると「慣れるとたまらない」というのですが。でも世界にはこういう食文化もあるのだ、と納得しました。思いがけずバッチャン村に行けたのも嬉しかった。ハプニング続きの旅行でしたが事故もなく、終わってみれば楽しい思い出です。


ハノイが一番

T・Kさん

 戦後25年ということで、もっと平和な街を想像して出掛けたのですが、いきなりホーチミンの混乱と不安定な状況に驚かされました。復興されたと言えるまでに後何年の歳月がかかるのだろうと絶望的な思いさえ抱きました。
 フエでは、貴重な歴史の遺産の残酷な傷跡を目にし、戦争の狂気と空しさを改めて実感しました。
 最後のハノイまで行って、初めてベトナムまで来て良かったと思いました。人々の表情もずっとおだやかで、人なつっこく街を歩いていても恐さを感じることもありませんでした。復興の様子も目に見えて進んでいるようでした。
 反省としては、おみやげを買うために、少しは予備知識を持って出掛ければ良かったと思いました。
 貴重な経験の機会を作って頂いた退職者の会婦人部に感謝申し上げます。


人々が生き生きしている

T・Rさん

 早いもので旅から戻って3週間になろうとしています。不思議に、名所旧跡などの見学地よりもバスの中で見かけた光景や、ほんの短時間歩いた街中の人々との交流(とは言えない程ささやかな)などが懐かしく思い出されます。総じて発展途上にある今のベトナムの姿を垣間見ることができたことがこの旅で一番意義深い事と思っています。あと数年もしたらハノイもホーチミンも世界中の大都市と同じにビルと車に覆われた人間味の薄い街に変わってしまうのではないかと懸念します。社会主義と経済の発展で歪みのない豊かな生活を人々皆が堪能できる街ができたらと楽しみでもあるのですが。今のハノイやホーチミンではビーチパラソルと小さな椅子と台があればどんな商売でもできると思われ、路上で物売る人達、菅傘を被り天秤棒の両側に山のような荷物を積んで運搬や売り方をしている人々、道幅一杯の二人乗り三人乗りの自転車・バイクの大群、そして夜には縁台を出して家族で食事をしている光景等どれも人々が生き生きしていると感じさせられました。もう一つ付け加えれば今回の平和の旅の目的をベトナム婦人同盟との懇談の席で大松澤さんの挨拶を聞きながら再確認できた事が旅のまとめにもなり良かったです。


旅の印象2〜3....

H・Yさん

 できるだけ早い(若い?)うちにアジアの国々を見て歩きたいという願いがあり、これまでに、韓国、中国への旅を経験しました。ベトナムも同様でいずれの国でも人々の今生きている、生きていかなければというエネルギッシュさをそこかしこでかいま見、圧倒させられてきました。
 今回の旅で印象に残った一部を紹介いたします。
ホーチミンにて
 ベトナム戦争を体験するクチのトンネル。
 ベトナム戦争時アメリカ軍を翻弄した南ベトナム解放戦線(ベトコン)が完成までに20年をかけたというトンネル。トンネル内には作戦本部も置かれていたという。トンネルの入口は草や木で隠されていたうえ、内部は迷路のように入り組み蜂の巣のように広がっていたようだ。また、展示されていたトンネル内の様な仕掛けの種類には驚かされました。私たちのほんの一部分の体験、かがんで進むのが精一杯、蒸し暑く暗い中を進んでいると過酷な当時の状況が少なからず体験できたような気がしました。
 タンロン:ドラゴンフルーツ(ピンクの皮と白い果肉に黒ごまがありあっさりとした甘さでした。)
 初めて目にし食べ、その後のバイキングではずいぶんと堪能させてもらいました。路上で見かけた南国の果物の多さにはびっくり。日本では見かけられない種類のものがたくさんあったのではないでしょうか。
tropical fruits!!
赤い皮と白い果肉に黒い点々がドラゴンフルーツ...写真をクリックすると大きくなります

フエにて
 小雨降る中フエ市内を流れるフォン川を眺め、寺や教会、各皇帝の配色豊かな廟が立ち並び何か深とした静けさが感じられました。そしてユネスコの世界遺産に登録されているグエン朝王宮へ。苔むした、汚れたまま放置されている(?)建物、何かもの悲しさを感じましたが、きらびやかに、人工的なものが加えられるよりもこのままでよいのではないかという思いを持ちました。
 貴族気分にさせられたレストランでのフ工料理、見た目の美しさが特徴らしく、出てくる料理を楽しんでいただきました。(下品にもある料理の赤なんばんらしき物を手にし、その手で無意識に目に触れたところとんでもない事態になりました。ヒリヒリと痛く一瞬目を開けることが出来ませんでした。恥ずかしかった。)
ハノイにて
 ホーチミン初代大統領が安置されているホーチミン廟、整然とよく手入れされている広場にありましたが、見学できず残念でした。また、広大な木々の中にホーチミンさんが住居としていた簡素な2階建ての家、数々の愛用品が残されておりシンプルな生活に人柄が偲ばれました。
 ベトナム女性同盟の方々との懇談会にては、日々の積極的、熱心な活動を聞きまだまだ時間のかかることではあるが、希望を持ち明日のベトナムの発展につながる地道な同盟の活動に力強さ、意志の強さを感じました。


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