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大学審議会「答申」に対する見解

1998年12月9日
東北大学職員組合執行委員会

「中間まとめ」から何が変わったのか?

 10月26日に大学審議会の答申が文部大臣に提出されました。「中間まとめ(6月30日)」と比較すると、まず基本的理念として、大学の役割を「国際競争力強化のための科学技術創造立国のための研究教育」から「知的活動によって社会をリードし社会の発展を支えていく役割」と書き改めています。
 しかし、全体的な方向性および具体的方策は全く変わっておらず、人材養成路線が継承されており、看板を掛け替えただけと言わざるを得ません。「科学技術創造立国」のための大学という志向性は、「効率的な管理」「開かれた大学」「産学協同」「大学院拡充」「多様化=種別化」とともに、財界から1970年代以来、常に示されていたもので、今回の答申からそのスロ−ガンが無くなったからといって、その考え方は消えたとは考えられません。
 また、新たに「高等教育改革を進めるための基盤確立等」という項がつけ加えられ、「公的支出を先進国並みに近づけていくよう最大限の努力が払われる必要がある」と財政強化が謳われました。しかしその用途は、「積極的に改革に取り組んでその成果をあげている大学等を重点的に支援」するとされ、予算誘導が行われる危険を想起させます。教育研究基盤の整備、施設の充実、教職員の増員なくしては大学の発展は考えられず、改革方策の第一番目に据え、確実に実行するべき事項です。他の先進国に比べて明らかに低い公財政支出・高等教育費をまず増加させることが必要です。

学生の主体性重視こそが求められている!

 私達も答申の指摘する通り、大学の大衆化と少子化が進行する状況の中で、大学修了者の高度な課題解決能力や専門的知識習得を目指して学生の成長を図ること、また激動する社会の諸問題に対して柔軟に且つ的確に対応することは重要な大学の課題であると認識しています。
 しかし、「学生の質の向上」「多忙化」「予算不足」といった現在の大学が直面している緊急の問題を、「いかに学生を管理して優秀な人材を作るか」「いかに自治を骨抜きにして専制的な組織にするか」「いかに社会(財界)の要請を直接反映させるか」といった立場で解決しようする答申の方策は、あまりに安直ではないでしょうか。
 大学の大衆化と少子化(加えて中等教育の多様化)が同時に進行し、各大学が入学試験によって学生のレベルを維持することが必然的に困難な状況で、答申は厳格な成績評価を行い、出にくい大学にすることによって優秀な人材を社会に提供する、という方向性を示しています。学生を物のようにふるいにかける考え方であります。このような、学生の主体性を無視する答申の姿勢は、答申の中に学生の視点が全く盛り込まれていないことからも明らかであります。無論、教育の質を高めることは必要です。しかし、上から厳格な評価基準を設けてふるい分けるのでは、多様な学生の成長を図ることはできません。
 教育基本法や学校教育法にあるように、「大学は学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを目的」としています。私達はこの精神に基づき、「真理と平和を希求する人間の育成」と個々人の成長という教育の理念に立って「学生の主体化」「EducationからLearningへ」を求めます。

今こそ大学構成員の「対話」による合意形成を!

 大学は閉塞的と思われており、実際そうであった面は否定できません。しかも近年、大学教官の不祥事が次々と明らかになっています。これらの問題は情報公開と学内チェック機構の強化によって解決すべきでしょうが、そのためにも事務官・技官などの研究教育支援(=分業、協業)体制の拡充は必須です。
 また、教職員の多忙化も深刻な問題です。社会との対話にも積極的に取り組まなくてはなりません。しかしどのような組織運営形態になったとしても学生を含めた「民主的運営」が基本であり、それが教育の原点であるはずです。答申は大学における民主的過程を敵視し、機動性(組織改革、資源配分)向上のために学長のリ−ダ−シップ強化を非常に強く訴えています。「民主的運営」と「機動性確保」「多忙化解消」は二者択一のものなのでしょうか?全学、学部レベルで意思決定、取組が遅れがちであること、あらゆる教職員が多忙であることの主な原因は、他律的改革を強いられ大学が翻弄されていること、益々比重の高くなった非恒常的予算に対応しなければならないことにあると考えられます。「改革」の一環として大学院重点化が行われた大学では、院生学生の置き去りといった問題が顕在化している場合も多くみられます。 今、ここで、これまでの改革路線を総括し、民主的運営を機能させた上で、よりよい大学を自律的に作っていく必要があります。社会も大学も変革が必要な時代ではありますが、だからこそ、自治と議論の縮小ではなく大学構成員の「対話」による合意形成、意思決定が必要であると考えます。

ユネスコの勧告を尊重し文教政策の全面見直しを!

 日本における中長期的課題に関する基本的な考え方、方策については、審議会に諮問し、答申を得て、これに基づいて施策が講じられるというシステムで行われています。
 文部省においても、文教政策立案のために八つの審議会が毎年のように答申を出しています。それら答申の多くが、「日経連労働問題研究委員会報告」「財団法人社会生産性本部」といった財界のシンクタンクの発表する報告書と一寸違わぬ内容でありましたし、今回もそうであります。
 さらに、今回の大学審答申は「ユネスコの国際会議--21世紀の高等教育--のアジェンダ」を基本とした世界的な政策形成の延長線上にあることを、私達は指摘したいと思います。
 ドイツ、タイ、韓国など、どこでも国際的競争の決定的契機として大学が位置づけられ、競争原理に基づく改革が、まさに、世界的に歩調を合わせて進められています。しかし、問題なのは、大学審答申がユネスコのアジェンダの一面のみを引用しており、重要な理念や方策の一部を意図的に看過している点です。
 ユネスコのアジェンダは、

 といったことを強調していますが、答申では全く無視されています。
 つまり、答申は、ユネスコのアジェンダを基本に据えつつも、財界の意に添うように都合の良い部分だけを利用しているのであります。ユネスコは1997年11月11日の第29回総会において「高等教育の教育職員の地位に関する勧告」を採択しました。この勧告は、高等教育の目的、運営原則、自治、公共責任、教職員の権利と自由と義務と責任、雇用条件について広くしかも端的に提言していますが、その内容は私達の要求とほぼ一致しています。
 私達は、文部省および大学審議会がユネスコのアジェンダを恣意的に歪めず、同勧告を尊重してその文教政策を全面的に方向転換することを強く求めます。
「教育および教育研究への権利は、高等教育機関での学問の自由と自治の雰囲気のなかでのみ十分に享受することができること、そして、発見や仮説および見解の自由な交流こそが、高等教育の中心に存在し、かつ学問および研究の正確さと客観性を最も強固に保障する(「ユネスコ高等教育の教育職員の地位に関する勧告」前文)」


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