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大学改革フォーラム [reform:02387] [reform:02387]より転載
ニュージーランド研究第4巻(1997年12月)
草の根から見たニュージーランドの行政改革
河内洋佑(前オタゴ大学地質教室、現中国科学院中国鉱物資源探査研究センター)
キーワード:ニュージーランド、行政改革、改革の背景、医療、社会、国公有資産、教育、科学研究
I まえがき
私はニュージーランドに1967年以来廷ベ26年余滞在し、1997年4月に日本に帰国した。その間、最近日本の行政改革のモデルとしてよく引用されるようになったl)ニュージーランドの行政改革の前後を身をもって体験するという稀な機会を得た2)。日本ではニュージーランドの行政改革は若干の影の面を伴ってはいるが、全体としてはバラ色であると描かれているようである。それと全く異なる見方があることをお伝えし、特に草の根から見た改革の実態を記録することは、バランスのとれた理解を進めるために必要であろう。
ニュージーランドの政治は1院制で、その上最近まで小選挙区制だった。そのため30%台の得票でも議会の多数派を占めることができた。それだけでなく、多数党党内では実力を持った幹部数人がその意のままの党内運営を行い、政策を決定することができた。このような制度の下ではチェック・アンド・バランスは実現され難い。ある政治学者はニュージーランドの制度を「民主的独裁制」と呼んでいる3)。今度の行政改革を始めたロンギ氏の率いる労働党が改革開始直後の選挙で敗北したのは、国民党ならばそのような改革を行わない(あるいは少なくとも、もう少し国民に痛みを伴わない方法で行うのではないか)という期待があったからではないかと思われる。それが裏切られたとき、国民は選挙制度改革を求め、圧倒的多数をもって、もっとよく民意を反映する比例代表制を採用するように求めた。その比例代表制による選挙の結果は周知のように、人気取りにたけた、もと国民党のウインストン・ピータース氏の率いる「ニュージーランド第一」党(New Zealand First)がキャスティング・ヴォートを握って国民党と連合を組み、既定路線をさらに押し進めることで終わった。しかし最近の世論調査によれば、国民党と「ニュージーランド第一」党連合の支持率は低下しており、特に後者の支持率低下は著しい。つまりこの小文で私がこれから述べるような事態に対する国民の反感やフラストレーションは、国民の60%以上が感じているということであり、改革は決して日本で伝えられているように国民的支持の下にあるわけではない。むしろ橋本首相が1997年4月にニュージーランドを訪問して改革を「成功」させた秘密は何かと尋ねたところ、ボルジャー首相は「国民にとって何が何だかわからないうちに急速に改革を押し進めたことです」と答えたことに象徴されるように、改革が非民主主義的に行われたところに特徴がある。ちなみに、改革を開始した労働党も行政改革についての公約は一切せずに選挙に臨み、多数党になったところで突然改革を開始したのであった。
II 改革の背景
ニュージーランドは第二次大戦で戦場にならなかったこともあり、「祖国」イギリスヘの食料や羊毛の主要輸出国として、戦後長く世界のトップクラスの繁栄を享受してきた。このような繁栄にかげりが出たのは、イギリスのEEC加盟によって最大の販路を失ったのが始まりである。経済的な苦境を決定的にしたのは1970年代初めの2度にわたる石油危機であった。このとき、国民党マルドゥーン内閣の蔵相であったビル・バーチ氏は、この苦境を脱出するために「シンク・ビッグ」(Think Big)ということを提唱し、いくつかの大プロジェクトを開始した。これらは、ニュージーランドに豊富にある天然ガスを原料とした石油合成工場の建設、クルサ川のクライドに巨大ダムを建設してその電気を利用したアルミ精錬工場の建設、北島西岸に多量にある砂鉄を使った製鉄所の建設などである。以上のうち、石油合成は当時実験室内でのみ成功していたモービル社の特許を利用したもので、それをいきなり工場規模に拡大することについては相当な危険があった。しかし何よりも、工場が完成したときには石油危機は去ってしまっており、コスト的に製品は売れなくなってしまった。ダムの水力発電による電気は、当時は世界一安いということでアルミ精錬工場の誘致はほとんど確定的と見られていたが、建設予定地に環境問題があり、またパブアニューギニアの電力がもっと安いことが判明して誘致に失敗し、ダムは完成したが電力の使い道がなくなった。製鉄所も規模などの理由によって採算はとれなかった。このようにビッグ・プロジェクトはいずれも失敗したが、問題はこれらのプロジェクトがすべて外国からの借款でまかなわれたことである。その結果、インフレは年率15%以上、国民一人あたりの負債額は当時世界最大の借金国だったブラジルを上回るという悲惨な状況に陥った。
この機会をとらえて、ハイエク、フリードマンらが提唱し、レーガン、サッチャーなどが推進していたモネタリスト政策を、最も純粋な、極端な形で遂行したのがニュージーランドの改革であった。これはレーガンやサッチャーですら強行できなかった政策であり、「ニュージーランドの実験」3)と呼ばれている理由である。マクロ的に見れば国際収支は改善され、インフレもおさまり、安定してきたように言われている。しかし国民がこれまでに払い、かつ、これから払わなければならない犠牲は耐え難いレベルに達している。長期的に見た場合、「金がすベて」という風潮が蔓延し、福祉の切り捨てとあいまって、犯罪が増加するなど社会は不安定化してきている。行政改革によって国民が負担しなければならない社会的コストは、政策立案者の計算には入っていないらしい。ちなみに、ビル・バーチ氏は現内閣でも蔵相を勤めているが、シンク・ビッグ政策の政治的責任はどうなったのであろうか。
ここではまず改革の矛盾が最も先鋭な形で現れた医療、社会、教育の分野について述べ、科学研究の分野についても言及する。しかし、行政改革の影響は広く深く及んでおり、それを網羅して社会科学的に分析するのは、私のような一地質学徒のよくするところではない。したがって、こに述べる内容はどうしても逸話的になることをあらかじめお許し願いたい。
III 改革の内容と実体
(1)医療
(a)利益第一主義に転換
ニュージーランドの公立病院は、かつてはほとんどの町にあり、選挙によって選ばれた経営委員会の監督のもとに運営されていた。今では任命されたビジネスマンのもと、その名称も公立病院企業体(Crown Health Enterprise、略称CHE)となり、利益第一で経常されている。ダニーディン市にあるオタゴ病院では、改革が行われた直後に任命された経営責任者が、地方住民の健康を守るという本来の任務を忘れて、儲けの大きいサウジアラビアに分院を作るという計画に夢中になり、非難を浴びて辞職するという事件があった。しかしこのような事件を起こす体質は構造的なものであって、一経営者の突出した行為とは考えられない。その後も、利益のために病人の回転を早めようと、身寄りもない82歳の手術後の婦人を午前3時に退院させたため、彼女は夜が明けるまで待合室で座っていたなどという、信じ難い事件すら起こっている。私の知り合いの72歳の婦人も、乳癌の全切除手術後、2、3日で退院させられている。また新しい治療法を開発した医者に対して、対立する別の地域の公立病院企業体にその治療法を教えるなという圧力が経営者からかかった例もある。そうすることで、新治療法を開発した医者のいる病院に他地域の患者を入院させて利益をあげようというわけであって、患者の利益を図るということは二の次になっている。少しでもたくさんの患者を救いたいと願う良心的な医者のなかには、絶望して辞める人も続出している。
人員削減の結果、看護婦は労働密度が増し、流産する人が増えている。夜間には看護婦の手がまわらず、患者がベルを押してもなかなか来てくれなくなった。夜勤あけの看護婦は、人手不足からくる過労で頬がげっそり落ちて痛々しい限りである。
(b)長期待ち時間、入院費高騰
年間の手術数は予算によって厳しく制限されるようになったので、生命に差し当たり影響しないという意味での非緊急な手術では、待ち時間2年などということが普通になった。実際には待っている間に亡くなった人も出ている。入院患者を減らしたために病室ががら空きである一方では、患者管理の都合から、大部屋に男女の患者を一緒に入れるようなことも起きている。公立病院でそこひの手術をしてもらいたかった患者が待ち時間2年と言われて、翌日手術を受けられる私立病院を希望したところ、執刀したのは前の日にその患者を診察した医者で、手術室は公立病院の一室だったという話もある。公立病院が空いている手術室を有料で貸し出し、医者は本務以外のアルバイトをしているわけである。私立病院では1晩の入院で2、3万円かかる(手術料は別)が、これは平均年収が300万円くらいのニュージーランド人にとっては非常に大きな出費である.このような事態に備えて私的保険に入るのが普通になった。ちなみに、この分野での最大の保険会社はアメリカ資本であり、その理事の一人は行政改革を始めたロンギ内閣の大蔵大臣ロジャー・タグラスである。それでも保険料を払える人は幸運である。保険料は65歳以上では倍額になるので、年金生活者などは保険に加入せずに運を天にまかせたり、重病だけを対象にした保険に入るなど、「地獄の沙汰も金次第」を地で行くような状況になっている。
(c)小規模公立病院や精神病棟の廃止
地方の小規模公立病院は軒並み閉鎖され、患者は100キロ以上も離れた病院に行かねばならなくなった。
精神病院もコミュニテイ・ケアという名のもとに、ほとんど無差別に閉鎖された。町には、ごみ箱をあさったりする患者の姿がしばしば見られるようになった。凶暴性のある患者の無差別退院の危険について、病院当局に警告したが聞き入れられなかったという事実を告発した看護夫が、患者のプライバシーを侵したという理由で解雇されたという事件があった。この患者は退院直後に児童暴行で逮捕されて刑務所に送られた。
(2)社会
(a)老人や家族の苦難
老人ホームに入るためには、まず全財産を提出し、それが尽きたところで初めて公的な補助が受けられることになった。そのため親の名義の家に住んでいる息子夫婦が、その家の売却にともなって追い出されたりしている。
老齢年金受給者は、年金以外に稼ぐ(貯金の利子を含む)と、その超過分について最高97%という懲罰的な税がかかる.これはあまりに不人気なので、国民党の執拗な反対にもかかわらず廃止の動きが出てきている。
(b)ホームレスの増加
住宅公社は、本来の目的だった低所得者層に対して低家賃住宅を供給することを止め、民間相場の家賃を取る、ただの家主になった。母子家庭や失業者などは家賃が払えなくなり、追い出される人も出ている。こうして生じたホームレスはオークランド市だけでも100人以上いるといわれており、1997年初頭に教会などのボランティア団体が組織したスープ・キッチン(貧しい人に無料で食事を提供する施設)には150人以上が参加するという大盛況だった。フード・バンク(無料で食料などの入った袋を貧しい人に配るところ)も包装が間に合わないほどである。ボランティア団体では、政府の社会対策の失敗の尻ぬぐいをボランティア団体の善意に押しつけるものとして、怒りを隠していない。
(c)バス・サービスの低下
従来地方自治体が運行していたバスは自由化され、運行権を入札によって決めるようになったが、そのために儲かる路線は民有となり、儲からない路綿が自治体の運営となった。それにともなって運行回数の削減、路線の廃止、運賃値上げなどが起き、市民の足はますます不便になった。ここでも、しわ寄せはすべて車を持たない人や運転のできない人、すなわち老人、婦人、低所得層にかかるようになった。
(d)少額貯金の悲哀
少額貯金には口座管理費が創設され、残額が300ドル(約25.000円)以下の預金からは毎月数ドルが引き落とされてしまうようになった。生活保護費や年金は銀行振込なので、口座を持たないわけにはゆかない。トイレの紙の枚数も勘定しなければ使えないといわれる年金生活者や母子家庭など生活保護を受けている層にとって、これは非常につらい出費である。
(e)労働条件の切り下げ
雇用契約法によって労働組合が一括して交渉する権利は大きく制限され、労働者は個人として使用者と交渉することとなった。失業者が多数いる環境のなかで、個人対企業の交渉の勝負ははじめから見えている。労働条件は切り下げられ、大した抵抗もなしに首切りが行われるようになった。パートタイムが非常に増えている。失業率が下がったという統計をそのまま信用することはできない。
(f)犯罪の増加
銀行強盗や殺人などの凶悪犯罪が報道されない日はほとんどなくなった。こそ泥などが増えたので警備会社はうけに入っている。銃器を使った大量殺人など今度の行政改革開始前には聞いたこともなかったが、行革開始以後に3度も起きていることは果たして偶然であろうか。警官の数は1990年の6,037人から1995年の8,639人へと43%も増やされているが、犯罪の増加に対処するためにはもっと増やせという声が強い。
(g)公務員削減、コンサル依存増加
行革によって公務員は大削減を受けた。その結果は行革の成功の好例として大宣伝されている。しかし実態は同じ仕事を民間のコンサルタントに出している例があまりにも多い。コンサルタントは莫大な費用をチャージするのが通例であり、1996年度には大蔵省だけでコンサルタントに2400万ドル(約19億円)を使ったといわれる。コンサルタントは今やあらゆる面に進出しており、政策などを策定する高級なものから移民や税金などの相談に乗るものまで、経営者やもと公務員などあらゆる「エキスパート」にとっての絶好の稼ぎ場を提供している。これを庶民の側から見ると、役所の窓口で無料で済んだ仕事を、今度はコンサルタントを通じてしなければらちがあかないということであり、出費が増えたということになる。
(h)税制改革で貧富差拡大
所得税は最高66%だった累進税が、33%と24%の2種類だけになった。これは一見大減税に見えるが、消費税(GST、最初10%で、すぐに12.5%に増額された。食料品などにも免税はない)が創設され、また各種の控除が一切なくなったので、低・中所得層には事実上の増税になった。貯金利子からも所得税が天引きで引かれている。税負担能力のない学童預金などもこの例外ではなく、零細な預金から利子の24%が差し引かれている。事務上煩雑だからという理由で、学童預金から徴収した所得税の払い戻しは認められていない。結局、この減税によっていい目にあったのは高額所得層であった。
海外からの投資や利益の送金がまったく自由化されたため、大会社は税金の低い海外のタックス・ヘイヴンに逃避した。ニュージーランドのトップテンの大会社は、国内で税金をまったく払っていないといわれている。
(2)国公有資産
(a)資産売却、私企業化
行革によって国有鉄道、郵便局の貯金業務、銀行、電話、国有航空、林野庁などが、アメリカ、オーストラリアを主とする外国資本に安く払い下げられた。その他の国公有資産、公立病院や国立研究所などは、国や自治体が株を持つ企業として再編され、利益を上げることを第一目的とすることになった。郵便局の郵便業務も近く民営化されることになっている。つまり、あらゆる規制を廃止し、すべてを「神の見えざる手」の支配する市場経済に任せるということである。ここで、金融、通信、交通、エネルギーなどの戦略的分野がすべて外国支配のもとに置かれることになったのが注目される。また一切が商業秘密となって、経営内容や役員給与などについて国民の監視が全くきかなくなった。
最近では水資源も私有化するという動きがある。
(b)経営者の給与は大幅増額
民営化された企業の多くが真っ先にやったことは、世界中から有能な経営者を集めるためには世界的レベルの給与を支払う必要があるという理由で、経営者の給与を大幅に増やしたことであった。経営トップの給与は今はアメリカ並みだといわれている。貧富の差はかつてなかったほど拡大している。その一万では大規模な合理化が行われ、例えば電話会社では3分の2の人が失業した。一方、電話の基本料金は2倍になった。ニュージーランドでは住宅用電話の基本料金には市内通話料が含まれており、度数料はない。長距離通話料は下がったが、それによって利益を得るのは主として企業である。その結果、電話会社は空前の利益を上げるに至った。
(c)公営事業料金の改訂
地方自治体はその所有する空港、発電所、森林などが会社化され、それからあがる利益を自治体の一般会計に繰り込むことは禁止された。その結果は自治体議員が公社の役員となって報酬を勝手に値上げしたりすることになった。
電気会社は発電料金のほか送電会社に送電線使用料も払わねばならなくなり、電気代はこの1年だけで 6.5%値上がりしている。
郵便料金は改革前に定型封書が1通25セントだったものが45セントになった。1996年10月にこれが40セントに下げられたことを改革の大成功の例として政府は挙げているが、これは上げ過ぎの手直しにすぎない。全国に1200あった郵便局はわずか400に減らされた。これは地方に住んでいる人にとっては大打撃である。たとえばニュージランドの南島は本州の7割くらいの国土に80万人くらいの人口が散在している。地方に住んでいる人は、貯金や小包の送金には数十キロも離れた本局まで行かねばならなくなった。こういう地域には公共交通機関もないために、車がない人や運転のできない人は田舎には住めなくなったわけである。郵便についてはガソリン・スタンドなどが預かってくれるから大丈夫だと政府は言っているが、プライバシーの保護で問題を生じている。
(4)教育
(a)学生の経済負担増加
大学の授業料はこのところ毎年15%くらいずつ上げられている。これは、「学歴を得れば就職に有利だろうから費用は自分で持つべきだ」という理由によるものである。最近まであった返還不要の奨学資金は廃止され、学生は政府保証の銀行借金(実質利子10%以上)を借りて生活費や授業料に充てている。この総額は現在17億ドルに達しており、数年後には50億ドル(約3500億円)を突破すると予想されている。学生はこうして多額の借金を背負って卒業する。そして年収が14,000ドル(約百万円)に達すると奨学金返還を開始することに決められている。しかしこの時期は結婚して子供が生まれたり、家の購入などでただでさえ生活に余裕がない時期である。返還を逃れる方法として海外に逃亡することを真剣に考慮している学生も多い。
その結果、卒業してもあまり金にならない学科、例えばラテン語、ギリシア語とか基礎科学などには必然的に学生が釆なくなり、そういう学科の廃止すら論議されるようになっている。一方、商学などはお金になるだろうということで、短期間に学生数が10倍にも増加した(ニュージーランドの大学にはふつう定員はない)。歯学部では授業料があまりに高くなった(年に15,000ドル以上)ので、ニュージーランド人の子弟は金持ちを除いて入学できなくなり、4分の3が留学生に占められるようになった。歯の治療費が高すぎて治療を受けないで我慢する人が増え、その結果「病院に来る患者の状態は、これまで見たこともないほどひどい」と歯学部長が発表している。高い授業料を払って卒業した学生は開業したところでその費用を回収しようとするであろうから、今後歯の治療費が急騰することは明らかである。
(b)大学教育の質の低下
大学ではこれまで一つの科目は年間を通じて講義を行い、年度末に一斉試験を行って合否を判定していたが、セメスター制を採用し、科目の内容を細切れにして、学生に単位を取りやすくした。こうしないと学生を引きつけることができす、学生数に応じて配分される予算が減れば学科の存続に響くからである。各課目の序論だけを履修して卒業に必要な単位を取ることもできるようになり、必然的に講義のアカデミックな内容は薄められた。教員には有資格で研究業績のある人を採用してきたのを止め、博士号も研究業績もない人を、安い貸金で毎年契約変更できる臨時雇いとして採るようになった。それによって年金の雇用者負担やサバティカル休暇その他の諸出費を節約できるだけでなく、学生数の増減に対して契約を変更しないことでずつとフレキシブルに対応できるわけである。しかしこのような先生に教わる学生はたまったものではない。かくて大学は単なる知識の切り売り機関となり、新たな知識を創造する場所ではなくなった。従来大学でしか得られなかった学士号は高専の一部でも出せるようになったが、その内容には甚だ怪しげなものも含まれるようになった。認可はされなかったが、ある高専では占星術コースを、世の中に需要があるからという理由で申請したほどである。
(c)外国人学生で稼ぐ大学
外国人学生にはニュージーランド人学生の10倍もの授業料を課すことになっているので、大学にとって留学生を多数受け入れることは死活の重要性を持っている。オタゴ大学では1996年度留学生の割合が10%に達し、外貨をたくさん稼いだということで「優良輸出産業」として表彰された.学生数をさらに増やすため、7つある国立大学では学生の取り合いが激化し、競って互いの伝統的テリトリーだった地域に出張事務所を作ったり、タイム誌などに広告を出したりしている。オタゴ大学では留学生のためにマレーシアまで出張して卒業式を行うようになった。しかし最近では授業料をこれ以上値上げしては、学生がアメリカ、イギリスなどに逃げてしまうおそれも出てきている。一方では政府側に国立大学を売却して私立化するという動きもある。
最近の選挙で保守党が勝利したオーストラリアではニュージーランドに学べということで、学科の再編が進行している。クイーンズランド大学では物理学科が廃止された。南クィーンズランド大学では地質学科が廃止され、物理と化学が合併された。これらはいずれも「儲からない」というのが理由である。ニュージーランドでも遠からず同じような動きが出てくると予想されている。
(5)科学研究
(a)研究機関の再編、企業化
科学研究で何が起こっているかは、王立協会(日本の学士院に相当)会長のブラック教授が昨年オーストラリア国立大学とネーチャー誌主催の討論会「研究において創造力をいかに育てるか」で講演したときの演題「文化大革命下にあるニュージーランド科学研究の現状」4)がよく示していると思われる。科学研究分野においても、キーワードは「自由化」、「競争」、「受益者負担」となり、経済に直接有用な研究のみに予算が与えられるようになった。
国立研究所は再編縮小され、あるものは廃止された。日本でもよく知られていた科学工業技術庁(DSIR)はなくなり、旧国立研究所の人員・設備は公共研究企業体(Crown Research Institutes、略称CRI)になった.DSIR傘下の化学研究所、物理工学研究所、土壌研究所、気象研究所、地質調査所などは、CRIでは産業加工株式会社、国土管理株式会社、全国水大気圏研究所株式会社、地質核科学研究所株式会社などになった。これらは商業活動を行う会社として、個別の重役会の管理経営下に置かれている。重役会はほとんど経営者、会計士、弁護士などから構成されており、科学者は一人しかいないのが普通である。再編に際して金儲けに関係のない基礎研究部門は廃止されたり、縮小されたりしたが、その過程は今も進行中である。この再編に際して科学者はほとんど相談を受けなかった。CRI傘下の研究所では、すばらしい色刷りの経営報告書を毎年印刷配布するようになったが、株式会社として、その内容は収支決算に主眼を置くものであり、経営者の顔写真などばかり載っていて、科学的内容は二の次である。その一方では科学的成果の印刷の予算は削られている。
(b)研究予算配分の変化
再編の過程で、20年、30年という経験を積んだ働き盛りの世界的な科学者が多数辞めさせられた。比較的若い研究者多数が海外に職を求めて去ってしまった。数学研究所は1994年に破産して消滅した。化石や岩石の研究部門は廃止された。
研究所の再編とともに、研究費の配分方法も変えられた。大学も国立研究所も科学技術研究基金から研究費の配分を受けるようになったのだが、それはあらかじめ定められた課題に応じて行われる研究の結果を、科学技術省が「買い上げ予約」するという形で行われる。すなわちその配分は研究の過程に対してではなく、予想される結果に応じてなされるのである。言い換えると、この基金には、あらかじめ決められた研究の「結果」があり、その結果に応じて応募するわけである。たとえば、1990/91年度には40のテーマがあった。そのうち16は農業関連の応用テーマであり、畜産や園芸など、農業国ニュージーランドとしてお金に直結するテーマに52.5%の予算が割り当てられた。一方、基礎研究には僅か1%が割り当てられたにすぎなかった。指定分野はそのときどきの戦略的重要性に応じて変えられているが、1995年には17テーマに減り、農漁業の応用テーマ8件で額としては76%を占めるに至った。
(c)基礎研究は壊滅方向へ
科学技術研究基金では新しい研究用機器の購入は認められていない。研究に使用した現有機器の減価償却を計算し、減価分を基金との研究契約に含めることによって回収するのである。基金の配分を受けるには内容が科学的に優れているかどうかではなく、経済戦略的に重要かどうかによって判断が下される。その判断の基礎の一つは研究結果が最終的に応用可能かどうかである。
このような基金の性格からは、やらないうちから結果のわかっている研究だけが行われることになるわけである。このような環境の中からは真に独創的な研究が行われるとは信じられない。優秀な学生が基礎科学離れを起こして手っとり早く金になる分野に流れていること、経験を積んだ科学者が定年前に不本意に退職を迫られて辞めていっていること、残っている科学者もその地位が非常に不安定になっていること、研究費への締めつけが厳しいこと、などによってニュージーランドの基礎研究は壊滅的打撃をこうむったと断定せざるを得ない。
IV 行革は成功しているのか
以上概観したように、一連の改革によって、国民は何も利益を受けていないといってもよいと思われる。税金などが下がったことがあったとしても、私的な保険料の増加などを負担せねばならなくなった。これは形を変えた税金に等しい。それだけでなく負担は低所得層により重くかかるようになった。貧富の差はアメリカ並みに拡大した.また、経済担当者の等式には入っていないように見える社会的コストは、堪え難いほどに増大している。社会は不安定度を増し、おおらかだった国民性は今や拝金主義に毒されつつあるように見える。かつては世界のトップレベルにあった科学研究も、後継者は育たず、今までに築きあげた財産を食い潰してやっと息をついている。
成功といわれる経済でも本当にそうなのかは大いに疑わしい。1989年にはニュージーランド株式の19%が外国所有だったものが、1995年には56%になった.準備銀行総裁のドン・ブラーシュ博士の最近の発表によれば、1995年度のニュージーランド資本の海外投資の利益は7億ドルであったが、同年度の海外資本がニュージーランドであげた利益は実に65億ドルに達している。ニュージーランドは経済的に海外の植民地と化したという人もいる4)。確かに戦略的重要分野はほとんど海外資本のコントロールのもとに置かれるに至っている。1997年3月現在、ニュージーランドの海外借款は800億ドルに達しており、このうち4分の3は私的な借入金である。これはGDPの85%に相当する。
これが大成功といわれるニュージーランドの行政改革の実体である。
参考文献
- 「この人にこのテーマ」(ニュージーランド大使マーチィン・ウィーバーズ氏のインタービュー)朝日新聞1995年12月24日14版9ページ。
「ニュージーランドの経済改革を見た」朝日新聞1996年3月30日夕刊2版5ページ
「市場国家」への大きな試み 毎日新聞1996年5月13日社説.
小国の大仕事 北海道新聞1996年5月27日夕刊。
早房長治:行革、ニュージーランドに学ぶ 朝日新聞1997年5月18日12版4ページ主張、解説。
- 河内洋佑(1991):ニュージーランドの教育研究の危機 ニュージーランド便り(3)「地質ニュース」438号。
河内洋佑(1991):ニュージーランド地質調査所の解体再構成 ニュージーランド便り(5)「地質ニュース」450号.
河内洋佑(1994):楽園の実験 「科学朝日」4月号。
河内洋佑(1996):ニュージーランドの経済改革と科学研究 「日本の科学者」31−9。
河内洋佑(1996):だれのための改革か?ニュージーランドの今 「連合通信隔日版」
河内洋佑(1997):ニュージーランドの行政改革 「婦人通信」3月号。
- Kellsey,Jane(1995): The New Zealand Experiment. A World Modelfor Structural Adjustment? Auckland University Press
Price,Hugh (1996) : Know the New Right. Gondwanaland Press.
Robinson, John (1996) : Destroying New Zealand, Technology Monitoring Associates.
- Black, Philippa (1995) : Researches in New Zealand: Working througha Cultural Revolution. Manuscript of a speech given at a symposium inCanberra on the Ideas as the Foundations of Innovation.
Lowe,Ian (1995) : New Zealand reforms come at a cost. NewScientist 2 Dec.
New Zealand economic experiment;A View from the Grass-roots
Yosuke KAWACHI(Formerly at Geology Department,University of Otago)
keywords:New Zealand,administrative reforms,background of reforms,medical care,society,national and local government assets,education,scientific research.
New Zealand economic experiments are said to be very successful.From the grass-roots point of view, however,it is totally different.The reform has been motivated and steamrollered by New Right ideology disregarding reality and welfare of the people.Social cost of the reform is enormous in many fronts including health care,education, and social stability.Basic science in New Zealandis all but destroyed. Even in economic terms the success of the reform is not without doubt.New Zealand is now economically under control of foreign capitals. From my 26 years' first hand experiencein New Zealand I have illustrated how this reform is and will be negatively affecting ordinary New Zealanders.
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