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東北大学職員組合教文部
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討論抄録
去る12月4日に,国立大学の独立行政法人化についての討論番組が放映されました.私達大学人にとって目下最大の問題である独立行政法人化問題ですが,多くの市民の関心をひくには至っていないのが現状です.テレビ放送されることで市民的な問題になって欲しいとの期待がありました.
限られた時間のなかで,問題点の掘り下げが充分でなかったり,行政改革・定員削減との関係や,学生に対する教育がどう変わるかなど話題に上らなかった重要な点もありましたが,この問題に関する大学人のあいだでの温度の違いが見えたという意味では興味深い討論でした.以下に討論を記録しました.
BS討論 国立大学はいらないのか? 独立行政法人化の是非
放映:NHK-BS1 1999年12月4日,21:45-23:00
出演者
- 阿部博之 東北大学学長,国立大学協会第1常置委員長
- 石 弘光 一橋大学学長
- 本間正明 大阪大学副学長
- 佐和隆光 京都大学経済研究所教授
- 俵 萌子 評論家
司会
(ナレーション)21世紀を前に国立大学が大きな変革の波に揺れている。行政改革の流れの中で、国立大学も国の機関から切り離し「独立行政法人」とする案が急浮上してきたからである。「独立行政法人」とは、国の研究機関や博物館などに独立の法人格を与えて独自の経営を認める代わりに効率性を問おうというもの。しかし、国立大学も「独立行政法人」化しようという政府の考え方に、文部省や大学側は国立大学ならではの教育や研究システムが失われてしまうと反対。国立大学の存在意義とは何か、国立大学を「独立行政法人」化するメリットはどこにあるのか、なぜ国立大学のままではだめなのか、大学はどう変わるべきなのか、国立大学の在り方を考える。
- 司会:明治19年、1886年に東京帝国大学が設立されて以来113年、国立大学は99に至った。日本の頭脳を国際的レベルまで引き上げ,経済発展を支えてきた国立大学の役割が今問い直されている。
この「独立行政法人」化は、橋本内閣に始まる行政改革の流れの中から出てきた。国の行政機関のうち現業やサービス部門を衣替えし、経営感覚を持った法人にし、効率化や組織のスリム化を図ろうというもの。国立大学は当初対象には含められていなかったが、政府は4年後の2003年までには結論を出すとしている。
教育を受ける側の国民にとって国立大の「独立行政法人」化はどんな意味があるのか、大学教育はどうあるべきなのかを考えていきたい。まず、大学改革を進めるために「独立行政法人」化は避けて通れない道なのか、言い換えると国立大学を「独立行政法人」化して改革を進めるべきなのか、国立大学のままで進めるべきなのか。ここから議論を始めたい。出席者の紹介を兼ねて一言づつ意見を。はじめに東北大学学長の阿部博之さん。阿部さんは国立大学の学長でつくる国立大学協会で、大学の組織について議論する委員会の委員長を務めておられる。
- 阿部(以下、敬称略):国立大学が、ボーダーレス化が進む現在、現状のままでいいとはもちろん考えていない。しかし、現在議論されている「独立行政法人」は、大学を念頭において制度設計されたものではないので大学にふさわしいものとは考えていない。
- 司会:続いて一橋大学の学長の石弘光さん。大学改革が必要だという立場から積極的に発言している。
- 石:今、全国の国立大学、学長の間ではさまざまな意見が交わされている。一口で反対とか賛成とか言ってもその中身は複雑。今から明確にしていかなければならない。法人化は大学改革の一つの選択肢として考えるべきで、反対といって退けるべきではない、と考えている。
- 司会:続いて大阪大学副学長の本間正明さん。本間さんは国立大学の「独立行政法人」化には反対の論陣を張っているが。
- 本間:大学改革を、国立大学にするのかあるいは「独立行政法人」にするのかというかたちで問題提起されること自身がおかしい.21世紀に日本の大学をどうするのかという理想形から演繹して、どちらがどんな範囲でできるのかを精査しながら結論を出すというのが真っ当な議論のやり方ではないか考える。
- 司会:続いて京都大学経済研究所の教授、佐和隆光さん。
- 佐和:二年ほど前にある東大教授が日経新聞に、国立大学の現状を,「どう変えても今より悪くなることはない」とコメントした。私も同感。では良い悪いというのは一体何で評価するのかというと、もちろん評価の仕方は色々あるが,仮に、大学の組織としての国際競争力として測るとすれば、日本の大学の国際競争力は国立大学のみならず私立大学も含めて極めて弱い。国際競争力を高めるという意味でも改革の必要は誰も否定しないだろう。問題なのは法人化というのが唯一の改革の在り方なのか。石さんが選択肢の一つだとおっしゃったが、幾つもあるということを示して,その中からベストを考えたいと思う。
- 司会:後ほどその辺の議論もしたい。続いて評論家の俵萌子さん。俵さんは臨時教育審議会の改革に対して女性の立場から対案を出されるなど教育改革に積極的な発言をしている。今日は大学の外からの視点ということで議論に参加していただきたい。
- 俵:今、国民が、大学ということについてどういう観点から興味を持っているかというと、先月「お受験」殺人という大変ショッキングな事件があった。目先のこととしては国立の幼稚園、小学校に入りたいということだったが、究極的には国立大学の、ピラミッドの頂点を目指している競争の一つの悲劇だったと思う。私たち国民が大学の改革ということを考えるときに、先ほど早川さんがいわれた,日本の頭脳を国際レベルまで引き上げて経済発展を支えてきた国立大学の役割、それについては成果を挙げてきたが、しかし一方で、「お受験」殺人が起こるようなところに,大学は何らかの役割を果たしてきたという部分があるのではないか。私たちはそういうことも含めて改革ということを考えているわけで、法人化が良いのか悪いのかと聞かれても、それより前に国立大学が一体どういう形になったら私たちの大学として理想なのかという議論も聞かせて欲しいと。
- 司会:ぜひ後ほどそういう議論もしていきたい。俵さんからも指摘があったように、行政改革の流れの中で、国立大学の行政法人化という問題がなぜ浮上してきたのかという点については大変わかりにくいところがある。これまでの経過をまとめた。
(ナレーション)「独立行政法人」化の動きは橋本内閣に始まる「行政改革」の一環として浮上してきた構想。既に国立の研究機関や博物館など89の機関が「独立行政法人」に移行することが決まっている。しかし、国立大学を対象に加えるかどうかについて、文部省は教育・研究の観点から「独立行政法人」はなじまないと当初から反対、早急に結論を出すべき問題ではないとしていた。
ところが小渕内閣が発足するや、国立大学の「独立行政法人」化については平成15年までには結論を出すことに決定された。こうした中で、今年7月に「独立行政法人」の運営の枠組みを決めた「通則法」が成立した。これによれば、職員の身分は国家公務員で、予算はこれまでどおり国から支出されることになっている。そして「独立行政法人」は3年から5年までの「中期運営目標」を計画し、所管大臣や「評価委員会」の許可を得なければならない。さらにこの「中期目標」の達成度を評価委員会がチェックして、場合によっては統廃合も検討するという内容。これに対して国立大学は学問の自由や自治が妨げられるとして猛反発。今年8月、東大の蓮實学長は記者会見で国立大学の「独立行政法人」化には反対の立場を表明した。
“「通則法」が大学の経営ならびに教育・研究にふさわしいものではないと判断しておりますのでこの態度は変わっておりません(蓮實氏)”。
ところが9月に入って文部省側は、国立大学の「独立行政法人」化を条件付きで受け入れる方針を表明した。その条件とは学長を事実上大学側が決められるようにすること、学術経験者による第二の「評価機関」を新たに設置することなどの大学の自治を尊重した特例を設けること。文部省案を提示された国立大学側では賛否両論が噴出しており関係者の間でも問題解決の糸口がなかなか見えてこないのが現状。
<文部省案について>
- 司会:国立大学の「独立行政法人」化をめぐるこれまでの動きを振り返った。一通りの流れを理解いただいた上で、今年9月に文部省が示した「独立行政法人」化についての文部省素案の内容をもう一度、見てみたい。
まず、学長人事。「通則法」では法人のトップは大臣が任命することになっている。この点は変わらないが、評議会で自主的な選考ができるような方向を検討するとして、大学の執行部で事実上決められるようにするとしてる。あくまでも大学の側にイニシアティブがあるのだというのが特徴。
次に業務運営についての「中期目標」。「目標」の期間は「通則法」では3年から5年と定められている。これを大学では5年間とし、大臣が事前に大学の意見を聞いて決めることとしている。業績評価につながる「中期目標」から逃れられないものの、教育・研究の成果を見るには時間がかかるからということで、上限いっぱいの5年を選択したもの。
3つ目は評価機関の設置。大臣のもとに「評価機関」を設けることが「独立行政法人」に一律に求められている。大学の場合はこれとは別に、大学の教育研究を理解できる専門家によるもう一つの機関を設けるとしている。専門家が出した評価を踏まえて、文部科学省に設けられる「評価委員会」が判断を下すという特別の仕組みをつくる。いわば、屋上屋を重ねてでも第二の「評価機関」をつくろうというのは、教育・研究の評価は外部の人間にはわかりにくいと判断したから。
このように文部省案は「独立行政法人」化に対する国立大学の反発を予想して、法人化される他の機関に比べて大学の自治を尊重した内容になっているのが特徴。文部省は来年度の早い時機までに政府の「中央省庁等改革推進本部」に最終案を出すことにしている。ここでは「文部省素案」についてどう評価しているのか議論したい。まず、阿部さんから。
- 阿部:「文部省案」については、「通則法」が大学にふさわしくないという考えをきちんと述べていることは評価できる。文部省は「通則法」を乗り越えるために「特例措置」を「文部省案」で書いているが、実は「文部省案」というのは「検討の方向」というタイトルがついており、いくつかの基本的な課題はこれから検討するとしている。財政構造、財政措置を考えただけでも,教育研究への公財政支出の将来像が国公私立を含めて不明だ。他の先進国と比べて高等教育に対する公的財政支出は半分、GDPで考えても半分以下だが、そういうことが全くこれからということだ。国立大学協会としては「文部省案」に簡単に賛成とか反対とかいう議論に煮詰めることはできていない。私も先ほど本間さんが言われた通り、日本の高等教育・研究をどうするのかという視点で設置形態の議論を進めるべきだと考えている。
- 司会:今、阿部さんから国からの財政支出という問題が提起された。そのデータをこちらに用意した。
(高等教育費の公財政支出)
| イギリス | ドイツ | アメリカ | 日本 |
対国民所得比率 |
1.8% (95年度) | 2.0% (95年度) | 1.4% (94年度) | 0.9% (96年度) |
対GDP比率 (94年度) | 0.7% | 0.9% | 1.1% | 0.5% |
- 司会:この数字はどうか。石さん。
- 石:確かに国際比較すると低く出ているし、それは事実だと思うが、私の見るところ、法人化しようがあるいは国立大学のままで残ろうが、国の財政事情を考えると減らざるをえないだろう。問題はどういう形で大学に自由に使わせてもらえるのか、がこれから出てくる話だと思う。「文部省案」については、その評価はどこの大学も機関としてはやっていないので、良い悪いはあくまでも我々の個人的な発言でしかない.一般論的に言うしかないという制約がある。ただその中でも、阿部さんのいわれた線で議論をしても良いと思う.第一歩、法人化を議論する叩き台としてそれなりに耐えうる内容を持っていると思う。先ほど蓮實会長がいわれたように「通則法」の世界では法人化を考えない、学問の自由、研究の自由、大学の自治があるのだから特別措置で考えるとはっきり打ち出しているのだから,不確定な問題は多くあるが,詰めていけば良い。確かに予算も不確定だし、「目標」の立て方,「評価」の仕方など、疑えばいくつか非常に心配なことはある。これから大学、文部省、関係者が集まって一つ一つ明確にしていけばいい.それで将来どういうふうに持っていったら良いかという議論をやっていかなければならない。
- 司会:次に本間さん。
- 本間:私も9月20日に出された文部省の素案というのは、9月8日に出された国立大学協会の「中間報告」をある意味で丸呑みにしたもので、それなりに十分に大学の特殊性というものを考慮していると思うが、この問題は3つの次元できちんと整理しなければならないだろう。一つは理念論として大学の教育・研究環境をどう考えるのかということ。もう一つは組織体としての狭い意味での行政的な効率性の問題と、大学の教育・研究のパフォーマンスという広い意味での効率性の問題を、どういう組織であれば最も追求できるかという問題。三番目は阿部さん,石さんがいわれた,国立大学の教育・研究に対する国家のお金の出し方、量の問題。これがまだ今の「素案」の中身では,石さんは疑えば疑わしいといわれたが,我々は疑心暗鬼になっている.ここをきちんと透明性のある形でやっていくことが今後非常に重要なポイントになってくるだろう。
- 司会:後ほどその部分はじっくりと議論したい.佐和さん。
- 佐和:文部省の特例法というのは、結局時の流れとして法人化には逆らいがたいということで、一応法人化をした上でできるだけ骨抜きをして、限りなく現状に近いものに近づけようとしてるとしか思えない。しかし、骨はなかなか抜け切れていないと言わざるを得ない。先ほど出た,第二の評価機関について一つコメントをしたい.学者の評価、あるいは学術研究の評価は専門の近い極少数の人間にしかできない。例えば経済学についていえば、ここに経済学者が三人いるが、経済学全体について評価できる博識の天才というのはいないと思っていい。経済学も非常に細分化されていて、非常に狭い範囲、つまり自分が日頃やっている分野についてのみ評価が可能。これは別に経済学に限らずほとんどの自然科学、あるいは法学や文学についてもいえると思う。それを評価機関というのを作る、例えば今の学術審議会みたいなものを作るんじゃないかと思うが、各界の功なり名を遂げた長老を集めて、評価委員会を作る。そういう委員会がすべての学問分野を正当に評価できるとはとても思えない。もう一つ,個々の研究者の評価は、専門のごく近い人たちによって正当に評価できる。しかし、組織としての、例えば○○大学の××研究科とか、△△研究所という組織の評価は非常に難しい。個々の研究者の総和が必ずしも全体ではない。
- 司会:はやくもおおいに議論が出そうな意見が出たが、そこに入る前に一通り伺いたい.今の大学の先生方の受け止め方を聞いて、俵さんどんなふうに感じますか。
- 俵:それぞれ心配する点,反対の理由を聞いて,それなりに私もわからなくはない.ただ私たちがこの議論で中に入っていけない最大の理由は,法人化して大学をどう変えようとしているのかがよく分からないこと。私たちが国立大学に持っている希望がある、国民にもっと開かれた大学であってほしいとか、あるいはもっと生活者の視点に立った学問になってほしいとか。同時に、私は経済学者でも何でもないが、一人の納税者として,出した税金をなるべく効率的に使ってほしいという気持ちはある。いろんな疑念もあるだろうが、それをどうチェックするのかという気持ちもある。それからどんな方々が選ばれるかによって評価というのはずいぶん変わっちゃうんだろうな、大丈夫なのかしらというような心配もある。いろいろな点で我々大学の外部の人間は戸惑ってしまって、大学の中でもぎゃーぎゃー言っているんですから、私たちが中に入って何言えば良いんだろうという感じで、今日は私は皆さんの意見を聞きながら、しかし国民として、つまり納税者としては大学にこうあってほしいということを少しずつ申し上げたい、こんなふうに思っている。
<高等教育への公的財政支出>
- 司会:今、話の中で浮かび上がってきたのは,一つは国のお金の出し方、大学にきちっとお金を出してほしい、それを裏返せばタックスペイヤーのほうからどう見るか。そのことと佐和先生から評価機関の問題が提起されたが、まず国のお金の出し方の問題。
- 石:俵さんはまさに納税者の視点から、あるいは一般の世間の目から大学がどう見られているかを的確に指摘している。大学にいる人間は当然答える責任がある.今、日本経済あるいは日本社会は大きく変革した。企業も変わったし、役所も、あるいは家庭も変わった。その中で大学だけが変わらなくても良いということはない。世間に対して、どんなことを大学がやっているのかということを明確にして研究教育がちゃんと行われているか、世界レベルに伍して研究水準が上がっているか、あるいは娘や息子が大学でほんとに良い教育を受けているか、われわれ国立大学の側で、情報の開示、説明を怠ってきたと思う。改革の方向として国立大学の従来の仕組みの中で残ってやっていくのか、あるいは今提起されている法人化という仕組みまで考えてやるのか、もうちょっと大仕掛けな形で抜本的な改革にするか、議論はたくさんあると思う。いろんな形の議論があるだろうが、国立大学の中にとどまっただけの議論では世間が期待している規模、スピード等々に答えられないのではないか。
- 阿部:財政について、今アメリカをはじめ先進諸国では科学研究、学術研究、教育こそがその国の基本的な力であるという考え方がどんどん強まっている。一方、これから先進国になろうとする国、例えば韓国や中国なども研究投資というものを非常に強めている。日本だけが国内事情だけで済まされるような問題ではない。ボーダーレス化の中で大学の役割というものを十分に認識して、タックスペイヤーにも説明責任を果たし、情報開示をきちんとしながら公的財政支出を我が国も増やしていかなければならない。これは何も国立大学だけの問題ではなく国公私立大学を含んで、日本全体の行方の問題だと思う。そこを議論してコンセンサスを得ていく必要があるだろう。
- 司会:今の部分、大学から情報を発信するという一つの大きな話が石さんからあったが、一方で国立大学の側の議論を聞いていると、金は減らすな、人も減らすな、という議論に聞こえるが、国民にどう説明できるのかという気がする.そのあたりどうでしょうか、本間さん。
- 本間:これは理念論に関わる問題だと思う。いま阿部さんから話が出た通り、公的な財源を大学に許可すべきだという議論は一方では追い風としてある。国家戦略として科学技術というものが非常に重要な要素になってきた.もちろん戦略的に効果的に金を使っていくということが重要なポイントだと思うが.一方でわれわれは少子化という状況の中で,今までどおり財源的に金を使うべきなのかという議論はあるだろう。新たな時代状況の中で、科学技術はもちろん、必要とすべき社会経済の変化に対して,高等教育をちゃんと担っているのかという指摘も出てくるだろう。われわれは非常に狭い意味での研究を重視してきたという側面があるから、知的レベルが上がってきて国際化が進んできたときにまさに教育の競争というものが起こってきて劣化しているのではないか。これをどうやって高めていくか、われわれは全体的に,プラスマイナスを含めて総合的に評価していく必要があると思う。先ほど石さんがいわれた通り、大学はこれまで社会に対してぜんぜん情報公開もせずに、いわば「象牙の塔」的な部分がやはりあったと思う。国民の要請に対して鈍感でありすぎたということは否めない事実だと思う。しかし、大学の中でもそのことに対する反省が今起こってきている.新たな時代状況、21世紀を踏まえた上で,どう改革していくかということを前向きに捉える動きはあるのだから、萎えさせるような改革ではなく、われわれのモチベーションを高めて,今までの問題はきちんと総括する、国もそれに対して応援して欲しい、という両者の合意の中で進んでいかないと、建設的な議論はできない。
<大学はどう変わるか,大学の自治、学問の自由は>
- 司会:大分具体的な問題点が浮かび上がってきたと思うが、ここで「独立行政法人」化されると国立大学はどう変わるかという点に話を進めてみたい.三つの視点から考えていきたい。一つは大学の自治、学問の自由は守られるのか、あるいは国の管理が強まるんだろうかという点。二つ目は大学の教育と研究に効率化という考え方はなじむかという点。そして三つ目は受益者である学生や国民にどんな影響が出てくるのかという点。
まず第一の視点から議論していきたい.「独立行政法人」になると国からのお金が自由に使えるようになる.その代わり使い道や使った上での成果を問われることになる、これによって大学の自治、学問の自由はどうなるのか.佐和さんは国からの管理が強まると危惧されているが。
- 佐和:成果を何で測るかということが問題だ。歴史的に言えば所得倍増計画以来、この国では学問や科学の価値を有用性、役に立つか立たないかということで測るという傾きが非常に強い。所得倍増計画というのが昭和35年、これから日本はどんどん工業化を遂げて成長していかなければいけないということで、特に理工系の,それもきわめて役に立つ分野をやっている人たちに、ものすごい財政的な支援が与えられた。以来、時代は既にポスト工業化に向かいつつあるというのに,日本経済は今一つぱっとしない。その一つの理由は、人文科学や芸術を極度に軽視してきたせいだと思っている。つまりソフトウェアが弱い。そういう意味でこれまでの学術政策を改めてもらいたいということをかねてから主張してきた。ところが、今回の「独立行政法人」化の「素案」を見ると、有用性によって学問を評価しようとする傾きがより一層強くなりそうだ。この点を非常に懸念している。例えば純粋数学、理論物理、そして文学研究、歴史研究のように,すぐには役に立たない研究をしている人はいっぱいいる。そういう人たちが「独立行政法人」化を一番懸念している。
- 石:佐和さんの懸念はわからなくもないが、今回の法人化の一つの特色は,先は分からないが、当面は今までどおりの予算規模をくれて大学の責任で配分すると言ってる。キャッチフレーズは自律性、自主性、自己責任。大学が従来の学問体系の中で人文とか芸術とか基礎科学など、役に立たない学問だからといって切り捨てたら自殺行為だろう。ある程度,国が予算的にはみてやる、全部外部資金でやるわけではない.儲かったところだけが発展するという仕組みではない.佐和さんの懸念も分からなくもないが、この点は今回の文部省の素案の仕組みでうまくいくのではないか。うまくとは言わないまでも、少なくとも従来どおりの線でいくのではないかと考えている。
- 佐和:評価機関次第ではないか。
- 石:そう、評価機関のこともある。始まる前から疑心暗鬼で決着はつかない。試行錯誤の時期がかなりあるだろう。でも一応学者がやるのだから。
- 佐和:数人の学者が、あるいは十人でも二十人でもいいが,集まって、あらゆる専門領域を正当に評価できるかどうかという問題だ。
- 石:日本だけができないというわけはない。他の国はやっている。
- 佐和:それは専門家がやっている。
- 石:そういう専門家を呼べば…。
- 佐和:山のような数の委員が必要になる。
- 俵:それも困る。そんなことにまたお金使ったんでは。税金がもったいない。
- 本間:この問題では、マクロ的視点とミクロ的視点を区別しなければいけない。高等研究教育に対して公的な財源保障をどうするのかという問題と、その結果として各分野に対して評価を通じてどのようなインパクトを与えるか、これは区別していく必要があるだろう。前者に関しては財源的な保障をしっかり与え,これからの戦略的な考えや、自然科学の基礎的な部分ではパラダイムが変わることも十分に考えられるわけで、そういうベーシックな部分にお金を充当できるようにすべき。しかし、ミクロなレベルでは、大学の中でも利害が対立する問題で、大学が自由と独立を前提にして,社会に対してどう哲学的、コンセプト的にアピールするのか、というのは重要な一つの選択肢になるだろうと思います。一方は実学的にいく、他は芸術とか文化に重点を置くというように、結果的に受験生や国民の評価を得てどちらが評価されるかは、中長期的に,タックスペイヤーから試験を受けているという判断をとるべきだと思う。
<効率性とは>
- 司会:早くも第二の視点、効率性ということまで入って来ていると思うが、そこを踏まえて…。
- 阿部:学問の自由という点だが、これは必ずしも「独立行政法人」化の問題ではなく、現在でも,はやりの学問に対してはどうしても陽があたる、あるいはアメリカ等に比べて遅れている分野でそれが産業化に結びつくのではないかという部分に対しては集中投資がされる、いわゆるキャッチアップ型、後追い型の分野に対してお金が入りやすいというのは構造的な問題もある.これは国立大学のままでいったとしても,長期的視点に立った評価をしていかないと、本当の先進国の一角を占められないだろう。「独立行政法人」化の議論がどうなるにせよ、きちんと日本が考えていくべき部分だ。
効率化については、もちろん大学が非効率であっていいわけは全くないが、「独立行政法人」化でもう既に現在「個別法」が動いている分野、機関でも、国立研究所などと定型化された業務だけをやっているところでは効率化の内容は全く違うと思う。それをいっしょくたにしてしまうと,本来の業務が死んでしまうので、特性に応じて必要な効率化ということを議論していく必要がある。一律に、あるものさしを当てはめるとその良さまで殺してしまう.そこがこれからの緊急かつ近未来の課題だろう。
- 司会:紹介した第一の点、第二の点を含めて議論していくと、一体国民の側にどんな影響があるのかという点が気になるが,俵さん、今の議論をお聞きになって。
- 俵:大学の研究教育に効率化という視点が良いか悪いかという議論だが、私たち大学の外にいる人間でも、星の研究している人とか、インド哲学やっている人がいて、それが効率的にどうだと評価をするのは難しいだろうというのはわかる。大学の方がこれは大事な研究だということで、もっと情報公開をして国民を味方につければ,応援するのはやぶさかではない。いまは大学だけの問題みたいに中だけで議論されていて、私たちは外野席に置かれているという状態だが、私たちも応援できる部分はある。
もう一つ、効率化をすると全部が悪いのかというと、民間企業で働いてきて、そして今民間企業を経営している私としては、全部が悪いということはないだろうと。例えば文部省の「素案」をちょっと見たが、大学の定員なども少しは自由に裁量がきくようになるようだ.もう一つ面白いと思ったのは,例えば予算でも、私も中野区の教育委員で教育委員会の費目別の細かい予算配分には疑問を持っていた。それで校割り予算を作って、各学校で自由に使ってくださいというのをやったら各学校ですごい喜ばれた,そういう要素もちょっと含まれているような気もするが。予算を一括してもらって、割と自由に皆さんの裁量で自由に使い道が決められるのなら大学に個性が出てくるのではないか。国立大学99が全部同じ顔になってもらわないほうが私は良いわけで、個性があって国民に広く開かれた教育しようとする大学もあってほしいし、この分野に関しては国際競争力で世界一だという…。
- 佐和:私は10年以上前に、国立大学を都道府県に移管せよという提案をしたことがある。もちろんお金は国からいくわけだが、そうするとたとえば大分大学は、よし教育立県だということで、例えば大学の教官の給料を東京大学の二倍にするとか、すごい優秀なスタッフを揃える。そうすると学生も集まる。それからたとえば富山大学は薬学に力点を置こうというわけで、その分野の研究者にしてみれば喉から手が出るほどほしい設備が整っていると。そういうふうな創意工夫を発揮させるということが必要だ。しかし、それが法人化することによってのみ可能であるかのような議論が問題だ。北海道大学理学研究科の栃内さんという人がある本の中で大変に面白い表現、比喩をされている。「土台にぐらつきがある家の問題解決のために、二階のベランダを改築する話をしているようだ」と。ぐらつきがあるというのは一番最初に言ったように、日本の大学の組織としての国際競争力は極めて弱い。例えばいろんな分野で世界の大学のランキングをつけたら、100位以内に日本の大学が入る分野というのは非常に少ない。それほど研究のレベルが低い。それを直さなくちゃいけない。それから教育の内容も決して良いわけではない。それも直さなくちゃいけない。その時に、ぐらつきをあたかも二階のベランダを改築すればぐらつきが直るかのような議論がされている。
- 石:そのぐらつきをどういう手法、どういう戦略でするかという時に、法人化というのも一つの選択肢になってきている。
- 佐和:一つの選択肢だ。
- 石:だから、国立大学のままで良いかという議論をこれからしなければならない。今のまま、国立大学のままだと,いま佐和さんが言われたような問題提起に答えきれない部分もあるだろう。そういう意味でこれからやるべき点は、確かに佐和さんの言われた第一の点、私も賛成だ。地方の自治体まで巻き込んで、地方の大学の活性化を図れば地域住民にとっても国民にとってもいいだろう。ただ、いまは法律で禁止されている。地方の国立大学の先生が「独立行政法人」化に対して反発が強いのは、地方の大学だと潰れてしまうという心配を持っているからだ。ある学長が言っていたが、東京大学が潰れても東京は何も変わらないだろう、しかし一軒しかない大学が潰れたら文化の発信地もなくなってしまうだろう、だから大変だと.それだけ必要な大学だったら,今回かなり大きな改革を考えているのだから,コミュニティや地方自治体が支えるという仕組みもやったらいい。いろんな形で仕組みを変えるれば、佐和さんの言うぐらつきを直す選択の幅は広がる。
- 司会:選択肢が一つか、それともたくさんなのかというところに議論が広がってきたと思うんですけれど本間さん。
- 本間:今まで、効率性という言葉が定義されて使われているのか私は気になっている.一つは,例えば事務的なマネジメントの部分は私立大学に比べて国立大学にはたくさんいる一方,学生に対するサービスがそれとの対比で言えば悪いという議論の中でのベースの部分、露地のところでの効率性の問題。もう一つは規制とセットになって,お金の使われ方、俵さんが言われたようにわれわれには全部細目に至るまで自由度はない。そのことが目的に対して使われ方として良いのかどうかという効率性の問題。三番目は佐和さんが問題にしている通り、部門、例えば理学部の物理で今まで学生数と職員、教官数でこうやって配分していた部分と、理学部ではここが強いので重点化してお金を差別的に扱うほうがマクロの理学教育、あるいは研究にとってというプラスだというアロケーション、配分の問題。
今の国立大学と「独立行政法人」化した場合の自由度の問題、このままいった時にどこまでやれるのかということと、変えた時にどこが危惧されるかということ、変えた場合に自由度と裁量性をどうやって担保していくかという問題をはっきりしないと、議論がなかなか噛み合わないのではないか。
<国立か法人化か>
- 司会:その際国立なのか、「独立行政法人」化していくのかということに分かれるかと思うが、佐和さんは…。
- 佐和:確かに今、日本の国立大学は法律でがんじがらめになっている。何かしようと思っても、例えばある分野を重点的にやろうと思ってもそれに対して歯止めがかかる.しかも各国立大学に文部省から、たとえば京都大学なら課長以上のほとんど全員が文部官僚から来ている。それで絶えず見張っているという感じで、そういう監視のもとでなかなか自由な事ができない.創意工夫を発揮しようとしても法律的に認められない。ということで国立大学のままで規制を緩和する、もっと自由度を持たせるという事で改革を試験的にやってみるという道もありうると思う。
- 司会:あくまでも国立大学のままで…。
- 佐和:いや、国立大学のままでおくべきだと言っているつもりはない。法人化というのが理由もなく、あたかもベストの回答である、あるいは大前提であるかのように議論されることはおかしいと私は言っている。
- 司会:その点、石さん。
- 石:今、選択肢は色々あると思うが、自己改革をして、世間から言われているさまざまな大きな改革を大学がやらなければいけないという時に、国立大学のままで展望が開けるかという事も考えてみないといけない。佐和さんは独立法人というのはたった一つだと考えているようだが、まだ「個別法」もできていない.さまざまなバラエティがある法人化で、ある時ある方向で決着をつけないといけないのかもしれない。国立大学のままで残るのか、あるいは改革のために自由と責任を全うするために法人化しても良いとするのか、これはこれからの大学人の議論だと思う。ただ一つ重要な事は、俵さんが先ほどおっしゃっていたようにこれからは国民の側で大学を選別する。18歳人口が250万人というピークから半分ぐらいになる。2009年には全入時代だから,大学を選ばなければ何処にでも入れるような時代になつ.その時に人気のある大学、行きたい大学というのはあるだろうから、そうでない大学はどんどん定員割れという事になる。そうすると教育に対して熱意を持って、良いカリキュラムを作って、良い先生を集めてというような行動が自由にできる方がその大学にとっては将来的には良いかもしれない。国立大学のままで文部省にいって、自由度をくれと言っても,ある程度限定付きの自由でしかない、という心配を持っている。
- 阿部:「独立行政法人」化した時にどうか、国立大学とはどう違うのかという議論は大変難しい。というのは「独立行政法人」化といっても,スタンダードとしては「通則法」にがんじがらめの「独立行政法人」化だが、これは文部省も「特例措置」で、「通則法」の大学に合わない部分を変えようとしている.その変え方にも,限りなく現在の「通則法」に近い方から、「通則法」を大幅に変えるところまでいろんな選択肢がある。それによって中身がものすごく違ってくる。選択の仕方によっては国立大学の方が良いというソリューションもあるだろう。「通則法」にがんじがらめの「個別法」に支配されることになったらマイナスばかりが大きい。それをいっしょくたにして「独立行政法人」化したらという議論は非常に困難だ.現実的な選択肢として,仮に「独立行政法人」化が避けられないとしたら、「通則法」を乗り越えるためにどれだけ大学にふさわしい、我々の子孫に対して一番プラスになるような「特例法」なり「特例措置」を設計していくか、という事ではないか。
- 司会:設計として、例えばこういうことが確保されなければならないという部分は。
- 阿部:大変難しい.国立大学協会の第一常置委員会に、総会で付託された事項もまさにそこだ.本間さんが言っておられるように,日本の学術研究、高等教育をどんな方向に持っていくかという事、どうしても必要な要件は一体何か,あまり細かい事を述べるのではなく、骨太いところで何が必要なことなのか、何が絶対外せないかという事を議論しようしている.非常に難しいことを負託されているわけだが、これを緊急にやらなければと思っている。
- 司会:将来の大学像というのはまた後ほど議論する事にして、俵さんはもともと大学は民営化すべしという考え方だと記憶しているが…。
- 俵:佐和さんの,各地域で国立大学を止めて、もちろん国からの予算は取って、そういう考えの人が大学の中にもいるんだと思い嬉しい。私たちは本当の事を言うと、国立大学が本当に必要なのかどうか,良く分からない。法人化も含めて今のような国立大学が必要なのか、それとも各地域で文化の中核を担っているような、いうならば地方分権、地方自治に基づいた大学の形が理想なのか、それは実はよくわからない.15年ほど前に臨教審で中曽根さんが大学問題を含めて議論した時に、私たちはすぐには国立大学否定というところまでは行かなかったが、国立大学の存在意義というものについてはまだよく分からない。ひょっとしたらなくてもよいのかもしれない、各地方それぞれに文化の中核、学問の中核を担うような大学が、公立大学として、あってほしいという事は述べた。同時に大学の改革と言っても、法人化でこれだけもめているのだから、なかなか簡単には大学の改革というのは難しいだろうと。だから当面あまり大きなこと、土台を全部変えるにはどんな議論をして、どんな手続きをすればいいかはよく分からなくて、とりあえずベランダからでも窓からでも直せるところから直してくれないだろうか、という提案をした。その中で私たちの持っていた視点は,国際競争に追いついてリードしていくような役割だけを国立大学に求めているわけではなく、いろんな個性があって、うちの子供は何県にあるあそこの大学がいい、あの大学の気風が好きだからやっぱりあっちへ送りたいとか選択ができるのがいい.今は何もできない、偏差値だけで決まってしまっているから。そういう方向での改革はできないのか、そういうことを考えている。
- 佐和:関連して。今、大学の機能は一つは教育、一つは研究。教育に関しては、立派な教育をしている私立大学がいくつもある.そのことから明らかなように教育に関しては法人化する事はなんの差し障りもない。ところが、研究に関しては、先ほどのインド哲学とか純粋数学というような研究は、99%国立大学でなされている。言い換えれば、私立大学では,役に立たないような学問の研究はあまりやられていない。日本が基礎科学とか、例えば医学でも基礎医学の方で、そういう分野の研究で世界に誇れるものが仮にあるとすれば、少なくとも過去の業績に関する限りは国立大学のやってきた事。法人化が仮に、日本の国立大学を一歩か二歩私立大学に近づけるという措置であれば、基礎研究がどうしても隅に追いやられてしまうことはほぼ確実。産業界の好みもある。インド哲学の研究なんかに、十分お金を出すという事は考えられない。そういう意味で国立大学は、それなりの役割を果たしてきたと私は考えている。
- 俵:一つ質問が。先ほど公費の支出、国費の支出のイギリスとドイツとアメリカと日本を比べていたが,その中で、もう国立大学を法人化している国はあるのではないか。全部法人化しているのでは。だとすれば法人化すれば国の支出が減るという心配は国策次第ではないか。
- 阿部:確かに先進各国の大学はみな大体法人格を持っている。大学が法人格を持つという事はいろいろなメリットがある。しかし,それと今制度設計されている「独立行政法人」とはものすごく違う。ですから一般論として大学にふさわしい、タックスペイヤーから見ても子孫から見ても大学がもっと活性化する法人化というものがあれば私は賛成だ。一般論としての法人と「独立行政法人」とは違うというのが難しいところだ。
- 本間:諸外国で法人格を持っているのはそのとおりだが、現在法人化といわれているのは,いわゆる「エージェンシー」化、政策立案の部分と現業の部分を分けてやろうという事で出てきた。大学のもともとの法人化というのとは全く違った議論から出てきたということに不幸がある。政策立案と現業を、教育と研究で分けてどうすのか。そんな事は出来ない。そういう意味で,各国の大学の形態として許されている法人格であれば、国立大学との選択での関係のなかで進むべき道はあるかもしれない。しかし、その描くビジョンが無いのに、はじめからこちら側にあるという事を前提にして議論されると,我々は非常にアレルギーがある.という事でいろいろその有り様について議論しているというのが実際のところ。これは我々が反省すべき点だが、国立大学は、抽象的に東大とか京大とか阪大とか一橋とかイメージはあるが、一般の方々から見れば何処にどんな特徴があるかというと,ほとんどない。そういうことが国民の前に明らかにされて,評価というものの一般的な形で、客観的な形で、実学的な部分だけでなくてもっとベーシックな、人類にとって非常に重要な部分のところについては、公共財としてどのように担保していくかというのが一緒にセットにされていないと、今まで我々が営々と培ってきた最もベーシックな日本の大学の教育研究の部分がなくなってしまう。これは日本にとってはきわめて危険な事じゃないか.制度設計をきちんと事前に十分に行うべきだというのが、我々大学人としていま問題提起をしているところだ。
- 司会:石さん、異論が…。
- 石:異論ではなくて同じ線の議論だが、今の議論をまとめると結局、国立大学は要らないのかという番組タイトルの話になる。私は国立大学が果たしてきた役割が二つあると思う.一つは授業料を税金を投入してきた分だけ少なくして低所得階級の、あるいは地方のなかなか都会に来られない人のためになってきたわけだが、これは今回守られると思う。というのは多分ある程度上限はかかってくるので、私学並みに高めないと思う。第二点は,佐和さんが出した、あるいは本間さんも触れた,基礎研究がどうなるかということ.今回私が強調したいのは,例えば産業界からインド哲学にお金が来るという制度ではない。一応国家予算で面倒を見ると言ってる.ただ面倒の見方が将来減ると心配する方もいるだろうし、評価が曖昧だと言う方もいるだろうが、逆に自由度を持って、自己選択で自己責任で特色のあるところに金を流せるというメリットがあるというのは、これは多分本間さんと同じ意見だと思うが。はなから、私立大学の方へ行っちゃったら途端に基礎研究がおろそかになって日本の基礎研究が遅れるとは私自身は思っていないが。
- 佐和:私立大学で現になされてないという事を言いたい。
- 石:法人化されたらいろいろな形で可能性が与えられるという事だ。
- 佐和:しかし5年計画を立てて、その計画の達成度を評価機関が評価するということになると、日本の文部省自体が有用性の尺度から学問の価値を測る性癖があるわけだから,(石:そこは信頼度の問題だ。)基礎科学というか、無用の学はどんどん隅に追いやられてしまうのでは。
<21世紀の大学>
- 司会:その部分での論争は尽きないと思うが、ここで「独立行政法人」化の前に、そもそも大学はどうあるべきなのかという事を議論していきたい。21世紀に今の国立大学がどうなっていくのか、これまでの大学改革論議を聞いていると,今あるものをどう変えていくのか、いわば改訂主義のようなものだが、今まさに迫られているのはこの先の大学像、理想像をどう描くのかということだろう。ここでは10年、20年先はもちろん、百年先に大学は、という事を踏まえて、これからの大学改革についてどういうふうに物事を考えていったら良いのかを議論していきたい。まず東京にある5つの大学で連合して教養教育を行うという構想を打ち出している石さんの方から口火を切って…。
- 石:別に教養教育に限ったわけではなく、5つの大学は根が単科大学で、自然科学、社会科学、あるいは医学と、各々専門分野を持っているので足りない部分を補うという発想。合併ではない。そこで学生の選択も広がる.他の大学で講義を受ける、共通で講義をする、編入学、学士入学する,教官も共同研究や外部から研究費で大きな世界的な研究を進めるといった、学長の夢のうちを夢で語っているうちにマスコミ先行的に情報が流れて今混乱しているところ。ネットワーク化,連合,提携という動きは,もっと出てくると思う.21世紀の一つの大学のあり方として、考える余地はあるだろう。
- 司会:その先、20年、30年先にはどういうふうな…。
- 石:平凡だが大学の自治や学問の自由というのを大前提にして、研究でいえば世界の中で伍して戦えるレベルまで研究水準を上げるような形にしたい。教育については、国立大学というものは,あるいは私学も含めて教育サービスに関しては負い目を感じる必要があるくらいだと思っているので、これから本格的に良いものにしていかなければいけない。この二つについては連携は非常に効果があるのではないか。
- 司会:阿部さんどうでしょうか。
- 阿部:冒頭で1886年、東京帝国大学ができたと紹介された。私どもの大学も明治にできているが、当時は西ヨーロッパの大学をモデルにして作ったに違いないので,日本の大学もヨーロッパの大学もかなり似ている部分があったろう。もちろん日本は文物の輸入など後進国としての使命はあったと思うが、それから大学は非常に発展して今日に至っているとは思う。なおかつ大学の教授陣の中で国際的にまさに優れた仕事をしている方は多数おられる、パーセントはともかくとして。しかし、佐和さんがいわれたように組織としての大学は非常に弱くなってしまった。ヨーロッパ、欧米の大学との差が非常に大きくなってしまった。これからボーダーレス化がどんどん進んでいくわけで,教育における国際通用性とか日本における国際的な研究の水準の維持向上などは,まさに国立大学と一部の私立大学が負っていかなければならない.何十年もたてば分布も変わってくるかもしれないが,現在は。アメリカでは,ナショナル・ユニヴァーシティと言うのは決して日本で言う国立大学でなく,国全体、全米レベルで維持している大学を言うので,再編成はある将来は出てくるだろう。そういう意味で、今の国立大学のままで残るかどうかと言う事は別にして,国立大学の役割はいつまでも存続するのではないか。。
- 司会:国立大学というのは…。
- 阿部:国立大学がやってきた役割というのは必ず残ると。それをもっと強くしていかなければいけない。いくつかの私立大学も同様にそれを負ってくるのではないか。
- 司会:そのために国立大学というのをどう変えていく必要があるか。
- 阿部:国立大学は,そういう認識を強く持っていく事がまず重要。地域の問題とか教員養成大学の問題とかいろいろあるが、私は特に国際的な研究に焦点を当てて述べた。
- 司会:本間さんどうでしょうか。
- 本間:お二人が言われた問題、国際的に通用する研究教育をどうやって早期に達成していくか、ということに尽きるだろうと思う.今技術にしても科学にしてもあるいは人々の考え方にしても非常に揺らいでいるのが今の日本の不安感につながっているわけで、価値体系の再構築というような観点から言えば、我々は戦後どちらかというと狭い意味での技術の部分のところに重点化し、ハードで対応できるというような思い込みがあったのではないかという気がしている.人文社会科学の先生方は紙だけあれば良いというのが少し強く出過ぎたという感じがする。総合力としての大学の教育研究をどう高めていくかというのも重要な論点ではないか。第二番目は社会が何を求めているのか、これは実学的にということだけでなく、我々がいままで予算の中で扱ってきた分野が,新たな時代に必要とされる研究をカヴァーできていない現状がある。そういう点で我々は柔軟に社会の研究すべきテーマについて対応できるような組織体制の柔軟化というものを早急に実現しながら,社会に対して答えを出していかなければならないだろう。三番目は少子化の流れの中で、われわれ自身が本当に今までの大衆教育型の教育でいいのかどうか精査をしながら,それぞれの独自ある教育を各大学で模索していく、そのことが社会全体の中でのニーズにマッチしていくのだろうと思う。
- 司会:佐和さんどうでしょうか。
- 佐和:私は、21世紀の大学というのは産業界の、産業のための人材養成機関という色彩をもう少し薄める必要があると思う。もう一度、知の復権ということを図りたい、図るべきだと思う。それは決して産業界にとってはマイナスではない.本当に知性のある人間の育成ということに大学が重点を置くことによって、むしろ産業界にとっても国際的に通用する人材が養成されると思う。先に法人化すると実学の方向に行くと言ったが、これはほとんど当然のことだと思う.石さんとは意見が違うが。そういう意味でそこに一つの危険を感じるし、21世紀の大学は今は無用だと思われている学問にもっと力点を置くべきだと言うことを言っておきたい。
- 司会:その際国立大学はどう変わるべきだと…。
- 佐和:国立大学は最初に言ったように、どう変えても今よりも悪くなることはないわけだから、改革が迫られていることは事実。21世紀の大学としての組織のあり方は今とは大きく変わっていると思う。
- 司会:俵さんいかがでしょうか。
- 俵:研究の分野ではいろいろな意見が出たが、割合発言が少なかったのは国民の教育という分野について、国立大学が今ある存在の形で良いのか、冒頭の「お受験」殺人が起きるような中で、国立大学が何かできることがあるのではないか、そういうことも含めて今度の大学改革の議論に加えていただきたい。納税者でもあり、同時にそこに子供を入れる、あるいは自分自身もこれから勉強するかもしれない立場の人間として、国立大学のあり方が日本の教育をどういうふうに歪めているかいないか、その議論も加えていただきたい。
- 司会:ありがとうございました。今日は国立大学はいらないのかと題して国立大学の「独立行政法人」化の是非について5人の方々と議論を進めてきた。問題が多岐にわたり、一つ一つの問題を深めることができなかったかもしれないが、「独立行政法人」化の問題点、これを入門編的には理解いただけたのではないか。今日のように国立大学の関係者が集まるとたちまち白熱した議論ということになるが、国民の関心からすると今一つ「独立行政法人」化の問題、盛り上がっていない。大学教育が変わらないから高校までの教育も変わらないのだ、という議論をたびたび耳にする。その大学教育が「独立行政法人」化の議論の中で大きく変わるかもしれない。また、今日の議論でも出てきたように、日本の科学技術、学術研究の水準は将来どうなるか、それが国民生活にどうはねかえってくるのかという問題でもある。そうした意味で大きな関心を持ってこの論議を見守って欲しい。そのために、大学の関係者には,たびたび指摘されたように、具体的でわかりやすい論議を期待したい。何にもましてコップの中の争いにとどまらず、大学全体を見据えた改革の論議を期待したい。
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