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声明

自民党文教部会提言(5月9日)には大学の未来は託せない

 自民党文教部会・文教制度調査会・高等教育研究グループは、3月30日に「提言 これからの国立大学の在り方について」(以下「提言」)を発表した。そして、党内の行革推進本部との調整を経て、5月9日に文教制度調査会として改めて「提言」を発表した。
 この「提言」は、連立与党の一政党内のまだ党としての決議を経ていない、いわば「たたき台」である。しかし文部省は、この提言を受けて5月中に国立大学設置形態に関する案をまとめ、5月26日の国立大学学長会議で提示し、6月13日の国大協総会で国立大学の合意を得る方針である。すなわち、「提言」が今後の独法化議論に大きな影響を与えるものと推測される。この「提言」に対しては、「国公私立大学を通じて高等教育、学術研究に対する公的投資を拡充する」との文言が含まれていること、またマスコミの多くが「大学の自主性に配慮」と報じたことなどから、この提言は大学の意向が汲み取られたと楽観視する一部の声も聞かれる。しかし、「提言」の内容は「独立行政法人通則法」の域を出ず、それどころか極めて安直な高等教育像に基づく大学運営方式の見直しを提案しており、到底容認できるものではない。したがって私達は、「提言」の問題点を指摘し、自民党と文部省が先導しつつある独法化の議論に注意を喚起するとともに、改めて独法化通則法が大学の設置形態とは相容れないことを強く主張するものである。

  東北大学における「提言」の扱いに抗議する

 先ず「提言」の内容に入る前に東北大学における「提言」の扱いについて抗議したい。東北大学は4月の評議会において「提言(3月9日)」を紹介し、その後多くの部局において各研究室に何の注釈もなく配布した。前述した通り、一政党の「たたき台」である「提言」を何の注釈もなく配布したことは、国家公務員法違反にも問われかねない極めて不見識な行為であるだけでなく、国大協の提言もしくは東北大学の提言との印象を与えるなど、私達教職員に様々な誤解を与えることとなった。内容以前の問題として「提言」のこのような不適切な扱いに対し厳重に抗議するものである。

これが日本の高等教育像なのか?
「提言」の示す3つの方向


 「提言」では、「はじめに」において、「(独法化)問題が、「大学改革」ではなく「行政改革」の議論の中から提起されたことに、関係者は強い警戒感と不信感を隠さない。」とし、国大協や大学関係者からの問題提起を受けとめたかに見える。しかし、記されている提言内容は、極めて安直なものであり、多くの問題を含んでいると言わざるを得ない。
 「提言」は、21世紀の日本の大学が目指すべき方向を「3つの方向」として以下のようにまとめている。
1.「国際的な競争力を高め、世界最高水準の教育研究を実現する」
2.「大学の個性化・多様化を進める」
3.「教育機能を強化する」
 これらは大学審答申(98年6月)の中心的課題でもあった。そしてこの3つの方向を実現するために、
1.「競争的な環境を整備する」
2.「諸規制の緩和を推進する」
3.「国公私立大学を通じて高等教育、学術研究に対する公的投資を拡充する」
という「3つの方針」を掲げている。すなわち、「提言」にある学術研究・高等教育像は、研究面では、大学の種別化と研究基盤の集中化によってスクラップ&ビルドを行い、生産性の高い分野の研究を推し進める、教育面では、研究を専門業務としない大学において「社会や国家へ貢献」する人材を育てる、というイメージである。しかしながら、生産性の高いと考えられるような先端分野も、基礎研究を中心とした非常に広い裾野が必要不可欠であること、研究と教育が一体となってこそ、研究も発展し、学生の向学心も高揚させられるという認識が全く欠落している。高等教育の目的は、「広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究」することであるが、ことさら研究者の資質が問われている今日においては、人格の育成そして科学者の責任意識を涵養することが重要である。
 「3つの方針」の「公的投資」について、「提言」では欧米諸国並みの水準を求めている。しかし、その具体策は示されていないどころか、政府与党内には強い反対がある。このような「空手形」を担保に大学を「売る」ことはできない。

大学の自治は障害物なのか

 「提言」は「国立大学運営の見直し」という章において、

1.「護送船団方式からの脱却」
2.「責任ある運営体制の確立」
3.「学長選考の見直し」
4.「教授会の運営の見直し」
5.「社会に開かれた運営の実現」
6.「任期制の積極的導入」
7.「大学の運営に配慮した規制の緩和」

 を打ち出している。これらの項目は、「適任者が学長に選ばれていない」、「教授会が殻にこもって既得権の擁護に汲々とし、・・全学的な課題にまで硬直的な対応に終始している」という現状認識に如実に表れているとおり、現在の大学に対する強い不信感に根付くものである。大学の自治と学問の自由を大学改革の障害物として捉え、かつそれらを敵視する自民党の「提言」起草者の思想が露呈したと言わざるを得ない。
 「提言」は大学運営についての内的諸問題に対する解決策として、規制緩和論、リーダーシップ論に基づくトップダウン式の運営方法を提起している。しかし、中央集権的なトップダウン式の運営が、あらゆる組織において最も効率的であるというのは浅はかで非科学的な発想である。今日の大学に課せられた任務の重大性と求められる専門性を想起するならば、そうした組織のトップがあらゆる場面で適切な判断を下すことはほとんど不可能である。必要なのはリーダー自らが組織全体を牽引することではなく、分権化を徹底させ、組織のメンバーを支援し、組織が基本的な方向性を見誤らないように舵取りすることである。
 3つの方向、3つの方針およびこのような運営方式の見直しは、大学は、国の政策を推進するために、またそのための人材を育てるために存在し、政府が管理指導すべきものであるという認識に立ち、大学教職員をその任務を遂行する従業員であるとみなすものである。大学設置形態についてもその考え方が貫かれ、通則法の枠内での「独法化」が以下のように提言されることになる。

調整法 = 通則法の域を出ず

 「提言」は国立大学の独法化について「国から独立した法人格を与えることの意義は大きい」と、未だに「法人格の賦与=独立性の確保」という幻想をふりまいている。独立行政法人は実際には「評価、中期目標、人事」を通した多様な介入が前提の制度であり、独立性が確保されるどころか、自由度が激減することは常識である。
 通則法と国立大学の設置形態の関係について、「提言」は自己矛盾に陥っている。すなわち「通則法を100%そのまま国立大学に適用することは、大学の特性に照らし、不適切である」としつつも、「独立行政法人制度の下で、通則法の基本的な枠組みを踏まえ」、「通則法との間で一定の調整を行う調整法」を提案しているのである。名称も「国立大学法人」とするなど、通則法の適用を断念したかのようであるが、調整法の中身は全く通則法の域を出ないものである(3月30日の提言は特例法、5月9日の提言は調整法と後退していることに注意)。まさに「看板のつけ替え」である。国大協が条件としている「評価」「中期目標」「人事」についても、各々「第三者機関の評価を尊重する」「大学の主体性を十分に尊重して定める」「学長の人事は、大学の意向を適切に反映しうる手続きとする」などと、極めて曖昧な表現でお茶を濁している。そもそも、教育研究活動を反映すべき大学の設置形態が、「サービスの提供」の組織形態を定める通則法とは本質的に相容れないのである。自民党、文部省は、速やかに通則法の適用を名実ともに断念すべきである。

リップサービスに惑わされてはいけない

 「提言」は最後に、地方大学の機能の一層の強化、高等教育・学術研究への公的投資の拡充を唱えている。しかし、「提言」の基本的な考え方は、大学審答申を踏襲した「競争」と「選別と淘汰」に集約されており、これらの提言はリップサービスと受けとめざるを得ない。もし本当であるのならば、「責任与党」として具体的方策を提示すべきである。さらに注意しておきたいのは、独法化と25%定員削減との関係については全く触れられていないことである。独立行政法人の組織の性質から考えると、独法化すれば定員25%減以上に厳しくなるものと推測せざるを得ない。

 以上示してきたように、「提言」は論理的矛盾に満ちており、世界の高等教育の流れに反した高等教育像に立脚したズサンな内容である。「提言」に散りばめられた「規制緩和」「護送船団方式の脱却」「リーダーシップ」といった流行語や、種々のリップサービスに決して惑わされずに、今後の国立大学の設置形態および将来の高等教育を、十分な時間をかけて真摯に議論・検討していかなければならない。私達は、国立大学の独立行政法人化にあらためて反対の意思を明らかにするとともに、大学高等教育の一層の充実に向けた運動を強化する決意であることを表明するものである。

 私達は以下の点を強く主張する。

・自民党および文部省は、憲法・教育基本法に立ち返り、学問の自由、大学の自治を尊重すべきである。
・自民党および文部省は、国立大学に対する独立行政法人通則法の適用を断念すべきである。
・国立大学協会は、「通則法による独立行政法人化に反対」の立場を堅持し、拙速な結論を出すべきではない。
以上

2000年5月24日
東北大学職員組合 執行委員会


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