ホームに戻る
2001/11/8に行われた東北大学職員組合平和問題対策委員会主催の学習会「テロとアフガン戦争〜平和解決を求めて〜」(講師 川端純四郎氏)のレジュメを掲載します。なお,文責は東北大職組にあります。
テロとアフガン戦争〜平和解決を求めて〜
主催:東北大学職員組合
2001/11/8 開催
講師 川端純四郎氏
1.テロ問題
- テロにつくかアメリカにつくかという二者択一は誤り。どちらも間違っている。
- テロを根絶するために一番良い方法は何かという問題。
- アメリカのような戦争の道か、国際法に基づいた平和的解決の道か。暴力で暴力は根絶できない。空爆はますます反米感情を激化させるだけ。
2.米ソ対決終了後のアメリカの基本姿勢の問題
- 以前は西側諸国の安定のための政治的配慮が最優先。
- 今は自国の多国籍資本の利益最優先、各国の安定には一切配慮なし。
- ブッシュ政権スタッフの軍事優先構造→今回の戦争も中東地域の政治的安定についての政治的見通しは一切なしに軍事力行使。中東の反米感情についての政治的考慮なし。
3.反米感情の背景
(1)アメリカの中東政策の誤り
イラン
- パーレビ王家とイギリスの石油利権独占。
モサデク革命(1951)でパーレビ追放、石油国営化。
アメリカのCIAによるモサデク暗殺とパーレピ復位(1953)。
アメリカの石油利権獲得。
対ソ包囲網の中心としてCENTO(中央条約機構)設立。
- ホメイニ革命(1979)によるパーレビ王政崩壊。CENTO解体。
革命の波及を恐れてイランと対立するイラク(国内にシーア派少数民族)のフセイン政権にアメリカは軍事援助。
イラクのイラン侵入(イラン・イラク戦争、1980−1988)。
- アメリカはイランをテロ支援国家と規定して経済封鎖→イランの反米感情
パキスタン
- インド内のイスラム圏として1947年の独立後、非同盟路線のインドに対する前線としてアメリカのテコ入れによってCENTO加盟。
- 選挙によってブット政権成立し(1971)、インドと和解、CENTO脱退、社会主義路線。
- 1977年軍事クーデターでブットを処刑して軍政。
- 同年ソ連のアフガニスタン侵入。
- それに対する反ソゲリラの拠点としてアメリカの支援を受けてテロリスト育成。
- ソ連撤退後は放置。
- 1999年ムシャラフ将軍のクーデターによる政権獲得。国際社会の承認得られず。
アフガニスタン
- 19世紀に英ロの交渉で国境設定(パシュトゥン人の居住地のかなりの部分を英領に取り込んだために現在のパキスタン問題)。
- 1973年軍事クーデターで王政崩壊。
- 1978年軍の分裂によってタラキ・カルマル攻権成立。
- 1979年ソ連の軍事侵攻、反ソゲリラをアメリカが全面支援、パキスタンのパシュトゥン人によるタリバンとアラブ各国からの義勇兵(ビン・ラディン)がアメリカの資金と武器によって反ソゲリラ。
- 1989年ソ連撤退。各ゲリラ勢力同士の内紛で混乱した国内をタリバンが平定。
- 湾岸戦争によってタリバンは反米に。
その国の人々の幸せよりは石油利権と反ソ政策を最優先させたアメリカの行き当たりばったりの中東政策(自国で民主主義、他国では利権のために独裁支持)が混乱の原因。
(2)アメリカのパレスチナ政策の誤り
<第一次大戦まで>
- ユダヤ人のパレスチナ追放(=A.D.70)を中心とするユダヤの反ローマ独立戦争とその敗北によってユダヤ人はパレスチナを離れた。
- その後にはアラブ人が住み着いた。しかし残留ユダヤ人も多かった。キリスト教徒も。
- 以後第一次大戦までアラブ人とユダヤ人はパレスチナで平和共存(全人口の5〜10%がユダヤ人)。
<第一次大戦>
※「イギリスの三枚舌外交」は有名な史実だそうです。
第一次大戦の中心はオスマン・トルコ帝国の解体。
- 1914第一次大戦開始。
- 1915マクマフォン協定(パレスチナにアラブ王国を約束)。
メッカのフセインの対トルコ蜂起。
- 1916サイクス・ピコ協定(オスマン・トルコ領土の英仏による分割)。
- 1917バルフォア宣言(バレスチナにユダヤ人国家建設支持)。
- 第一次大戦後の英仏による中東分割支配。
<パレスチナ紛争>
- 第一次大戦後パレスチナはイギリスの委任統治領、ユダヤ人の移民促進(アラブと対立させて分割支配)→パレスチナ問題の種を播いたのはイギリス。
- 問題を激化させたのはナチス・ドイツのユダヤ人大虐殺→大量のユダヤ人がヨーロッパを去つてパレスチナヘ。
- パレスチナ総人口の中のユダヤ人の比率。
1918(8%)
1922(12%)
1931(17%)
1944(31%)!
- 第二次大戦後アラブ・ユダヤ戦争開始。
- イギリスは委任統治を放棄して国連委託。
- 第一次中東戦争とアラブの敗北。
- 国連は1947年にパレスチナ分割決議、ユダヤ人の国家建設承認。
- 1948年イスラエル共和国建国、国連設定のバレスチナ人地域から約500万人のアラブ人追放(パレスチナ難民)。
- 1956年第二次中東戦争。
- 1964年PLO成立。
- 1967年第三次中東戦争(ヨルダン西岸、ゴラン高原、ガザ地区、シナイ半島占領)。
- 国連決議242号(シナイ返還、イスラエル国家承認、難民問題解決)。
- 1973年第四次中東戦争。
- 1974年PLO国連出席、国連パレスチナ自治権承認。
- 1982年レバノン戦争。
- 1991年湾岸戦争→ダブルスタンダードという批判(イスラエルの国連決議無視)。
アメリカは一貫してイスラエル支援(国内ユダヤ人勢力と石油政策)。
国連決議を無視し続けるイスラエルとそれを擁護するアメリカ。
(3)一面的グローバリゼーションの誤り
- 多国籍資本の世界支配。
- 冷戦終了によるアメリカ多国籍資本の規制緩和・グローバリゼーション→為替管理廃止→第三世界の通貨危機、貧富の差拡大。
米ソ対決の枠組みの中で見過ごされてきた構造が問題(日本も同じ)。
米ソ対決のあいだは矛盾がおさえこまれていた。
今は、各国が自由に自国の進路を選べる時代になったのに、今まで通りの干渉・介入を続けるアメリカの誤り。
それに無条件に追随する日本。
4.イスラム原理主義の誕生
- Fundamentalismは元来はキリスト教の用語。根本主義。KKKのようなテロ集団。それをイスラム過激派に転用した。
- イスラムがすべて原理主義ではない。
- 第三次中東戦争後にイスラムに戻って団結を求めた。イラン革命(1979)が発火点。
- その中からパレスチナ・ゲリラ組織発生。
- ソ連のアフガニスタン侵略に対抗してタリバン成立。
- 湾岸戦争でサウジの米軍駐留に反対してビン・ラディンのテロ集団成立。
5.解決の道
- ヨルダン西岸へのイスラエル入植中止。
- パレスチナ人の自治国家設立。
- 平和共存、中近東諸国の自主的・民主的発展の支援。
- 難民支援、食料支援、経済支援、その中でテロリストの引き渡し要求と国連による裁判。
宗教的対立ではない。イギリスが種を播いて、ヒトラーが育てて、アメリカが刈り取った。民族紛争の土台は政治的・経済的問題。宗教は問題を激化させるだけ。
- アメリカの中東介入中止。
- 何よりも求められるのは日本の自主性。
米ソ対決終了後になおアメリカ一辺倒の日本の姿勢を改めること。
対等平等の対米関係、アジア特に中国との友好信頼関係の構築、これが21世紀の日本の生きる道。
ホームに戻る