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去る3月14日に,職員組合理学部支部が主催して,講演会「都立4大学の改革を巡る経緯について:石原ファシスト都政との戦い」が行なわれました。講師の山下正廣先生は,2004年7月まで東京都立大学におられ,東京都立大学・短期大学職員組合中央執行委員長として、石原東京都知事による「都立新大学構想」と最前線で戦って来られました。

当日の約1時間半の講演と,その後の質疑応答をまとめました.

東北大学職員組合理学部支部

都立4大学の改革を巡る経緯について: 石原ファシスト都政との戦い

山下正廣
(東北大学大学院理学研究科教授)

研究と組合運動の25年間

どうもご紹介ありがとうございます。
今ご紹介頂きましたが,九大を出た後に1年間,分子研でポスドクをやっておりまして,25年近く研究者生活を送っていますが,よく考えてみると,まともに研究したのはどうも分子研時代のポスドクの1年だけで,ほかはずーっと組合運動をやっていたような感じがするんで(笑),ちょっと反省しておりまして,東北大に来てからはまず研究をやろうということを考えております。

九大に助手で戻ったときに,助手会の責任者をやりまして,毎日ビラを出して,助手を全員講師に上げろという待遇改善運動をやりまして,で,九大を追い出されまして名古屋大学に移りまして,10年近くおりました。名古屋大学では組合の下に大学問題専門委員会というのがありまして,そこは,文部省の色々な方針が,あるいは大学の方針が出ますと,それに対して反論の政策を出す,あるいはビラを出すという,そういう中枢でありまして,そこに10年間おりまして,最後の方は毎日ビラ書きをやっていた,そういう感じです。教養部でしたので改革がらみで大変で,最後,教授までなりましたけれども,教授になりますと全学の委員,雑用がいろいろ回ってきます。それで,助手も誰もいませんで,これは大変だと,ちょっと研究やりたいということで,たまたま都立大学の公募に出しましたら通りまして,で,都立大学で研究をしようと思っておりましたら,2年前に,前々の組合委員長から全学の委員長をやってくれと言われました。とにかく何もしなくていいから(笑),専従も二人おって暇だから,やってくれと言われて,ああそうか暇ならやりましょうかという感じで引き受けました。当時,いや今でもそうですけれど,ナショナルプロジェクトを2つやっておりまして,ほとんど大学にいない忙しい身ですけれども,とにかく,前々年の6月から去年の6月まで1年間組合の委員長をやりました。ほぼ毎週のように新宿に,都庁に出かけて,都庁の役人と大げんかをやるというのを繰り返しました。

で,私,東北大学に来まして,東北大学ではまず研究をやろうということで,去年の7月に移りました。その前に,東北大学に人事を応募したときに,4月初めに通りましたという電話がありまして,それでいつから来ますかといわれたから,そうですね8月くらいからどうですかと言ったら,いや7月に大学院の募集要項を作る必要がありますから6月からどうですかと言われたんですけれども,6月はまだ組合の委員長をやっておりましたんで,いやそれは行けないと。まさか組合の委員長やっているから動けないというようなことは言えませんので(笑),大学院の授業もありますし,もうちょっと待って下さいということで,7月にしまして,1月間,都立大学と兼任しながらやりました。

都立大学の問題については,いろんなところで聞かれたこともあるでしょう,新聞でも雑誌でも。新聞はだいたい関東版が多いんですけれど,全国版にもかなり載りました。サンデー毎日が石原慎太郎の追求の連載をやりましたし,他にもいろんなジャーナルにいろんな人が書いたということもありまして,ある程度全国的にも話題になったということもありますので,まず,その話に入る前に,ちょっと別の話をします。

学問とは何か,大学とは何か。学術会議で痛烈な文科省批判

実はこれ,1年半前の夏に学術会議化研連が50年後のサイエンスということで自由に語って下さいということで,私,錯体化学の専門ですけれども,錯体化学の未来について自由に語って下さいというふうに言われましたんで,まさか私が組合の役員やっているなんてことは誰も思わずに,学術会議から話があったんです。で,やろうと考えたんですが,どう考えても,学問を言う以前に今の大学の危機的な状況をまず言わないと話にならない,と思って作ったのがこれなんです。分子研でありました学術会議の会議には,文部大臣審議官のA氏とか,学士院会長のN氏とか,ノーベル賞のNさんもいまして,それから所長たちもいまして,非常に重苦しい雰囲気の中で,私が変なことを言ったためにかなり紛糾しました。タイトルは,錯体化学の過去,現在,未来というタイトルですけれども,実は文科省批判を延々とやったんです(笑)。

学問は挑戦と開拓

まず私が言ったのは,まず学問とは何ぞやという,自然科学,サイエンスとは何ぞやということです。じつはよくわかっていない人が非常に多いんです。教授の中でも多いし,ましてや学生は自分がやっている学問とは何ぞやということが分かっていない。ノーベル賞の学者の前で僭越ですけれども,学問とは何ぞやということを一言いわせてもらいますということで,言ったのがこれです。

学問とは,普遍的な新しい概念の発見である。普遍的な新しい概念というのは色々とあります。新しい化合物の合成,新しい反応の発見,新しい理論の開発,新しい物性の発見,新しい装置の開発,いろいろあるわけです。だけど,これだけではダメなんです。これはみんなやっていることなんです。じゃあ何が重要かというと,やはり新しいフィールド(分野)を作るということです。

一方,学問とは体系化することだという考え方があります。そう考えて学問をし学生に教育しているところがあります。体系化するということは,他人のやったことを縦に並べる,縦に並べたのを横に並べるとまた体系化できるわけです。しかしオリジナリティはない。だから,そういうことをやっているところからはノーベル賞は絶対に出ないと思います。というわけで,学問とは何ぞやという話をやったわけです。
多分この辺でかちんと来た人が何人かいたと思うんですけれども,学術振興会のN氏はちょっとぷっつんした感じでした。

大学とは

で,次に,大学とは何ぞやということです。これも分かってない人が非常に多い,大学の教員でも。学生もよくわかっていなくて,大学に入ったのに大学は遊ぶところだと思っている。大学ということが全然わかっていないために,非常に混乱を起こしているんです。大学は今,社会から非難を浴びていますけれど,ひとつには大学自体の問題もあるんですけれど,実はその中で働いている,学んでいる人たちが,自分たちのいる大学が何であるかということが分かっていないんですね。

大学というのは,少なくとも,教育と研究の両輪からなっているんです。研究だけというのは企業でもあるし,研究所もあるわけです。教育は小学校,中学校,高校があるわけです。だけど我々は教育と研究と両方やってわけです。実はこれは日本のシステムの中で大学だけなんです。そういう点で大学というのは非常に重要な意味を持っているんです。

じゃあ,大学の本来のあるべき姿というのはどういうものかというと,時の政治経済に左右されることなく自由に学問ができること,これが一番大事なことなんです。これは,戦前,日本の侵略戦争に対して大学人が巻き込まれていった,むしろ積極的に犯罪を犯した,そのことに対する反省でもある。そのことを実現する制度として,ソフト面では学問の自由,思想信条の自由,宗教の自由。ハード面では大学の自治,教授会自治,こういうことを守ることによって初めて,戦後勝ち得た新しい大学というのを守れるのではないか。実は,学問の自由とか大学の自治ということは,憲法や教育基本法に書いてあるんですね。基本法の条文になっている。そのことを基本的に理解していない。私は大学に1年生が入ってくると,学問とは何ぞや大学とは何ぞやということを1時間使って話すんです。自然科学,化学の授業の中で。それが大学人の責任だと思うんです。それをきちっと学生に理解させないと彼らが社会に出たときに,また同じ過ちを犯す。あるいは彼らが研究者になったときに研究とは何かが分からない,悪いことをするかもしれない。だからそこをきちっと押さえる必要がある。

大学「改革」の歴史

次に戦後の大学改革の流れを追ってみます。抜けていることがあるかもしれませんが,まず1950年代に新制大学が作られたわけです。新制大学の意味というのは,先ほども言いましたが戦前の大学が侵略戦争に加担した,それに対して戦後の大学は一般教養を導入しよう,戦前の教育というのは応用だけだった,一般教養がなかったということで,一般教養を導入した。で,ひとつの形として教養部というのを作ったんです。じつはこの教養部という組織を作ったがために問題が生じたというのも事実なんです。だけど一般教養をやらないといけないという意味では非常にいい制度だった。

1970年代,新大学管理法案,これは一般に筑波大学法案というふうに呼ばれていた。私ちょうど学生の頃で,いつも授業にも出ずに筑波大学法案反対のデモに行ってましたけれど,要するに理事会を作って,学生の自治,教職員の自治,組合,そういうのを否定して,理事会が独断専行的に運営しようと,この制度を実は日本中の大学に,全部にやらせようということをやったんです。ところが結局,東京教育大学の移転のときにどさくさにまぎれて筑波大学についてやった,その方式というのが今やられているのは,筑波大学と,大学院大学の北陸先端大と奈良先端科技大など数カ所です。いや,今度法人化でそういうふうになっていくところもあるでしょうが,当時導入できたところは非常に少ない。なぜかというと,やはり大学人が反対したんです。大学人が勝ち取ってきた学問の自由とか大学の自治とかを剥脱されることに対して反対した。そういうことで,筑波大学法案というのは,幸か不幸か筑波大学でしか成り立たなかった。他の大学では成り立たなかった。

1980年代から,土光の臨調行革路線が始まります。ここら辺から大学が危機的な状況になっていきます。行財政改革ということで定員削減, 予算の削減,いろんな試練が始まったわけです。

90年代に入りまして,科学技術立国ということを謳い始めまして,要するに,日本の将来を考えたときに,日本には資源がない,日本がどうやって将来生き延びるかと考えると科学技術に頼らざるを得ない,そのためには科学技術を振興する。どうやってやるかというと,今まで言うことを聞かなかった大学の教員に,すぐ役立つような研究をさせようということが科学技術立国の基本的な理念なんですね。もうひとつ重要なのは設置基準の大綱化ということです。これで教養部が解体されていったんです。いままでは一般教養何単位,専門教育何単位というのが法律で決まっていたのが,設置基準の大綱化によって,各大学の自由でいいですよとなった。一見良さそうですが,このことによって一般教養の軽視,切り捨てが始まった。戦前の体制に近くなってきたということが問題です。

2000年代に入りまして,国立大学の法人化,国立大学の解体ということが,去年,行なわれたわけです。学問の自由と大学の自治によって守られてきた大学を,トップダウンによる管理強化,労務管理された大学に変えるというのが,権力者側の本心であったわけです。
ここらへんからだんだん,文部大臣審議官がカリカリし始めまして,まぁそのことは後でまた言いますが。

政治権力の狙い … 公務員削減

次に,政治には表と裏があるという話です。たとえば,国立大学法人化法案の目的とは何かというと,いかに国家公務員を減らすかということなんですね。国家公務員を20%減らしたいと,まずそういうことだったんです。で,まず狙われたのが,現在,産総研になっております筑波の通産関係の研究所であります。通産関係の研究所が産総研に変わったわけです。ところが通産省関係の研究所というのは,じつはものすごく組合が強いんですね。組織率もたぶん7〜8割は持っていると思います。で,全面的に反対して全面的に闘争したんです。それで,産総研の連中は,いろんな制度の改変はあったけれども身分は国家公務員のままです。守ったんです。そこで政府が次に狙ったのは,弱いところということで文科省なんです。文科省はとにかく金がないから一番弱い。国立大学の教員を,職員を全部法人化によって国家公務員から外そうということをやろうとしたわけです。その意図が分かっていたにもかかわらず,国立大学はガタガターっと全部つぶれていったんですね。やっぱりそれは大学にあった弱点だと思うんです。それは戦後我々が勝ち取ってきた大学の自治とかいろんな権利とかいうものに対して,それをきちっと守ろうとする運動を組んでこなかった。あるいは学生,若手,そういう人たちに運動を継承してこなかった。そういう弱点がありました。ということで,国家公務員20%削減したいということで,まず非公務員化する,それが国立大学法人法案の裏(本質)なわけです。

目先の利益に走る政府

次に,科学技術促進というのは,先ほどもいいましたけれど,科学技術への重点的な予算配分をしたいと,資源がないから,科学技術で乗り切りたいからということが表ですけれども,実際は大学の研究をすぐ成果の出る応用研究に特化させて基礎研究の衰退を招くということになるわけです。もうだんだんそういうことは具体的にきているわけです。いろんなプロジェクトを見ますと,ナノとかバイオとかITとか,すぐ役立つものにしかお金は出さないという。

任期制 … 思想統制も狙いの内に

また,任期制の問題です。任期制というのは表向きには活性化,流動化ということを言っているわけです。一般論としてはいいかもしれない。だけどその裏には,もう60年代の中教審で「特定の思想を持った教員がひとつの大学に固まりすぎる」と,それでは困ると言っているんですね。だから教員に任期を付けてあちこち動かさないといけないと中教審でそう言っているんですね。

こういうふうに政治には表と裏がある。とまぁこういう話を文部大臣審議官の前でやりましたら,あとでかんかんに怒っていました。

問題だらけの国立大法人化

つぎの話は国立大学法人関連法案の問題点ということですけれども, いろんな問題があるということは,もう現実的に運用されていますので,私以上にご存知の方が多いと思います。

まず,2003年3月に法案が上程されて審議が始められたと思います。それで5月くらいに終わる予定だったんです。ところが延々と委員会でもめまして,ストップ,ストップの連続で,要するに文科省が答弁不能に陥ったんですね。いろんなことを追求されて。要するに何も考えることができなかったんです。何度も答弁不能に陥って,会期末の7月,会期を3日くらい残したところで強行採決をやったんです。さらにそこには,衆議院で23項目,参議院で26項目もの付帯事項がついたんです。これだけ付帯事項があるような法律は実はないんです。法律はあるのに,それ以外に23項目も,ここは気をつけろ,これは気をつけろという,それならなんでそれを法律に入れないか,どう考えてもおかしいんですね。その23項目の付帯項目の中には,大学とよく話し合いなさいとか,学問の自由は守りなさいよとかいう当然のことがどんどん入っているんです。おまけに政府側参考人もまさか非公務員になるとは思わなかったと,A氏ですけれど,彼は公務員のままだという頭だった。なんで非公務員では困るかというと,非公務員になると組合がストライキ権を持つ,そのことをA氏は恐れたんです。だからまさか非公務員化になるとは思わなかった。ですが,先ほど言ったように,非公務員化ということは,公務員20%削減という頭では,政府ではもうはじめから決まっていたことでした。学者の考えることと政治家の考えることではまるで違っていたということです。
法人化してよかったという人は,多分大学人の中にはいないんじゃないでしょうか。アンケート取ったらいいと思うんですね,たぶん9割以上,まずいという人が多いんじゃないかと思います。良かったという人は,たぶんいいポジションを得た人だけだと思いますけれど。

問題点は山ほどありますが,次は中期目標の問題です。こういったものは欧米諸国にはないものである,6年間の先のことを考えるような。最初みんな恐れて何百ページと書いたけれど,よく考えてみたら何百ページも書くとそれに縛られるわけです。それが6年分で評価されて研究費が減額されては困るということで,最後はA4数ページに終わったらしい,ということを私は聞いております。こうしたものは,まさに文科省の統制関与を深め,大学の自主性自律性を著しく損なう可能性があるわけです。

それから,国立大学法人評価委員会の組織,委員構成,評価基準方法は政令にゆだねられており,公平性透明性がない,大学における教育研究の特殊性を踏まえた評価が行われる保証は何らない。また中期目標の業績評価と資源配分の直結が行なわれることによって,文部科学省による関与・統制を強化するものである。

今度の法人化によって,各大学が理事会を作りました。文科省はそのときに試算したんですね。各大学を合計するとかなりのポストになるだろうと。そのポストのかなりの部分を文科省の天下りに使おうということを考えたんです。

それから運営組織が学長と少数の理事を中心とするトップダウン型とされる。とともに経営協議会や学長専攻会議に学外委員の意向が強く及ぶことができる構成となっており,教育研究を直接担う学内構成員の意見を反映することを軽視し,自治・自立性を損なう可能性がある。これは,もう東北大学で通ったんでしょう? まさにこれ私が,なる前に予言したことが通っているんですね。

財務会計制度に関する具体的な事項は,政令省令にゆだねられ,運営費交付金の配分基準すら定められていない。これは,毎年1%カットということになったんですね。政府は国会答弁ではお金は基本的に減りませんといったのに,もう1年目から減ってきている。
それから,ご存知のように,労働安全衛生法が適用されるようになった。大学の安全性なんて,全部法を無視しているんです。そう言う意味では非常に危険な状態なわけです。それに対する保障は何らない。

科学の魅力 … 真理は万人に平等

私は,自分ではサイエンティストだと思っていますが,なぜ,科学の何が面白いかというと,階級制がないということなんです。それがなぜ大学で研究を続けるのかの根本にある。どういうことかというと,たとえば学生の言ったことが正しくて,偉い教授の言ったことが間違いということがあるんです。会社だったら,たとえばこの前つかまったコクドの堤が言ったら絶対強くて,そこの社員が「堤会長,間違ってます。」と言っても,おそらくクビになるだけであって,会社というのはそういう階級制の社会であって真理というのは通らない。ところが,自然科学というのは,社会科学はよくわかりませんけれど,少なくとも真理が一番大事である。真理の元には階級制はないわけです。そう言う意味で,私は百姓の出ですけれど,なんで学問が好きかというと,この階級制がないというのが非常に好きなんですね。

講演の反響

全部で20人くらいが話をしたんですが,毎回,ノーベル賞のNさんとか,学士院会長のN先生とかコメントをするんですね,今の発表はどうだこうだと。ところが私が話し終わりましたら,彼らは下向いて黙ーっているんですね。それで文部大臣審議官のAというのがぱっと手を上げて,私は全くしゃべるつもりはなかったけれど,今の発言には頭にきました,と。お前みたいな馬鹿なやつがおるから俺たちはこうしているんだと,そういうけんかを売ってきたんです。じゃあやりますかと言ったら議長が間に入って,まぁまぁ,後の懇親会の席でやって下さいと,そういう話になって,その場は収まって,で,懇親会に行きましたらみんな私の周りからさーっと去っていくんですね(笑)。2人だけ寄ってきまして,当時分子研のWというのと理研に移ったSというのがきまして,「山下ー!,いやー,よかった,あんたの発表ものすごく良かったー」と。他の連中はみんな逃げていくんですね。要するに僕と話しているのを見つかると,同じ思想だと間違われるんじゃないかということで怖がったみたいで(笑)。研究会が終わって帰ろうとしたら,分子研のK所長が寄ってきまして,「山下君はラジカルですねぇ」。だけど僕はその前にKさんに何度も聞いたんですよ。「Kさん,何をしゃべったらいいんですか」と。そしたら,「何でもいい,好きなことをしゃべりたまえ」(笑),と何度も言ったんですよ。僕は客員教授をやってましたからひと月に一回行くわけで,何回も聞いたんですよ。彼は何でもいいと言って,それが「君はラジカルですねぇ」(笑)。
とまぁ,これが私の認識している国立大学法人化の,1年半くらい前の状況です。

都立大問題

で,都立大学がどうなったかという話をします。都立の大学というのは4つあります。都立大学,短期大学,保健科学大学,科学技術大学。教員数は助手まで含めて大体六百数十名です。職員含めると全部で800名くらいだと思います。そこには当然組合があります。都立大学・短期大学職員組合ということですけれども,私が委員長になりましたとき,11月に保健科学大学の組合を統合しまして都立の大学はひとつの組合になったわけです。我々の上部団体というのは,都の職員からなっておりますので,都労連というのがあります。都労連というのは都の職員の組合でありまして,都の職員というのは我々を含めましてたぶん10何万人いると思いますけれど,都労連というのは大体8万人組織しております。都労連の傘下の中に6つあります。都庁職,水道局,交通局,都教組,高教組,それから大学職組です。大学職組は一番小さいんですけれども,対等な関係にありまして,都側と団体交渉をやりますけれど,必ず委員長が同席しないと,6人揃わないとやれないということで,私は1年間ほとんど拘束されておりまして団体交渉に臨んだわけです。

団交のしきたり?

団体交渉というのは,そういうやり方というのは初めて経験しましたけれど,向こう側に副知事から40〜50人並んで,こちらに組合側が40〜50人並んで,お互いに丁々発止とやりながら落としどころを考えるわけです。私最初に行ったときに,こんな格好(セーター)で行ったんですね。ところが,「山下君,君ネクタイはどうしましたか」と。「えっ?ネクタイなんかいるんですか,」と言ったら,「そりゃそうだよ,いまから団交やるんだから,団交は必ずネクタイだよ,貸そうか」と言われて。で,「私いいですよ」とネクタイせずにそのまま行ったらみんな驚いていました。で,そのときに僕が何かちょっとしゃべると,「山下君,君はしゃべったらダメだよ」と言われて。どうもルールがあるみたいで,私は全くルール無視しておりまして。管理本部との交渉で管理部長と交渉したときも,私が最初に怒鳴りつけたら,うちの書記長が服の裾を引っ張って,「山下さん,委員長はしゃべったらダメですよ」と(笑)。「委員長は最後に,結構です,と一言言えばいいので,最初からけんか売ったらダメですよ」と,怒られましたけれど。私はそういうルールとかはどうも苦手でして。

都立大はこんな大学だった

都立大学,私は4大学の中でも都立大学のことをメインで知っておりますのでそれが中心になりますけれど,都立大学には50数年の歴史があります。総合大学です。学生数が,1学年1000人くらいです。短大,保科大,科技大含めまして2000人くらいです。今度4大学統合されますと,院生含めて全部で1万人くらいになると思います。そういう,大規模とは言えませんけれど,中規模と大規模の中間くらいの大学です。

都立大学と言うのは,ご存知のように,モットーとしては自由闊達。自由に発言できるというのが都立大学の最大の特徴です。私が名古屋大学の教授になって,都立大学に移るときに,事務方がえらい驚いたんですね。なんで格落ちをするんですかと,旧帝大から都立大学に移るとは何事ですかと言って。私は,都立大学で研究したいですから,都立大学の方が自由があっていいですからと言ったら,そんなもんですかと言われたんですけれど。私はそれくらい都立大学が好きだったんですね。それで移ったわけですけれど。

都立大学のメリットというのは夜間を持っていることです。昔は,昼間働きながら夜間で学位を取って,大学の先生になったとか研究者になったとか,そういう人も沢山いたわけです。ただ現在は,もう2部は廃止することが決まりましたけれど。現在は1部に落ちた人間が,昼間に落ちた人間が2部に回ってくるという状況です。差別構造になっているわけです。2部の人間に,働きながら来ているというのは,化学ですと10何人の中の1人いるかいないかというところです。ですから,学生の間では1部に通らなかったから2部に来ているという,ちょっとまずい雰囲気があって,そういうこともありまして2部は廃止ということになりました。

それから,授業料が非常に安いんですね。入学金は都内の父兄だと半額でいいし,年間授業料40万いかないと思いますし,2部だと半分ですので20万くらいです。そういう意味で,都民における都立大学というのは庶民の大学であるというような感じがあったわけです。

この都立大学というのは,美濃部の革新都政時代,その後の保守の鈴木の時代,実はほとんどノータッチだったんですね。都立4大学の職員の数もほとんど減らなかったし,予算も一番多いときで,組合が頑張りまして,ひと月にひと講座700万とか言ってましたか。そんなことも組合がやれるんです。要するに組合が当事者能力を持っているんです。都庁とやりあって勝てば,我々の給料どんどん上がりますし。毎年賃金確定闘争をやりますけれど,うまくいけば給料上がっていくわけです。

それからもうひとつは,人文系が非常に有名なんですね。人文系には百何十名のスタッフがいますけれど,非常に有名な先生がいる。だから学生の中には,この都立大学人文系の,この先生のところに来たいということで来る学生が非常に多いんですね。1浪2浪しても来るというのが結構いるんです。学生のクオリティは,私,九大を卒業して,名大を見て,都立大見て,東北大に来ましたけれど,そこそこいい学生です。

そういうわけで,従来ほとんど問題なかったと,我々はそういうふうに考えていました。どこら辺からおかしくなったかというと,青島が知事になって,4年目位からおかしくなった。青島が官僚に牛耳られるようになって,だんだんおかしくなっていって,財政赤字がどんどん逼迫していって,大学に目を付け始めて,大学の定員削減を始めたというのが,まぁ始めですね。

石原慎太郎の野望 … ほとんど失敗

そして石原になって,石原はご存知のように右翼というか,極右ですね。彼は結局,何でも自由にしたい。彼の主張というのは,東京から日本を変える。彼は国会議員のときに総理大臣になりたかったんです。派閥のトップになりたいし,総理大臣になりたかった,ところがなれなかった。それで,都に下りて都の政策で新しいことをやれば,日本中の政策が乗ってくると考えた。小泉も乗ってくるんじゃないかと。都から国を変えるというのが彼のキャッチフレーズなんです。だから彼はいろんなことをやったんです。例えば外形課税の問題,要するに銀行に外税をかけると。ところがこれ裁判に負けたんですね。それから圏央道,環境の非常にいいところに大きな道路を造ろうとして,これも裁判で負けたんですね。それからカジノをやる,これもつぶれましたね。それから後楽園で競輪をやろう,これもつぶれましたね。原宿に刑務所作ろう,これもつぶれた。結局石原は何にもやってないんですね。彼はマスコミ対策はうまいんです。新聞とかにいつもかっこいいこと言うんですが,いつも失敗しているんですね。そこら辺の焦りもあるんです。

民主的に論議された当初の改革大綱

で,大学というのは,基本的に反権力の巣ですから,言うことを聞かないというのが相場ですけれど,なんとか理由を付けてつぶそうとした。先ほど言ったように,2部が実体がなくなってきているとか,予算が赤字になっているとか,いろいろな理由を連ねまして,都立4大学を改革しようというのがじわじわと来たわけです。我々としても,色々な問題点があることは指摘されて,正しい面もあるということで,ある程度譲歩しなければいけないということになってきました。

ただ,その議論というのは,4大学の下にワーキンググループを作りまして,それから東京都の管理本部の参事・副参事が入りまして,2001年の11月に大学改革大綱というのを作ります。それに基づいて案を作っていったわけです。内容はどういうものかと言うと,まず,4大学をひとつの大学にする,基本的に夜間は廃止する,それから教授会メンバーは20%削減する,都立の既存の5学部,人文・法・経・理・工は維持しつつ大学院大学化する,短大は廃止する,その代わり先端技術大学院,法科大学院 ─ ロー・スクールですね ─,ビジネス・スクールを新設するというものです。キャンパスは,科技大の大部分は都立大学の工学部に統合しまして,科技大の跡地は産学公連携センターを作る。人文学部は100数十名いましたので,これを若干削減して,社会人類学,文化関係学,言語科学,日本学・日本語教育学専攻を新設する。カリキュラムの目玉というのは課題プログラムというのを,学部学科横断的に作ろう,それから基礎ゼミです。そういうものをやろうとして,それを大体2003年の7月くらいの教授会で承認しまして,もう後は法人化と同時に,その新設の大学に移ろうというところになったんです。

突然の解体発表 … 大綱による改革の寸前で

ところが,2003年の8月1日に都立の4大学の学長・総長が都庁の管理本部に呼ばれまして,今まで全く見たことのない,公になっていない,都立の新しい大学の構想というのを渡されます。たしか5〜6ページだったと思いますけれど,ポンチ絵と,あとは全部箇条書きです。だから設置理念がどうこうとかそういうのはほとんどありません。その内容というのは4大学のほとんど誰も知らない,教授会でも議論もしたことがない。学長も,誰も知らない。それを渡されて,質問はするなと。とにかくこれを3時からの記者会見で知事がしゃべると。もしそれがいやならやめればいい,ということを言ったわけです。

都立4大学廃止,意味不明の"都市教養"学部案登場

で,この「新大学の構想」の問題点は何かというと,まず,ここが一番大事で,都立の4大学をまず一旦廃止するというんです。ここがポイントなんです,分かれ目なんです。で,現都立大学の5学部は「都市教養学部」という,意味不明の,─ 都市で教養?,田舎の教養はないのかという ─,これは後で設置審でもめたんですけれど,そういうものと,それから「都市環境学部」,「システムデザイン学部」,「健康科学部」,この4つの学部にする。その中の学科構想を見ると「観光ツーリズム」とか「メディアアート」とか「産業系デザイン」とかいった,要するに専門学校みたいな名前がずらーっと入っている。実はこれ全部なくなりました。あまりに評判悪かったし,新聞で,我々含めていろいろと批判しまして,まったく学問に値しないと言いましたら,さすがに都の管理本部官も恥ずかしくなったのか,だんだんそういう批判浴びたのはやめていきました。

単位バンク制 … 石原知事持論と矛盾

もうひとつの問題点は,単位バンク制度というのが出てきました。単位バンク制というのは,よその大学で取ってきたものを都立大学の科目認定委員会で認めれば全部認めていいというものです。これはある意味では無責任なわけですね。各大学は自分のカリキュラムを作って,最低限この科目を,としているわけですから。まぁ単位互換性で各大学の連携というのはあります。それはもともと中央大学とかとやっていまして,あり得るんですけれど,この単位バンク制というのはある意味では無原則的な単位バンク制なんです。そういうのを提案したわけです。石原は「入りやすくて出にくい大学」というのを言ったんですけれど,よその大学に行って取りやすい単位をどんどん取ってくれば誰でも出られるというような,全く逆の可能性があるわけです。これは最後までもめてます,設置審でももめてます。

非民主的諸制度

それから,あと,理事長と学長が別々です。で,理事長が上です。理事長が一番上にいて学長が言いなりになる,そういう大学です。それから,理事長が任命する塾長が管理する全寮制の「東京塾」。多分毎日,朝,日の丸上げて君が代歌わせる,そういうことやらせると思いますけれど,そういう全寮制の「東京塾」構想。実はこれは最初は全員寮に入れようとしたんですね,千何人を。実は試算したんです,東京都の管理本部は。でもさすがにそれは出来ないと,あまりにお金がかかるし場所もない,1000人もどうやって誰が管理するんだという話になって,最後は,いや今どうなっているのか分かりませんけれど,当時は都立大の寮のひと学年40名で4学年160名,そういう感じになっております。
それから,任期制・年俸制の導入,業績主義の徹底ということが言われている。で,当然,非公務員だという,こういう内容だったんです。

実質は統合移行型。新大学設置型と強弁,設置者権限を振りかざす

そのあと,8月の終わりに,都立大学の5学部長,科技大,保科大の学長が都庁管理本部に呼ばれて,─ 都立大の総長は呼ばれませんでした ─,「教学準備委員会」,要するに,自分たちだけでは出来ないので,委員会を作らなければならないわけですね,その委員会に参加するようにという要請があったわけです。その後で,そのときの発言が文書として漏れてきたんですけれども,やはり,先ほど言ったように,大学の統合や新大学への移行ではなくて,4大学の廃止と新大学の設置であると。ここポイントなんですね。新設なんだから設置者に権限がある,設置者権限である,ということをいまだに言っているんですね。自分たちが新しい大学を作るんだから,自分たちが自由にして構わないというのが,東京都,石原の論理なわけです。ところが,あとで分かるように文科省への申請は,移行型なんです。なんでかというと,8割から9割の場所,人をそのまま使うわけです。だから当然,地方独立行政法人法に基づいても,移行型なんです。移行型ということは,待遇も変わらない,基本的な制度も変わらないというのが移行型なわけです。でも,彼らは,いまだに強調しているのは,設置者権限である。だから2度と大学側で民主的に議論をして意見を聞くということはやらない,全部命令である。で,基本的に4大学は新大学を設置する上でのひとつの資源である。ということを言ったわけです。で,新大学の設計には,基本構想に積極的に賛同し,かつ旧大学の資源に精通した方を任命する,だから,都立大の5学部長,科技大の学長,保科大の学長が選ばれたわけです。なんで都立大の総長が選ばれなかったのかというと,まぁ,都立大の総長は都庁と,喧嘩をしていますので,多分呼ばれなかったのだと思います,この辺は私の推測ですけれども。だから,学部長として呼んだんではないんだと,あくまで個人として,そういう情報に精通しているから呼んだんだと。さらに,守秘義務というのにサインしろ,自分の知り得た情報を漏らさない,他人と相談しない,そういうのにサインしなさい,ということを言われたもんだから,人文学部長なんかは,そんなのにサインできないと言って,持って帰って教授会に全部オープンにしたら,教授会はびっくりしてひっくり返りまして,そんなものにサインするなということになりました。そういう踏み絵みたいなことをやってきたわけです。

管理本部が人員配置案 … 人文学部は半減

9月の末になりまして,都庁管理本部から大学側に,新大学における人員配置案が一方的に提示されて,配置案に同意した上で詳細設計に参加し,詳細設計の内容を口外しない,要するに他人にしゃべるなということまで言ってきたわけです。これは,半分も集まらなかったんです。特に,人文学部は絶対に乗りませんし,理学部は,私が組合の委員長で,教授会で毎回話してましたので,誰も乗ってこなかったんです。基本的に,理学部と人文学部は最後まで抵抗して,理学部は最後の最後で負けて,人文学部だけになって,人文学部も最後は妥協した,というのが一般的な流れなんですけれども。なんで,人文学部が反対したかというと,人文学部はリストラのターゲットになったんです。定員が139名を64名と半減なんですね。日本でも一,二を争う実績を持つ文学科系,英語,ドイツ語,フランス語,中国語,そして日本語が消滅して,わずかに哲学,史学と同居の国際文化コース,それから最初の構想にはなかった「基礎教育センター」,まぁ教養部の小さくしたようなもんですね,それから「エクステンション・センター」,これは全く構想になかった。「エクステンション・センター」というのは要するに,余った人間を入れる清算事業団なんですね。定員を,最初は60名か70名入れておくわけです。で,どんどんやめていきます。絶対後任は採らないんです。最後定員が十何名になって,維持する。基本的にはエクステンション・センターは独立採算性である,要するにオープン・ユニバーシティみたいに自分で金を取って,自分でやりなさいよという,いずれは大学から切り離す,というそういう制度なんですね。

"暫定大学院"まで浮上,つぶすことしか頭にない管理本部

それから,この案には大学院のコースは全く書かれていないんです。17年開設だと言っているのに,大学院は18年,1年後にすべきと言っているんです。ところが,理学部や工学部は大学院重点化で,大学院大学でやっているんです。大学院重点化したものを,もう一度学部中心にやって,それで1年後に大学院を別に作るというんです。じゃあ,その17年の1年間はどうするんですかという話になったら,「暫定大学院」という名前にしたらどうだと言う(笑)。そしたら文科省は暫定大学院ってなんですかという話になったんですね。暫定大学院に入った大学院生はどうするんですか,暫定大学院卒業になるんですかね(笑)。誰も何も考えてないんですね。つぶすことしか考えてなかった。
僕ら,1年間管理本部と付き合いまして,管理本部は17年にスタートしなきゃいけないと言うけれど,大学関係の専門家っていないんです,東京都庁には。いろんな大学からの情報集めてきて,都立大学から情報集めてきて,あと,文科省とやり取りしながらやってたんです。ところが,あんまりひどいもんだから,文科省からどんどん情報が流れてくるんですよ。普通,改革をやるときというのは当局側以外に必ず学部長クラス,あるいは教授が付いていくんですね,文科省に。で,いろんな細かい質問されたら,大学がそれに答えるんです。ところが,東京都庁の管理本部の連中が行っても,彼らは分からないから,全く答えられないんです。で,文科省から役人が,都立大学は何をやっているんですかと,何度も言ったもんです。ぼくは文科省の役人とも直接何度も会いましたし,新設の制度を認めるなという直接的なことも,文科省に直接言いましたし,そういう意味では文科省もあきれ果てているというか。だから,後で言いますけれど,設置認可も通らなかったんですね。最初,通らなかったんです。

都立大学総長が声明 … 総意に基いた改革主張

それ以降ですね,10月7日に都立大学の総長が声明を出しまして,とにかく,良い大学を実現するには最大限の努力を惜しまないけれど,東京都管理本部の出した新大学構想の問題点を指摘して,とにかく速やかに設立準備の推進体制を再構築しろと,要するに,4大学の側と,管理本部が一緒になって改革を進める,推進体制を再構築しろと,それから,先ほど言った同意書,他言しないとか,そういう同意書を撤回しろと。そういう声明を総長が出したわけです。ところが,管理本部側はその都立大学総長の声明に対して,科技大,保科大,短大の学長を巻き込みまして,いや,管理本部が正しいという声明を出したんです。ところが,その3大学長の声明は,声明が出る1時間前には管理本部のホームページに載っていたんです。その文書というのは管理本部が作ったんです。管理本部が作って,それを3大学の学長に飲ませたんです。それを科技大の教授会が追求したら,実は私も知りませんでしたと学長は認めた。あれは管理本部が作ったんですと,そういうことだったんです。

担当学生数を言いがかりに

10月25日の教学準備会で,管理本部長が,「人文学部の見直しなくして大学改革はあり得ない」「人文をはじめとする人的資源の再配置が必須である」と。どういうことを言ったかというと,人文学部教員一人当たりの学生数というのを出してきたんです。これよく使われるんですけれどね,人文学部教員あたりの学生数は4点何人なんです。たとえば,東北大学ですと,東北大学の語学の人数というのが出てましたけれど,一人当たりが十何名なんですね。理学部も大体十何名だと思います。ところが,これトリックがあるんですね。トリックというのは,人文学部の先生は全学教育の語学教育もやっているんです。その分はカウントしてないんです。人文学部学生に対して人文学部教員で割っているんです。人文学部で授業持っている全学教育の語学の分まで数えると,一人当たり十何名なんです。だから,彼らの根拠は崩れているんですけれど,この論拠が崩れているにもかかわらず,石原は何度も都議会の質問に対しては,人文学部は人が多すぎる,余っとる,遊んどるということで,人員削減を言う。

英語はNOVAに!?

さらに彼らが考えたことは,60人定員削減すると,大体一人年収が1千万とすると6億浮くんですね。それで,英語の授業をNOVAに委託する。NOVAに委託すると1億1千万で済むんです。結局5億近く浮くんです。たぶんこれ本当にやるんじゃないですかね。僕らは,NOVAに委託しても,誰が成績簿付けるんですか,誰が責任負うんですかという話をしたんですけれど,要するに管理本部はそんなの全然分からないわけです,とにかく1億いくらでやれると。

学問体系無視

それから必修科目をおかない,文部省の設置基準には必修科目と言っているのに,大学の中には必修科目はおかないというんです。それから,履修年次を設けない。ところが,自然科学見たら分かりますけれど,化学だと原子,分子やって,統計熱力学やって,それで有機・無機というのに,各論に入っていく,ベースからというのが,物理でもそうですけれど,成り立っているわけです。ところが,そんな履修年次はどうでもいいと,自分の好きな物取ったらいいと。そんなもの学問体系からいってあり得ないですね。そういうむちゃくちゃなこと言ってきたわけです。

組合が追及,管理本部の二枚舌が露呈,移行型を認める

ところが,我々組合がどんどん追求しましたら,管理本部というのは,先ほどから言っているように,4大学廃止,新大学設置と,都議会でも都民に対しても説明してきたんですけれど,我々が公開質問状出しましたら,彼らは,地方独立行政法人法上,新大学は移行型の法人である,新設じゃないということを認めたんです。文科省にも,設置申請は移行という形でやる。移行ということは,地方独立行政法人法上,待遇は基本的には継承するということが法律で書かれているんですよね。そういう意味では二枚舌を使っているわけです。

マスコミも取り上げる

で,この辺から,だんだんマスコミも東京都のやっていることはおかしいんじゃないかということで,新聞が,ほぼ毎日のようにどこかの新聞が書くようになりました。新聞によってカラーがありまして,読売なんかは,先ほど言った,教員あたりの学生数が人文の先生は少ないからというのに乗った話をするわけです。しかし,最後はどの新聞も石原都政のやっていることはおかしいのではないか?というような論調になったようです。

設置理念を河合塾に4千万円で"発注"するも不採用

その他,後で述べますけれど,設置理念を実は誰も作ってなかったんですね。申請するときに,設置理念というのは必ず必要なんですよ。何のためにこの学部設置して,大学作るのか。我々誰も手伝わないから,誰も作れないんですよ。誰もやりようがないから。そしたら,管理本部は河合塾に頼んだんです(失笑)。河合塾に新大学の設置理念を作ってくれと。ぱっと朝日がすっぱ抜きましたら,さすがに,石原が記者会見で朝日新聞から追求されましたら,いや,それは違うんだ,要するに学生の進路の調査をしているがために,河合塾にお願いしたんだ,と。だけど河合塾は設置理念について考えてくれと言われたんだと言っているんです。ところが,河合塾が4千何百万円で請け負った設置理念というのは実際には使われなかったんです。だから四千何百万損しているんです。とにかくむちゃくちゃです。

盛り上がる反対運動
都立大闘争はファシズムから日本の文化を守る闘い

それで,色々な運動がどんどん盛り上がりまして,助手会が再建され,学生自治会もアンケートをとると80%が反対であると,それからあと,人文学部の教員を中心に署名の会というのがありまして,それが都議会に請願を何度もやる。それから,4大学の教員の声明の会というのがありまして,それでとにかく今の改革をストップしようという署名を集めたら,4大学全教員の57%,半分以上が「改革」を止めろという話になったわけです。

管理本部が迫る選択 … 非就任,旧制度,新制度

そうこうしているうちに,11月に,管理本部はどんどん手を打ってきまして,教員の任期制・年俸制ということを出してきたわけです。年俸制というのは,ご存知のように野球選手とかがやっていますけれど,それを大学にどうやって導入するかということなんですけれど。
まず,任期制については,全教員が3つ選べるんです。
ひとつは,新大学に行かない,とにかくもういやだと。私なんかもそうです。もう,私は新大学が出来ても,新大学には行きませんと。そういう人は,学生が,都立4大学に入った学生が卒業するまでは居れるんです。だから,学生が留年すると,まぁ8年くらいまでは居れるんです。これがひとつです。一番強力な反対です。私を含めて30人くらいはそういうのに署名してきました。
それから,二つ目は旧制度です。旧制度というのは,教授,助教授,助手のままである。任期制は付かない。ただし,昇給も昇格もあり得ない。我々毎年昇給ありますね。昇給があって,それから助手から助教授,助教授から教授というのがありますけれど,それは認めない。というのがふたつめ。
三つめは任期制が付きますよ,年俸制が付きますよ,と。で,助手という制度をやめて,研究員。助教授という制度をやめて,准教授。それから教授,で,主任教授。この4つにする,と。
この3つをどれか選びなさいということを言ってきたんです。一番最後の新制度と言われるのは,まず,研究員は任期制で,最初は3年+2年だったんです。(全部で)5年です。で,これは誰も来ないよ,そんな5年で教育なんて責任持ってやれないと言ったら,さすがに5年+3年になりました。それから,准教授は5年+5年の10年です。教授は5年でチェックされてそれをパスすると主任教授になる。主任教授になると,定年が63なのが65まで延びる。だから,よく考えてみると馬鹿な教授ほど定年が延びるんですね。優秀な助手ほど職に就けない。こんな馬鹿な制度があるものかというので,管理本部長の前で「馬鹿かぁ!」と言いましたら,管理本部長はさすがに怒りましてね,何が馬鹿かと言われまして,大ゲンカになりました。少なくとも,この制度を生かしておいては,まさに,若い人にのびのびと自由に研究やって,世界のトップに立ってくれというのとは全く違って,馬鹿な年寄りを守ろうとする非常に悪い制度なわけです。これがいまだに尾を引いています。

法学部4教授の突然の辞任

それから,法学部4教授の突然の辞任。ある教授は自分が二十何年都立大で働いていて,改革のために,要するに都庁の犬として働いていたわけです。都庁の犬がある日突然都庁に裏切られたわけです。それで,もう俺はいやだというんで,やめると言って,法学部の4教授が辞めたんです。ところが彼らはロー・スクールのメンバーだったんですね。で,文科省に書類をもう出しているんですよ。文科省に書類出して,審査が行なわれている途中で,俺らやーめたと言ったんです。もちろん文科省は怒りまして,都立大の法科大学院は認めないと。結局入試が行なわれなかったんです。法学部の学部長が慌てまして,もうとにかく誰でもいいからというので人を集めてきて,遅れて申請して,やっと申請が認められて,法科大学院はなんとか4月から出発した,そういうごたごたがありました。

返上された経済学COE

それから,経済の近経グループがCOEが通ってたんです。彼らは研究をしたいですから,研究制度について,特に大学院の研究についてきちっと説明してくれと,大学院制度については1年遅れて出発するし,内容がよくわからないから,きちっとやってくれということを何度も管理本部に言っているんです。彼らは経済の近経ですから,組合員はほとんどいません。でも,だんだん彼らも頭に来まして,もう管理本部は何も考えてない。近経グループがついに管理本部を見放しまして,我々は出て行くと。COEを持って出て行くと言ったんですね。COEメンバーの全員が,他の大学に移ってそこでCOEをやるという,そういう提案をしようとしたら,文科省に聞いたら,文科省では,COEというのは大学に付いたものだから,個人によって持っていかれては困ると言って,結局,経済の近経のグループはCOEを返上したんです。要するに,やりません,と。その近経のグループが,この前,1週間前に組合の部屋に行きましたら,ほとんどもう他の大学に移っていったと言っておりました。

顧問弁護団 … 拡がる連帯

あと,我々,弁護団を持っております。自由法曹団という弁護団がありまして,自由法曹団が全面的に支援すると。都立大プロジェクトを立ち上げると。なんでかというと,要するに,我々が石原に対抗しようとすることを,自由法曹団は,非常に,その,見ていたわけですね。石原が,いかにファッショ的で,差別的で,独裁的かということを,自由法曹団は,見ていたわけですね。それで,都立大が,石原と全面的に対決すると,都立大の組合がやっていると聞きまして,自由法曹団の方で,プロジェクトを組むと。で,ILO提訴とか,UNESCO提訴とか,そういうことも考え始めています。今も会議のときに弁護団が来ております。それから,集会も何度もありまして,一番大きかった集会は,2月の後半に,「都民の会」主催で,日比谷公会堂が超満員になりました。2000名超入りますけれど,立錐の余地がないくらいに入って,非常に盛り上がりました。

就任承諾書闘争

その頃,何が問題だったかと言うと,管理本部は文科省に申請を出さなければいけない。申請を出すリミットが4月の頭だったんです。で,7月認可ということをもくろんでいたんです。そのためには,2月いっぱいくらいに就任承諾書をもらわないと,要するに,私は新大学に行きますよということをもらわないと,文科省の申請書が書けないということなんです。それが最後の,最後の最後のつばぜり合いで,人文学部と理学部がずーーーーっと反対していたんです。人文は,学部長,評議員からもう絶対反対です。最初に言ったように,もう半分に減らされるなんていうのは絶対反対です。私は,理学部の教授会で,とにかく毎回毎回発言してました。組合は裏ルートで情報を全部集めている。僕らそれがあるから,全部情報握っているんですね。そういうのをどんどん組合ニュースで暴露して,ほぼ毎日組合ニュース出していました。事務長が私のところ来まして,山下さん,組合ニュース読まないと情勢が分かりませんねぇ,という。全員組合ニュースを読む。我々組合ニュースは全構成員に配ってますから。組合員以外の人にも。たぶん1年間で百いくら出したんじゃないですかね。

最後のつばぜり合い

で,2月までは,理学部も就任承諾書を出さないということで,ずーっと頑張ってたんです。ずーーっと頑張って,人文学部は絶対出さない,理学部も出さないということになった。ところが最後,ここ一番というときに,理学部教授会がひっくり返ってしまったわけです。人文学部も,さぁどうするかという話になって,もうこれは,非常にドラマチックな抗争があったんですけれど,最終的には人文学部も,大学院の方に,学部は60何名なんですけれど,大学院の方で20何名補充して80何名,90名近い案を作って,130名から90名だったら,確かに痛いけれども,60名よりはまだましだろうという,それから,いままでつぶれた学科,研究科,専攻を再建するというような,色々な妥協案を考えて,最終的には出したんです。7月の設置審にかかるように。

設置審でも大もめ

ところが,7月の設置認可で通らなかったんです。我々が文科省に行って,いかにひどいことをやっとるかという話を全部流してましたし,それから,設置審の審査員全員に,毎回組合ビラを送ってましたし,毎回資料を送っていましたので。それから,設置審の審査員も我々の友達も知り合いも何人もいるんです。都立大のことはみんな知っているんですね。で,そのまま通すわけにはいかんと言うことで,やっぱり学者としての良心があるわけですよ。それで7月の認可は通らなかったんです。何が問題になったかというと,9月の大学院の入試が出来なくなったんですね。で,今度は学生があわてだしたんですね,うちの大学院どうなるんだ,つぶれるぞということで,みんな学生がよその大学院を受けるということで逃げ始めたんです。最終的には9月設置認可で,9月に通りました。ただし,付帯事項が沢山ついています。たとえば,都市教養学部とは何ぞやと,理念が分からないわけです。教養というのは,一般的な普遍的な理念です。そこに都市がなぜつくのか,そういう問題点とか,いろんな問題点がつきました。

新制度(任期制年俸制)拒否の闘い … "旧制度"は地方公務員法違反

そういう問題がありましたけれど,とにかく文科省を通って,今,最大の問題には何になっているかと言うと,都立大の,組合のホームページに「手から手へ」というのがどんどんアップされていますので,それを見られるのが一番いいと思いますけれど,先ほどの任期制・年俸制の問題です。要するにどの制度を取るかという問題で,最終的に就業規則と労働協約を結ばないといけないわけです。いまだに出来てないんです。4月から法人化されるのに。あと半月しかないのに。で,半分以上の人が新制度に行かないと言っているんです。だから,就業規則を作ろうにも作りようがないんですね。旧制度のままで,助手,助教授,教授のままで,昇格もない昇給もないと言ったら,これは法律に違反しているんですね。地方公務員法に。我々は昇格昇給ありますという制度なんです。法律で認められている。その法律に抵触するんです。あと半月しかないのに,まだもめているんです。完全に当事者能力失っているという状態です。それから,今日副委員長とも話をしましたけれど,今問題になっているのは教員の身分の問題,もうひとつ問題になっているのは,この2年間で教員が100名程度出て行ったんです。定年と,私みたいに別の大学に出て行ったので100名。600名のうち100名ですよ。で,もう授業が成り立たないんですね。いまだに,非常勤が補充できない分野がいろいろあるんです。新入の学生については,まぁある意味しょうがない面もあるけれど,残っている学生は,自分のついている先生がいなくなったと,たとえば人文のこの先生で,ドクターまで行ってて,教育してもらってた先生が別の大学へ行っちゃったと,そういうのが沢山あるんですね。残っている学生の教育権をどうするのか,というのが,いま,非常に大きな問題になって,総長も何度も声明を出しております。組合のニュースの中でも,総長声明が沢山出ております。

闘いを振り返って…
情報戦でリード,高い組合組織率,組合が改革の主導権を握ろう

だいたい以上が,今都立大学をめぐる情勢なんですが,私,1年間組合の委員長やっておりまして,それから,5年間都立大におりまして,組合側から見たときに,うまくいっているところと,失敗した例というのが,いくつかあります。うまくいっている例は,都立大学は,先ほどから言っているように非常に自由闊達な大学で,学長選挙のときに,やっぱりまともな人が学長になるんですね。前々代の学長というのは日の丸反対の急先鋒の学長だったんです。
弁護団,自由法曹団の弁護団が,いつも我々のところに応援しに来ていましたけれど,石原を相手によくここまで来たなぁと。彼らはいろんな弁護してるわけです。京王電鉄の争議もやったし,いろんな組合争議やったけれど,都立大の組合は多分ひと月くらいで負けるだろうと思っていたけれど,失礼ながら,これは画期的なことだと。いまだに,まだもめているんです。やっぱりひとつには組合の組織率が5割前後なんです。私のいたときに5割ちょっと越えて,いまちょっと落ちましたけれど,人文学部は90何%,理学部は80何%,あと工学部は非常に少なくて30%,文系も他のところはだいぶ低いけれど,組織率が5割近いというのがあります。それから,私のときに,とにかく組合ニュースを全員に配ろう,非組合員にも全部出そう,組合が改革の主導権を握ろうと,そういう提案をして,それもかなり成功しました。組合ビラは,管理本部の連中は,朝来たらまず組合ビラを見ます。組合が何を言っているか,どこまで情報がばれたか。彼らがチェックしているんです,組合ビラを。情報合戦なんですよ。で,ある朝突然新聞に載る。だから,管理本部は管理本部でいつも泡喰っているんです。管理本部もどんどん変わりまして,最初にひどいことやった管理本部長も変わりましたし,そういう意味では,うまくいけば,新しい大学というのは,うまい体制が組めるんじゃないかなと。ただ問題は,最初に言いましたように,理事長と学長が別でありまして,理事長が一番上。理事長は高橋といいまして,日本郵船の元会長かなんかで,これは石原の同級生なんですね。石原は自分のまわりは全部自分の友達で固めているんです。あるいはサンデー毎日がスクープしてましたように,彼はよく十何人の配下を連れて海外のリゾートに遊びに行っている。とにかく非常に不真面目です。

小物・石原慎太郎の手法はファッショそのもの

で,最初のタイトルに戻ります。なんでファッショ的と言ったかというと,私の話を聞かれて分かると思いますけれど,大学というのは本来民主主義が一番重要で,民主主義を我々は大学で教えて,それで社会に,学生を社会に送り出すわけです。で,石原のやり方というのは,まさに,そういうことを常に否定している。独裁的なんです。そういう意味で,私は,彼のやり方というのは,彼の思想とも絡んで,ファッショだというふうに考えているわけです。岩波書店の科学という雑誌が毎月出ていますけれど,そこに依頼されて原稿を書いたわけですが,そのときに岩波書店から電話がかかって来まして,「山下先生,このファッショ的というのはちょっと危ないんで,控えてもらえませんか」と言われましたけれど,私は,絶対いやだと,あいつはファッショだというふうに言って蹴りましたら,しょうがないですねぇ,じゃあやりますから責任とって下さいよと言われまして(笑),そのままファッショ的ということでやったんです。ところが,あるときに,ドイツのジャーナリストが,石原のことはみんなよく,世界中で知ってまして,都立大の話を聞きつけて,インタビューに来まして,実はそのときに,叱られました。石原をファッショというのはおかしいと。ファッショというのは,やはりナチスドイツみたいに何百万人という人を殺して初めてあれはファッショだという言葉が使えるんであって,石原はファッショじゃないですよ,まだそれは甘いですよ,ということを言われまして,ああそうですかというふうに私は答えたんですけれど,でも,私は,石原はまさにファッショだと思います。でも,まぁ,権力も,驕るものも久しからずと言って,彼も次の選挙,あるいはその次の選挙くらいには,たぶん年齢のこともありまして,下りるだろうと思います。まぁ,その間,都立の新大学が耐えれば,都立の新大学はまともになっていくんじゃないかと,期待しております。長い間ご清聴ありがとうございました。

質問と議論

[質問者]
僕が一番心配しているのは,ちゃんと4月から授業が成り立つんだろうかということなんですが。
[山下]
まさにおっしゃる通りです。一応,つじつまは合わせました。非常勤含めてつじつまは合わせました。だから急遽人事をやりまして,昇格の人事,それから補充の人事をやりました。昇格の人事は10月にやりましたけれど,公示は1週間,審査が1週間,で,3日後に発表するということをやりました。そのときの基準が,偉大な賞をもらった,それから外部資金を沢山持ってきた,この2項目です,昇格人事については。だから,ほとんどの人は落ちるわけです。だから理学部で昇格したのが数名ですかね。
その後,今度は公募に入りました。1年前から実は公募をやっていたんですけれど,最初,普通の公募やりました。で,1つの公募に対してひどいところは応募者が1人です。一番多かったのが6人です。そのことを我々が団体交渉のときに言いましたら,彼らは6人も来たからいいじゃないかという言い方だけれど,そのときに,人文学部の(組合)副委員長が,お前らなんて馬鹿なこと言っている,人文学部だったらひとつの公募に対して100人以上来るよと。それがたった6人,おまけに1人しか来ないところはどうやって決めるんだという話をしましたら,さすがに管理本部の方も黙り込んでまして,なにかぼそぼそ言ってましたけれど。要するに,非常に人気がないです。そのあと,理学部から,人文含めまして人事が始まっていますけれど,いろんな人が私に相談に来まして,出してもいいですかってなことを言われるんで,僕は,やめた方がいいよ,やめた方がいいよ,とみんなに言ってまして。そのせいか応募者は非常に少ないです。
だけど,補充はほぼ出来てます。ただ先ほどから言っているように,3つ選択肢があった中で,新任は有無を言わせずに任期制・年俸制です。
で,年俸制についてはいまだにけりがついてないんですね。僕らは,宮下参事というのと会ったときに,もう一人(参事に)泉水というのがいるんですが,泉水は年俸制というのは野球と同じで,その1年の業績を見て,次の1年の年俸を決めるのが年俸制だと言ったんです。ところが宮下というやつが,それは違うと。1年の仕事を見て3月のときに,こいつはまともにやっとらんということになったら返してもらう,ひどいときは100万から200万返してもらう。そんな馬鹿な話がありますか。1年間働いて,3月になって,お前はさぼっていたから100万円返せなんてことが。そんなこと言うんです。そしたらさすがに,管理本部の宮下と泉水が喧嘩を始めまして,管理本部長がまぁまぁここは,その問題については検討させて下さいと引き取りましたけれど。要するに何も考えてないんですね。お互い同士がコミュニケーションできてないんですよ。みんなが勝手なことを言う。で,僕らが組合で暴露すると,いや,それはもうちょっと待ってくれ,もう一回考えます。もうそんなことばかりで,もう団交を途中で打ち切ったことが何度もあります。要するにまともに考えてないんです,最後まで,誰も。そういう意味では,ある意味では楽観しているんですよ。押し返せるだろうと。

それから,ご存知のように学長は西澤先生ですが,西澤先生のこの間のいろんな発言見てみると,江戸の学問と東京都とどうのこうの,そういう話ばっかりなんですね。およそ学者とは思えない発言ばっかりするんですね。彼は公立大学協会の会長やってますけれど,会長のときは,公立大学は大学の自治を守って云々と言いつつも,いざ都立大の話になると,おかしくなるんですね。よくぞ東北大学はああいう馬鹿な人を出したという話で(笑),我々非常に迷惑を被っていますけれど。まぁ,しょうがないですそれは。

[質問者]
理学部の者です。いま,教員の方の出て行くとか昇給とかいう話でしたけれど,それぞれ何とかなる。それぞれの立場で,自分の意志で。でも学生は出来ませんよね。学生は,なにか制度が変わるとなんとかしなければいけない。出ることは出来ない。学生に対してはどういうケアが必要だと思われますか。
[山下]
この間,学生自治会と,それから大学院生自治会も再建しまして,都庁に押し掛けまして直接管理本部と団交とかもやりましたし,それから,総長が学生を集めて説明会というのを,たぶん4回くらいやったと思います。カリキュラム委員会というのを作りまして,そこには学生部長とか出ていますので,都立大に関して言えば,総長,学生部長と学生自治会との間のコミュニケーションは一応取れています。ただ,それでも学生側は,先ほどから言っているように,自分の希望する先生が都立大からいなくなったということで不満を持っていますし,それから,今付いている自分の先生がいつ出て行くかということで,不安感は常に抱えています。私は出るときに20何人学生をおいてきましたけれど,直前まで黙っていたら,それはひどいということで学生にはかなり文句を言われました。先ほどから言っていますように,教員が100名近く出ていますので,そういう意味では学生のケアというのは非常に重要だと思います。学生は高い授業料を払って,学ぶ権利というのを当然持っているわけです。それに対して,大学側あるいは教員側というのは,それに応える義務があると思います。そういう意味で,おっしゃるように非常に重要だと思います。それについては,ある程度大学側は進めつつあるというふうに考えています。

[質問者]
工学部です。これは,現代の話ではなくて,18世紀くらいの話のようにどうも聞こえてしょうがないんですけれど。大学というのは,やはりミッションがあって,先ほどご紹介があったように,設立理念というのが最初にある。私の方では,工学教育では全国的な組織があって,JABEEというんですけれど,やっぱり最初に教育理念というのを持ってこないといけないというふうになっているんです。それをまず評価するというふうになっているんですね。そうすると,都立大学というものが,新しい大学になるときに,およそ普通の人が考えれば,大学の教育目標とか,設立理念からまず作るものではないか。石原慎太郎という人が,まぁ先生おっしゃるように,どうかしていると,私もそう思うんですが,100歩譲って,普通でなかったとして,やはり彼が考えている,なにかそういう設立の趣旨,設立の理念,例えば皇国史観でもいいです,天皇のための大学を作りたいとおっしゃるんならそれでもいい。何かそういうものがあったんじゃないかと思うんですが,いかがでしょうか。
[山下]
いくつかポイントがあるんですけれど,先ほどから言っているように,設置者権限というのが非常に重要だと思うんです,そこが分かれ目だと思うんですね。彼らは大学を作るときに,移行じゃないんだと,要するにゼロから作るんだと,だから好きなことが出来るんだというのが,彼らの論理です。だけどそれは文科省に通じなかったし,組合にも通じなかったわけです。石原が自分の財産を,お金をなげうって新しい大学を作る,その設置理念は俺のいう通りである,というならあり得ると思うんですよ。それなら,その設置理念に賛同した人が,学生が入っていけばいいし,教員もそういうのが行けばいいわけです。今回は全く違うんですね。既に4大学があって,移行型だということも文科省に言って,地方独立行政法人法の下では,移行型ならば待遇も変わりませんよと,法律も言っているわけですね。だから,完全に勘違いしているんですね。勘違いと言うか,要するに悪用しているんですね。そういう意味では,まずやり方が全面的におかしい。
それから,石原の基本的な考え方というのは,弁護士が言っていましたけれど,リストラ分社化と言うんです。京王電鉄でやってますけれど,京王電鉄は何度も裁判起こされてますけれど,あそこは組合が反対すると会社を分けていくんですね。京王電鉄,京王電車,京王バス,京王なんとか,京王が付くんですけれどどんどん分けていくんです。で,組合活動家を全部自宅待機させるんです。仕事やらせない,金は払うんですよ,給料は。それで,いやがって辞めるのを待つんです。どんどんどんどん,同じバスでも車体の色がちょっと違うだけで,会社は京王なんとか,全部違うんですね。
どうも石原のやり方というのは,まさに,民間企業が首切りをやるときと同じやり方を大学の中でやろうとした。その彼の一番の目標が,ひとつは赤字解消,って実は赤字じゃないんですけれど。もうひとつは,自分の言いなりになる大学を作りたい。だから,ITを秋葉原に作ろうとしたり,バイオ関係を作ろうとしたり,そういういろんなことを彼はやっていますけれど,要するに金になるもの。金にならない人文とか,金にならない理学部とかいうのは冷や飯喰わせて,工学部系にお金をばらまいて。だから科技大をかなり評価して,都立大は評価しないというのもひとつの典型だと思いますけれど。そういう,大学のアカデミズムに対する無理解と言うか,そういうのが特に彼はひどいですね。

[質問者]
大学と専門学校を区別していないというか,そういうことですかね。
[山下]
そうですね。彼は一橋を出ていますけれど,不幸なことに大学の,特に自然科学の大学の研究の重要さということが全く分かっていないというか,それが一番あるんじゃないですか。それは,我々の側も,大学の側も,社会に対して,あるいは都民に対して,きちんと都立大学の存在意義を訴えてこなかったという反省も若干あるんですね。あるんだけれども,それはそれとして,やっぱり石原のやり方というのはおかしいということです。基本的な大学の,最初に言いました学問のあり方とか,大学はどうあるべきかという,そういう基本的な大学の考え方が全く出来ていないんですね。

[質問者]
彼は,右翼だと言われて,本人も右翼だと言っているわけです。何が思想なのかということに非常に我々興味があるんですが,言い方悪いですが。権力欲というのはありますよね。でも権力欲ばかりでは世の中いけないわけで,特にこういう大学とか,あるいは都という組織を率いていくことはできないわけですよね。彼の基本的な理念と言うか,思想というのは,一体何なんでしょうか。
[山下]
それは,私,本質的なところはよくわかりませんけれど,現象的なところを見ると,先ほど言ったように,もともと彼は物書きから,物書きと言ってもポルノ小説書いてたわけですが,それから国会議員になって,それで,右翼的な,なんとかの会というのを作って,青嵐会ですか,それに入って,で,とにかく,やはり総理大臣になりたかったんでしょうね。それが出来ない,となったときに,都知事になると,あそこ予算が数兆ですので,まぁ国の予算ほどではないにしろ,かなりの影響力があるわけです。そういう意味で,やはり天下を取りたいというのがあるんでしょうね。野心が。日本を牛耳りたいというのがあるんでしょう。彼が言っているように,東京から日本を変える,というのに彼の本質的なところがあるんじゃないですか。

[質問者]
つまり強権を発動できたという実績を作りたい。
[山下]
そうですね。ですし,やりたい。日本全体をやりたい。先ほど言ったように,彼のやった政策は全部失敗してますからね。彼は物書きとしてどうかは私はよく知りませんけれど,政治家としては下の下ですね。政策を全部失敗していますから。まともな政策ありません。

[質問者]
石原慎太郎は,都立大を思想的にも許せない存在だと。
[山下]
うん,僕は,そっちの意図が非常に強いんじゃないかと。いや,よくわかりませんけれど,彼が目の敵にしてたのは人文学部と,あとは私のような理学部でしょうね。

[質問者]
東京都民の役に立つ大学というか,ニーズに応える,最近よく聞く言葉ですけれど,ニーズという,それを向こうとしては口実にしている面があるのではないかと。それによって,こちらが反論しにくいといいますか,そういうことはありますでしょうか。
[山下]
公立大学の存在意義というのは非常に重要だと思うんですね。国立大学,私立大学,それぞれに設置理念があって,当然,公立,地方自治体が大学を持つというのには,それなりの理念が必要だと思うんです。当然,地方自治体に対する貢献というのは重要ですし,そういう意味では,都立大学の中には都市研究所という大学院大学がありましたし,そういう意味ではある程度の努力はしておりますし,それから,都の中のいろいろな研究機関との連携大学院ということで,大学院の学生を研究機関に委託するということもやっておりますし,それなりの努力はしていると思います。
ただ,学問というのは,そういうローカルな貢献というのも当然重要ですけれど,もう一つ,ユニバーサルな問題もありますので,そういう意味では大学の使命というのは,いろいろな多面性を持っているので,両面をやって行かないといけないんじゃないと思います。

[質問者]
一般には,その両面というのが非常に伝わりにくくて,最初の面だけが...
[山下]:そうですね。そういう意味では,我々都立大学に居った人間は反省しなけりゃならない面というのはあるかもしれないですね。

[質問者]
そのことは,先ほど大学のあり方の中でもおっしゃっておいででしたね。
[山下]
そうですね。大学の改革の流れの中で大学が負けたというのは,やはり大学がサポートしてもらえなかったというのが一番大きいと思うんですね。それは,やはり大学人が怠った面だと思うんですよ。そこを,文科省からは法人化というやり方でやられたわけですね。我々はそういう失敗から教訓を得て,二度とこんなひどいことがないようにしないといけないと思いますね。

[質問者]
先ほどの話にもちょっとありましたけれど,このあと,4月が来て,外から見ていると,決着を付けられてしまったいう感じにも映っていたのですが,お話では,そうでもない,いやどっこいということでもあるようですが,その辺の所の展望というのはどんなもんでしょうか。
[山下]
教員の半分が新制度に移っていないんですね,残っている半分が。で,旧制度のままで,就業規則とか労働協約は結べないんですよ,法律に違反しているから。昇級も昇格もないということはあり得ないことですから。だから都の方はちょっと待ってくれといっているんですね。だから都庁側が内部崩壊する可能性があるんですよ。そういうことを含んで,今日副委員長に電話したら,4月から5月が山かなぁと,そういう感じで言ってましたね。わかりません。わかりませんけれど,都立大の組合は非常にいい戦い方をしていると,僕は思います。組合としてはかなりしっかりしていますね。専従も二人いますし,ビラをほぼ毎日,多いときは1日2枚出していましたから。それを読まないと全然情勢がわからない,管理本部は何も言わないから。事務長が私の所に来るくらいですからね。

[質問者]
今後の都立大の展望というのはどうなんですか,つまり,東北大学もそうなんですけれど,なかなか一票の重みみたいなものが大切にされずに,多分,戦後,いろいろな運動を展開する中で,一票一票を,学長選考のことを言っているんですが,それを大切にしていたはずなのに,そういう歴史を形骸化するような形で今,展開されています。都立大が,今,4月からスタートしますけれど,まぁいろいろな問題が絡んでいると思うんですけれど,都立の新大学構想というのが徐々に進んで行って,先生方はだんだんものを言わなくなるというような方向に進んで行くのか,それとも,組合がやっぱりしっかりしているので,本来的な,民主的な運営というものをきちんと実現するような流れで行くのか,そこらあたりの感触というのはいかがですか。
[山下]
そこが非常に重要だと思います。先ほど言ったように,大学とは何ぞやという話をいつもしているんですが,大学というのはやはり真理探究なんですね。で,階級制がないことなんですね。だから,我々が自分の良心に背いて,曲がったことを,嘘をつくということを,ずっとやって行くということは,教育者としても,研究者としても,実はできないことなんですね。それは,今,組合が弱くなったり,新しい人と代わって,どんどん人が入れ替わったりという,一時的な現象としては弱くなるということはあり得ると思うんです。あるいは,不正義が通ることもあるかもしれない。だけど,僕は,ロングレンジで見たら,やっぱり大学人はこうあるべきだというのがどっかで出てくると思うんですね。あるいは学生が言うと思うんですね。自分たちはお金を払っていると。だけどまともな教育ができてないと。だから,僕は正直言って,楽観してます。
それは日本の政治もそうだと思うんですけれど,企業が後押ししてして2大政党制を作ろうとしたわけです。ところが2大政党のどちらにも不正がどんどん出てくる,2大政党が競争しながら不正をやっているわけです。それに対しては,もう,破綻するのは時間の問題だと思うんですよ。そういう意味では,大学は,今は冬の時代だと思っています。だけどこれから数十年も続くとは思えないんですよ。いや,いい政策なら,どんどんみんな努力していい方向に行くと思いますけれど,みんな,内心矛盾を抱えていると思うんですよ。我々,学生に対して真理を教えなけりゃいけないし,正義を教えなけりゃいけない。それができないっていうことはあり得ないことなんです。僕はそういう意味では楽観してます。
たとえば憲法の問題にしても,大江健三郎たちが9条の会というのを作って,各地方でずうっと講演会やっていますけれど,どの会場も超満員なんですね。9条を守ろうという一点だけでものすごいものを持っているんですね。たぶん,どっかの選挙のときには9条をどうするかということが争点になると思うんですね。そうなれば,ものすごい大きな流れが出る可能性があると思いますね。戦後の日本の矛盾点というか,いろいろな所に出てきていますけれど,大学の中にも出てきていますけれど,僕はそれは,ロングレンジで,社会の発展というレンジで見れば,ちょっとした揺らぎであって,将来的には落ち着くべき所に落ち着くんじゃないかという気がします。

[質問者]
今の意見に対して,僕はちょっと悲観的なんですが,一度システムが出来上がると,特にこの官僚社会においては,それが何十年続くということが,いろいろな例がありますので,特にこの法人化,私もどちらかというとあまり関心高くなかったんですが,法人化をされる,特にこの1年,あるいは2年,やはり教官の意識はすごく低かった。何とかなるだろう,あるいは誰かが何とかしてくれるだろうと。今,東北大学の学長がああいう形で選ばれるということになっても,未だに,ほとんど大きな声が聞こえてこない。まだ,何とかなるだろうと思っている。ところがこれが形として出来上がってしまうと,それを崩すのはもっと難しい。そういう意識が全体に蔓延しているような気がする。都立大は,むしろ,そういうドラスティックなものが,急激にあったから,意識が高まったのかもしれない。じわじわじわじわ来るのに対しては,なかなか意識が高まらない。だから,ロングレンジで見ると,むしろ逆になるかもしれない,という可能性が非常に高いんじゃないかという気がする。だからといって,どうしたらいいのかというのが全然思い浮かばないというのが正直なところなんですが。
[山下]
おっしゃることはよくわかります。ただ,僕は自然科学者ですので,実証というのを重要視しているんですが,例えば筑波大学というのは,東京教育大学が左がかった大学だということで,つぶせっていうことで筑波大学が誕生したんですけれど,もともと組合なんか認めなかった大学が,今はもう組合があるんですね。それから,名工大というのがありますが,名工大というのは,柳田というのが東大から学長に選ばれたわけです。彼は取り巻きを作って,毎晩宴会をやって,飲み屋で政策決めてたんです。で,飴と鞭政策で,言うこと聞くやつには金を配って,言うこと聞かないやつには金をやらないということをやったわけです。そしたらついに謀反が起きまして,教授会で通そうとしたら否決されたんです。で,辞めたんですね。
僕は,大学はやっぱり,会社と違って,いや,会社でも謀反起きますけれど,大学は,サイレント・マジョリティがいて,いずれはきっと,どっちに付くかと最後突きつけられたら良心に従うと思うんですよ。それは僕は信じているしポジティブに考えているんですよ。それがみんなタイミングが合うかどうかですね。みんな一気に,これはもうこれ以上我慢できない,だからどうにかすると。今度,東北大学の学長選考についても,ひどい制度です。だけれど,今の学長も,いろいろとスキャンダルがあるみたいですけれど,ひどい学長が何代も続くと,そういうことが起きてくると思うんです。署名を過半数集めたとか,そういうのをどんどん流すとか,やり方はあると思うんですよ。さっきから言っているように,矛盾のある制度というのは,絶対矛盾が出るんですよ。その矛盾を隠そうとすると,もっと大きな矛盾が出るんですよ。だから自然とみんな賢くなって,やっぱりこうせんといかんなぁと,そこは人間の愚かさでいったん経験しないとわからないと思うんです。一番恐ろしい戦争というのは,経験したのにまた,というそういう意味では,先生が言われるような面というのもあるかもしれないけれど,でも,先ほど言った9条の会みたいに,どの会場でも超満員というのは,一方であるんですね。いろんな力のつばぜり合いがあって,で,流れがどっちになるか,そのときにサイレント・マジョリティがどっちに付くか,それで,世の中流れて行くんじゃないかというような感じはしてます。大学においても,むしろ大学の方が,一応知識人の集まりだと思っていますので,そういう意味では,まともな判断をすると思いたい,と考えていますので,楽観してます,私は。

[質問者]
今のお二人の,悲観論と楽観論は,私から見ますと,生意気なようですが,矛盾はしていないと思うんです。非常に,先が悲観されることも事実ですけれど,逆に,こういう場所で,企業社会と違って,こういう場所ですから,真理が一番上に立ちうる条件はあると思うんです。何かおかしいことが起こったときには,ものを言うことができる。制度がそのときどうであれ,声を出せる,そのことが非常に効果的に働きうるコミュニティである。そういう意味では,法人化されて将来暗い方向に向かっておりますけれど,必要なことを言って行く,そうすると共鳴する部分も出てくるんじゃないかと,いま,そんなような感じでいるんですけれど。それが,都立大では,非常に急激な出来事であったため大きく共鳴して,このような戦いになったということで,今日,お話を聞いて感激したんですけれど。今日のお話をお聞きするまでは,都立大のことを周りから聞いておりまして,学生の方も大変でしょうし,教官の方達も,憔悴しきった毎日ではないかというふうに感じていたんですけれど,今日の山下先生の豪快なお話を伺うと,まったくそんなんじゃないんだと。
[山下]
私は,学生時代からずっとやっておりますから,こういうのは慣れたもんで,学生のときに比べたら,組合なんて楽なもんですよ。専従もいますし,それは楽ですよ。副委員長なんて30分もあればビラ簡単に書きますしね。
都立大の組合が,まぁ,結果はどうなるかわかりません,でもまだ存在意義があるというのは,情報戦で,ある意味勝っているんですね。とにかく,最新情報を,一番早く流すんですよ。だから,組合員でない人も,組合のビラをみんな見るんです。それを読まないと都立大について語れない。そこまでやったんです。今後,組合がどうなるか,大学がどうなるかわかりませんけれど,非常にいい教訓として残っていると思います。どこの大学も法人化を迎えて,いろいろなまずい面が出ていますけれど,僕は楽観しています。なんとかなりますよ。

他,よろしいですか。では,どうもありがとうございました。 (大きな拍手。)

まとめ:東北大学職員組合理学部支部

講演の後半,都立大学の「改革」の経緯についてのお話は,岩波「科学」2004年4月号に掲載された論考「都立4大学改革について:石原都政のファッショ的手法による都立4大学の「廃止」をめぐる危機」に基づいています.


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