ホームに戻る

東北大学職員組合ニュース:1999年原水禁世界大会報告

1999/11/17 発行・東北大学職員組合平和問題対策委員会
〒980-8577 仙台市青葉区片平二丁目1-1
Tel.:022-227-8888,FAX: 022-227-0671
E-mail:touhokudai-syokuso@ma5.seikyou.ne.jp


logo title




 8/7〜9、長崎でおこなわれた原水爆禁止世界大会に組合の代表として、図書館支部の高橋京さんが参加してきました。以下に報告いたします。 なお、代表派遣カンパのご協力ありがとうございました。(11/16現在47,522円)


王城寺原で「核・生物・化学兵器」の訓練

 出発に先立って開かれた代表者会議で、今回の参加に当たって宮城県代表は特に任務を持ってのぞむことが確認されました。王城寺原での演習の実態を、大会の中でどんどん発言しようということでした。
 王城寺原では1997年から沖縄県民の苦しみを分かち合おうという口実で、地元の反対を押し切り演習が行われています。昨年11月に行われた演習で「核兵器、生物兵器、化学兵器」の訓練が実施されたことが「オキナワ・マリン(沖縄海兵隊)」紙により明らかになりました。

被爆者にあたたかい援助を

 1日目の夜の結団式のときに被爆者松谷英子(まつやひでこ)さんとの交流会がもたれました。昨年仙台においでの時にお話を聞く機会があり、以前コアでも紹介しましたが、松谷さんは3歳の時に長崎で被爆し右半身不随になりました。二度にわたり厚生省に認定の申請をしましたが却下され、その後裁判に訴え、長崎地裁、福岡高裁で勝訴しました。
 しかし厚生省が上告し、現在、最高裁での勝利をめざし闘っています。事務局の方から、厚生省の人が「松谷英子という子は死んだ。運が良くて生きているのだ」といったというとても生々しいお話を伺いました。怒りに身体が震えました。
 当時、38万人だった被爆者は、現在、30万人。その中で原爆症に認定されているのはたった2,000人だそうです。信じられない数字です。

11時2分…一瞬の雲の切れ間に

 2日目、開会式は午後からでしたので午前中じっくりと原爆資料館を観ることができました。展示室に一歩足を踏み込むと、まるで54年前にタイムスリップしたようです。カチカチと時を刻む時計の音、目の前には、原爆投下前の長崎の街や風景、市民生活の大きな写真が掲げてありました。さらに進むと、原子爆弾がさく裂した映像が繰り返し映され、反対側には、11時2分を指したままの時計が展示してありました。原爆が落とされる前の人々の生活に思いを馳せ、しばらくその場を離れることができませんでした。
 また、長崎に原子爆弾が落とされるまでの経過が記してあるパネルの前では、メモを取っている若者がたくさんいました。私も全文書き写してきました。米英の会談の中で原爆の使用を日本に行なうことで一致していたこと、広島、京都、小倉、新潟などが候補にあげられていたこと、投下に際して日本に事前の警告を行なわないことに合意していたこと、7月24日に長崎が目標として加えられたこと、はじめは小倉が目標であり、焼夷弾の煙のため断念し長崎に向かったこと、長崎の上空も雲でおおわれ、燃料不足のためここも断念し、帰還しようとしたところ、11時2分一瞬の雲の切れ間に投下したことなどが記されており、これまで断片的にしかわからなかったことが、ここではっきり知ることができました。

平和の像や碑がたくさんの長崎の街

 大会2日目の分科会は、被爆遺跡モニュメントめぐりに参加しました。投下地点の原爆公園に集合し、10数人のグループで案内の方の説明を聞きました。公園や公園のまわりには、平和を願う像や碑がたくさん建ててありました。片足鳥居、文字通り片足で建っており、片方はその場に横たわったままでした。原爆クス、被爆した反対の方から芽が出て人々に生きる勇気をあたえてくれたそうです。長崎大学の門柱、爆風で10度傾き、その中に小石などが入り込み今でも傾いたままです。浦上天主堂の「天使たち」は焼かれ、鐘樓は35キロも飛ばされました。
 その後、被爆者のおひとり小峰秀孝さんのお話を伺いました。いじめ、差別、偏見、原爆はうつるとまでいわれながらの生きざまを話してくれました。
 小学6年生の息子といっしょに参加しましたので、小高い丘にあり何もさえぎるものがなく被爆した城山小学校まで足をのばしました。被爆時学童は一人も登校していませんでしたが、家庭で被爆し、ほとんどの学童が亡くなったそうです。正門をはいるとすぐ、腕にハトをとまらせた等身大の少年平和像が建っていました。また、平和桜や平和の鐘、平和の森、被爆クスなど原爆や戦争、平和に関する施設や碑などが数多くありました。毎月、平和祈念式を行ない冥福を祈り、平和を希求しているそうです。

若者にハイジャック?

 これは若者の集会かと勘違いするほど若者が元気でした。「社会は何をしても変わらないと思っているこどもたちに、あきらめないで、平和をめざしてがんばっている子どもがここにいると勇気のバトンを渡したい」と自分の言葉で堂々メッセージをのべた女子高生、「ぼくらの生きる未来には、戦争なんていりません、核兵器なんていりません」と閉会式の会場いっぱいに大きな声を響かせたたくさんの今風の若者たち。これらの姿に、昔の若者も負けずにがんばらねばと元気をもらうことができました。
 加えて、息子の「また行きたい」の言葉にも励まされ、これからも平和をもとめる運動に携わっていきたいと思います。


ホームに戻る