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教文部ニュース第十四号
1999.2.1発行
東北大学職員組合教文部 発行
Tel:022-227-8888 Fax:227-0671
E-mail:ma53625s@ma5.seikyou.ne.jp
討論詳録
大学にビッグバンはあるか 〜大学審議会答申で、大学は変わるか〜
放送:NHK-BS1 1999年1月16日(土) 午後9時〜10時49分
出演者:
(論者)
- 吉川弘之(放送大学長) 大学審議会委員
- 猪口邦子(上智大学教授) 大学審議会委員
- 蔵元英一(九州大学教授) 大学審批判派
- 西澤潤一(岩手県立大学学長) 大学本質論者
- 生駒俊明(日本テキサスインスツルメンツ社長) 財界人
- 橋爪大三郎(東京工業大学教授) 改革急進派
(司会)
1月16日に、大学改革を巡る討論番組が放映されました。全大教委員長も出演するということで、大学審答申への私達の見解がどのような議論になるか興味深いところでした。
実際は、まず大学の教育・研究が非常に衰退しているという認識から討論が始まっており、大学の理念に関する本質的な議論にはならなかった印象をもちました。また、全体を通して大学改革に関しては、財界など改革急進派に対して、大学審が中庸であり、全大教は「保守的」な立場になっていることがよくわかりました。
21世紀の大学像については、大学が淘汰されることについて、研究中心もしくは教育中心の大学また得意分野中心の大学に「個性化」することについて、学生間の競争を強くするか弱くするかについて、注目される議論がありました。各論点について、改革急進派、大学審がどのような意見なのか、非常に参考になると思いますので、以下に発言を記録しました。
<導入(ナレーター)>
日本は、586校の大学、263万人の大学生、院生を有している。在学者数は40年前の2-3倍である。近年、大衆化が進み、大学のマイナス面が際立つようになってきた。大学は、学生のレジャーランド、教授の楽園と言われ、荒廃ぶりが指摘されている。
昨年(1998年)10月に、今後の大学はどうあるべきか、大学審答申「21世紀の大学像と今後の改革方針-競争的環境の中で、個性が輝く大学」が提出された。答申の特徴は、大学に競争原理を導入することによって、世界をリードする研究や人材を育成し、産学連携による技術開発を行うことを求めている点である。そして学生の質を高めるため、卒業を厳しくすることにしている。大学が変われば、日本は変わるという声がある中で、いっこうに変わらない大学に、今度の大学審答申は厳しい改革を迫っている。
21世紀に向けて、日本の大学はどこまで生まれ変わることができるのか?
<討論者紹介(ナレーター)>
吉川弘之(放送大学長、日本学術会議会長、大学審議会委員)
東大学長時代に教養部改革の先頭に立つ。大学の個性化には学長のリーダーシップが必要。
猪口邦子(上智大学教授、大学審議会委員)
日本の大学は「ぬるま湯」につかっているようなもの。改革の鍵はグローバルスタンダードに立って、大競争に立ち向かうこと。
蔵元英一(九州大学教授)
「教育や研究の場に、優勝劣敗の競争原理を持ち込むことは間違い」と、大学審に意見書を提出。
西澤潤一(岩手県立大学学長、半導体研究所所長)
Mr.半導体。日本の産学協同の草分け的存在。ものまね研究からは何も生まれない。
生駒俊明(日本テキサスインスツルメンツ社長)
海外の大学や研究所での経験から、日本の大学の閉鎖性を痛感。大学は社会の求めるスペシャリストを育てることが必要。
橋爪大三郎(東京工業大学教授)
教授の終身雇用を止め、任期制、年俸制の導入が必要。
<答申全体について>
- 司会:1980年代から改革の必要性が指摘され、1987年には大学審議会が設置された。そして大学設置基準が大綱化され、大学の活性化が図られたが、残念ながら変わっていないのが現状。そのような中、昨年10月に答申が出され、大学をどう変えていくべきかが提案された。
- ナレーター:
(答申の大筋)全体を貫いているのは、行き過ぎた平等主義を止め、競争的環境を作り、個性のある大学を作り出すということ。
(骨子)
- 厳格な成績評価の導入
学生の質を確保するため
- 教授の能力・資格・待遇の点検
自己評価の実施。待遇の柔軟化。教授および助教授任命権の学長への委任。
- 大学院の充実、世界的研究の推進
科学技術創造立国実現のためには、大学院を充実し、高度な専門知識、新しい専門領域を開拓する研究者の養成が不可欠。また地域社会や産業界の要請を積極的に聴き、産学連携を図っていくことが必要。
- 第三者評価システムの導入
世界的なレベルの大学にするため、個性を伸ばし、質を高める。そのために第三者評価システムを導入し客観的な評価を行う。
- 吉川(以下、敬称略):答申の位置づけを述べる。大綱化によって自由度が増した。カリキュラムや学部の体制を変えることが可能となり、大学改革が始まった。しかし、教養教育の位置づけや大学・学部教育の政策が定まっていなかったといった矛盾も出てきた。答申は、問題点の分析を行い、自主的に改革を進めるための制度的な支援を示した。
- 猪口:大学は保守的。答申は、国際通用性を打ち出している。大学の個性を定めたところで、海外の大学と比べて検討することを示した。責任ある授業を行い、教育現場の水準を上げなければならない。
- 蔵元:全大教の委員長として発言したい。競争原理は教育にはなじまない。答申では、20世紀を総括して21世紀の大学像・理念を示す必要があったと思う。自由な学問、学術文化の中心、平和を希求する人格の育成という理念を据えて、それに沿って具体的方策があるべきだ。
- 西澤:やっと骨子ができた。しかし、これだけでは研究に関しては、強制されて勉強する学生が増えてきてしまう。本当に自分の意思を原動力にして勉強するようにしなければいけない。
- 生駒:全体的には賛成。競争、個性化はグローバルスタンダードとしては当たり前。しかし、高等教育への国家支出は先進国の約半分。産業界が競争力を増すためには、倍増する必要がある。
- 橋爪:答申には失望した。危機感が足りない。もっと大胆な改革が必要。
<教育について>
- 司会:答申では、学生の成績評価を厳しくして安易に単位を与えない、簡単に卒業させないことを提案している。しかし学生は、出席にしなくても単位を取得できるような、楽に単位をとれる授業を受け、熱意ある厳しい先生は敬遠されるという現状があるが。
- 橋爪:厳しくするのは当たり前。学生は何故意欲がないのか。それは入試で疲れ切っているから。答申は入試に関しては手つかずであり、全く不十分である。
- 吉川:答申は大学としての問題点を解析しているものである。学生が元気がないのは、別なところに原因がある。
- 猪口:密度の高い授業を展開すれば、学生の熱意も増す。丁寧にしっかり教える。学生が満足した上で、厳格な評価をするという段階が必要。
- 生駒:学生が勉強しない原因の半分は先生にある。思考がつながるような教え方をしていない。昔の授業ノートでやりっぱなし。出口管理は必要。
- 西澤:良薬は口に苦し。強制的にやらせるのは必要。小中高校では知識量教育なので、学問のおもしろさを考える余裕がない。これでは、積極性も出てこない。
- 橋爪:入試は要らない。答申はとりあえず出口を厳しくという、対症療法である。大学を勉強する場にすることが第一。このためには、学生の意欲、教員の教育力、社会から求められているものの把握の3点。現状では勉強ではなく卒業するために大学に来ている。
- 蔵元:教員は研究者である。体系化された学問に加えて先端科学を教えれば、学生はついてくる。しかし、多忙化と一人当たりの学生数増加で、研究もできない状況である。研究費も少なく、施設もない。悪循環である。
- 司会:大綱化され、カリキュラムの柔軟化がされたが、依然として学生は受けたくない授業を受けている。
- 吉川:昔は少数の教員と学生という特殊な社会の中で価値観を共有できていたため、「俺についてこい」「先生のようになりたい」という関係が成り立った。大学が大衆化された現在では、昔のようにはいかない。多様な学問を伝承するためには、教育方法を改善しなければならない。
- 生駒:教育システムを教えるシステムから学ぶシステムへ変える必要がある。
- 猪口:勉強しやすいシステムを。シラバスで授業内容の明確化を。教える方も受ける方も意欲が出るはず。授業のプレゼンテーション方法も工夫すべき。
- 西澤:教育の原則は1対1である。
- 橋爪:環境を整えた上で、学生にも勉学する責任を求める。学生定員がある限り、学生は足元を見る。卒業定員にすべき。
- 蔵元:それでは、大学間で入学志望者数の差が激しくなってしまう。多量の中退者をどうするのか、勉強しても卒業できない学生をどうするのか?
- 橋爪:アメリカの大学ではそのような混乱はなく、うまく機能している。
- 司会:具体的な授業の改善方法として、学生による授業評価について考えてみる。
- 東海大学副学長(VTR):先生は我が身を守ることを考えると、大学は成り立たない。授業改善に役に立つ教育力の評価に使うべき。
- 猪口:必要だが、取り扱いは慎重に。勤務評定とはリンクさせない。おもしろい授業だけがよい評価を受けるという問題点がある。基本は1対1だから、教授をサポートする体制(TAなど)が必要。
- 蔵元:授業評価は、もうすでに多くのところで行われている。授業改善には有用。しかし、ある先生は丁寧に教え、ある先生はあまり丁寧に教えないで考える力を養う。どちらが良いかは、その授業毎にはわからず、その学生が社会に出てからわかる。簡単には評価できない。
- 司会:研究重視、教育軽視の状況があるように思えるが。
- 橋爪:何で先生の授業がわからないのか。教育が下手。努力が足りない。研究が優れているならば学生は何かを引き出そうと食らいついてくる。しかし、研究も教育もできない先生がごまんといる。
- 吉川:そんなひどい状況ではない。研究の評価に比べて、教育の評価は難しい。学問体系に合わせてカリキュラムを組むわけで、個人ではなく集団で教育するもの。体制のアレンジの仕方が問われるべき。評価には専門機関が必要。先生の技術だけの問題ではない。
FAX:
・大学の授業は難しく、高校は益々易しくなっている。
・つまらない。わかりづらい。予備校に学べ。
・多忙。授業改善を行えるような、条件整備が必要。
- 西澤:自分の授業をビデオに撮ってみると大変参考になる。アメリカと違い能力主義ではなく学歴社会なので、自分の能力を高めずに簡単に卒業できる道を選ぶ。
- 生駒:教育の評価は簡単で、入口と出口における差をみればよい。
- 吉川:学生の学ぶ動機と先生の教える動機がずれている。学生の学ぶ価値観を知ることが第一歩。各大学工夫が必要。
- 蔵元:研究と教育は切り放せない。既成の学問プラス未開のものを示すことで、学習意欲がわく。
- 生駒:それは古い大学観である。どう考えるかを教えることが必要。
- 橋爪:専門に埋没した授業があってはならない。
- 猪口:先生には研究する余裕がない。シラバス・セメスター制によって集中的に講義して受講するシステムにすることで、先生の時間的余裕が生まれ、学生も理解し易くなる。入試制度を通して、必要な専門基礎を学んでいない学生が少なくないが、優劣をつけるのではなく、高校と大学の差を埋めるメニューが必要。研究内容を教えるのは構わないが、それを体系化して公開・提示する必要がある。
- 西澤:学生の画一化には気を付けなければならない。いい先生からいい弟子が育つ。
- 生駒:アメリカの教育評価システムが見本となる。補講も当然行うべき。
<研究について>
- セガ・インタープライゼス会長(VTR)(MITに多額の寄付を行った):アメリカでは研究内容がいかに社会に貢献されたかが成果とされる。産学が密接。日本では、論文を書くことで自己満足で終わってしまう。ようやく北大、東北大で研究をいかに社会で事業化するかに取り組まれ始めたところ。
- ナレーター:
|
学生数 |
職員数 |
予算 |
特許数 |
収入 |
輩出起業数 |
MIT |
9,900 |
10,000 |
13.6億ドル |
120 |
2,100万ドル |
130 |
東工大 |
9,900 |
1,800 |
3億ドル |
7 |
0 |
0 |
日本の大学は社会に貢献できるか。世界をリードする研究を出せるのか。
- 西澤:個性を確立する方法が欠落している。受験制度に問題あり、暗記能力には長けているが、考えない学生が多い。当然独創的なものは出てこない。その基盤がない。教育体系を根本的に変えて多様な学生を確保すべき。
- 生駒:アメリカの一流大学は確かに実用に近いところで研究している。アメリカは研究費をもらえばそれに対するリターンをしなければいけないという契約概念がある。日本は最も契約概念が乏しい。だから企業も日本の大学よりアメリカの大学に金を出す。興味のミスマッチ、社会の方向と大学研究の認識のズレ。大学は確かに中長期的5-10年先の研究をすべきだが、現場からの問題抽出がないといけない。そして、新しい学問分野を拓く。
- 吉川:問題は大学として何ができるか。小中学校が悪いというのは無責任。学術経営体としての大学に個性が無い。個性が持てないシステムになっている。企業にも見えない。学生にも見えない。そこで、学長のリーダーシップが必要。目的を共有した研究者を集める。学生も偏差値ではなく目的で大学を選ぶ。学生間の競争も減る。研究第一でも教育第一でも良い。全てが研究一流大学である必要もないし、それは誤った大学観である。
- 猪口:MITをはじめ、一流大学の強いところは、理工系研究のみならず人文社会系にも強いところ。すなわち、両者が共に社会の将来・哲学を真剣に議論し考えている。日本では、両者は離反している。MITは実学に突出しているという印象を与えるが、実はその裏で非常に基礎の学問・哲学を教えている。
- 西澤:産学協同とは、大学で作った種を産業界で芽を出させるというのが本質。産業側から求められて行うのは二次的であり本当ではない。社会に対する責任を各学者が持つこと。
- 橋爪:体制が出来ていない。大学に法人格がない。特許権の帰属が明確ではない。各研究者に自由度がない。ポストの流動性が極めて低い。研究チームを組むことが難しい。停年まで異動しない。
- 吉川:東大でも以前は、流動性が低く研究の活性度が落ちていた。そのために先端科学技術研究センターを作り、学内流動から始めた。その後は学外とも流動が盛んになった。
- 蔵元:一番基本は学生間、先生間、学生と先生間でのディスカッション。しかし、多忙のため時間がとれないのが現状。産学協同に際しては、種を大学側で持つことには賛成。
- 生駒:科学技術基本法で、5年間で17兆円の国家支出が決まり、国際化も徐々に進んで来るので、今後はだいぶ良くなると思う。しかし文部省の規制で、研究スペースが制限され研究者も増やせない。
<21世紀の大学像>
FAX:
・各大学の特色が必要。
・大学で学んだことと就職先での仕事内容が一致しない。
・社会が学歴重視ではなく能力主義になること。
・小中高が知識つめこみ教育をやめること。
- 司会:18歳人口が減ってくると、大学が淘汰されざるを得ない状況になる。大学にビックバンはあるのか?
- 吉川:進学したい者は入学できる状況になる。進学率が70%にもなると、多様な学生が入学してくる。大学としてはチャンスである。個性化が可能になる。明るい競争が可能になる。学生数が減っても教育の量は減ることはないのだから、密度の高い教育ができることになる。
- 橋爪:つぶれる大学が出て欲しい。そうすれば新しい大学もできる。公正な競争が必要。入試があるから大学はあぐらをかく。私立と国立とを比べると国立は予算の支えがある分有利であり、公正な競争ができる状況にはなっていない。研究に関しては全ての国立大学を平等に扱うことは間違い。研究大学を作っても良い。
- 蔵元:日本の高等教育の規模はどの数字をとってみても、先進国に比べて小さいものである。特に地方大学は、基盤・条件が悪すぎる。どのポストも教特法で守られた立派なポスト。これを有効に使うべき。すそ野を広げてどこから芽が出るかわからないような状況が望ましい。いまある大学を機能させることが第一。そのためには、基盤整備が必要。
- 生駒:日本の約600の国立大学全てで研究教育ができるとは思わない。各大学が経営戦略を練るべき。教育中心の大学でも全人格的な教育を行うのか、職業技術の教育を行うのかの役割を分ける。21世紀においては、総合大学は要らない。東大などでも非常に意思決定が遅く、社会のニーズに応えられていない。単科大学に分割すべき。金太郎飴的大学は生き残れない。
- 猪口:研究に特化した大学を作り、そこに資源を重点的に分配する。しかし、これは、大学全体ではなく、分野毎に評価して、Ratingすることが必要。そして国際的にどうかを評価する。人口が減っても大学がつぶれるとは限らない。学長が最終的な改革を行う責任があり、それを許すべきである。一人当たりの教育投資は増加する。また18歳人口が減っても、生涯教育、留学生が増加する。
- 橋爪:競争で努力しないものは、きちんと負けさせなければならない。研究成果を評価して資源の重点配分を行い、もう無駄なばらまきはしない。研究費で研究者を雇えるようにする。そしてその募集を世界的に公示する。
- 吉川:もうそれは始まっている。多元的な制度もある。ポスドク制度も充実しつつある。評価制限をどうするのか、
- 西澤:いい評価者を育てなければならない。
- 橋爪:仲間内で評価するのには、限界がある、第三者が評価し、その評価者も評価されるシステムが必要。そしてその過程を公表する。
<まとめ>
- 吉川:大学の役割は、1.研究で新しい知識を作り出す 2.それを次世代に伝承していく 3.社会に対して貢献する ことである。答申はこれらの課題を競争=個性化にかけてみた。大学は競争するが、学生の競争は緩和される。学生の選択肢は増え、そして入学できる。問題は、大学が個性化できるか、競争の評価は誰がするのかである。市場原理ではなく、公正な競争が必要。学長のリーダーシップは不可欠。
- 西澤:ようやく第一歩。長期的に取り組む。トライ&エラー。人間的にも個性的に。そしてそれに磨きをかける。日本人のすばらしい本性を世界の文化に貢献できるように導いていくことが、これからの教育の重点目的である。
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