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1999年2月1日

東北大学総長
阿部 博之殿

東北大学職員組合執行委員会

国大協における教務職員制度廃止決定のために
ご尽力されるよう要請します


 日頃より、東北大学の発展、教育研究条件の改善および構成員の処遇向上にご尽力されておられることに敬意を表します。

 全国の国立大学には現在868名の教務職員が働いていますが、そのうちの一割強の91名が東北大学であります(1998年4月現在)。ご存知のとおり、教務職員は教育職俸給表の適用を受けながら「技官」であり、また給与面のみならず出張手当、奨学金返済義務免除など種々の面で不遇を受けており、「教育職であって教官ではない」という矛盾に満ちた職種であります。
 私達職員組合は、この教務職員問題の根本的解決には「教務職員制度廃止」しかないと考え、関係機関に問題解決の要請をしてまいりました。国立大学協会は、我々組合の強い要望に応えて、第四常置委員会で、教務職員問題を検討し、その報告書を1991年11月総会で承認しました。その後、1993年5月には、国大協は、教務職員問題の現況調査アンケートを実施し、1994年6月に報告書が出されました。これらの措置が教務職員問題の解決を大いに促進しました。1991年の報告書が、長期在職者の処遇改善を緊急の課題と指摘し、助手以上の教員定数への振替措置を解決方策の柱として提起したことの意味は大きなものがあります。1993年度以降定数振替が飛躍的に進んだことは、この結果と言えます。例えば、1984年7月には1585名であった全国の教務職員の数は、1998年4月には868名とほぼ半減しました。しかし、東北大学においては、1982年1月の156名が、1998年4月に91名に減少したものの、その進み方は全国的にみると遅いと判断せざるを得ません。
 1991年報告から7年が経過し、教務職員制度が発足してから50年になろうとする今こそ、国大協がこのような検討を加え、制度廃止の結論を具体化すべき時です。教務職員問題の歴史的解決を図るべきです。阿部総長に改めてこの問題についての認識を深めていただき、東北大学および全国的な解決への取組を行っていただきますようお願い申し上げます。特に、国大協の副会長という要職に就かれている阿部総長が、次回の国大協総会において積極的に教務職員制度廃止決定のために行動されることは極めて重要です。
 以下に、教務職員問題の概要、私達の意見、および緊急を要する理由を記しましたので、ご拝読願います。

「教務職員問題は、制度の問題であり、処遇の問題です」

 第一に、そもそも教務職員制度は歴史的、制度的にも緊急避難的制度であり、教育職でありながら教員でない、という出発点からの誤りがあります。
 これは、教務職員の法的位置づけを見れば明らかです。
 教務職員の職の規定は、本則としての学校教育法にはなく、国立学校設置法施行規則で規定されています。職務内容は全く助手と同じです。これらは、人事院規則9─8の別表「標準職務表」や人事院指令9─56に規定されている通りです。従って、1991年報告書にも、「助手相当」と位置づけています。助手への昇格の際には、人事院規則9─8によって、初任給基準を異にする昇格の場合の簡便計算法(これが「給実甲254号」と呼ばれる人事院の通知です)が、適用されています。教務職員への教育職(一)表適用は、本則たる人事院規則9─2では、直接に規定せず、特別に人事院指令9─56によって適用を規定しています。このように、教務職員は法規上は本則では規定されず、言わば例外的、特例的な規定を受けた存在であることは明らかです。
 このことを最も明瞭に示すのが、教務職員は教員としての位置づけを教育公務員特例法でも、同施行令でも欠くことです。この結果、教務職員には、研修権などの諸権利、積算校費、旅費などの予算措置はありません。教育職でありながら、教授職への入口としての位置づけはない、と言うべきです。これを象徴するのが、教務職員の慣例的官職名が「技官」であるということです。
 何故、このような、曖昧な位置づけの、不明確な制度が出来たのでしょうか?
 それは、冒頭でも触れた如く、教務職員制度が、1949年6月の副手制度廃止に付随する暫定的制度として作られたからです。一時的な、緊急避難的制度としてできたため、教員組織の中にきちんと位置づけることなく、制度的整合性を持たないまま運用されてきたのです。そのため、本質的には副手制度に生じたと同様の問題を生じ、1963年には、また制度問題が課題になったわけです。しかし、教務職員が残ったことで、本質的に同じ問題を再生産することになりました。
 こうして、この制度は、三たび制度廃止が課題となったのです。

 第二に、教務職員の処遇問題、とりわけ28号俸問題など、給与の頭打ち問題の広範な存在です。
 元来、教育職(一)表では、俸給表の構造から言って、1級9号俸という特定号俸を超える教務職員の存在は一般に許されない筈です。それ以前の8号俸までに助手に昇格することが当然なこととして想定されています。しかし、現実には、教務職員はこれを超える人が殆どです。例えば、1998年4月の教務職員総数868名のうち、9号俸以上は830名で、実に96%の人が該当します。教務職員の俸給は、実質的に、教育職(一)表1級のみです。この原因は、教務職員には殆どの場合、昇任・昇格がないからです。教育職であれ、行政職であれ、通常の人にある昇格という処遇改善の道は採用当初から考えられていません。位置づけがないからです。このため、教務職員は、給与水準として最も低い、行(一)3級相当のまま終身処遇され、23号俸、40才前後で行(一)職員の給与水準とクロスして、以後ずっと下回ったままになります。このことは、極めて不公正で、異常なことです。

 第三に、給実甲254号問題と「調整給実甲」措置の問題があります。
 上で指摘したように、俸給表上は、教務職員は8号俸までには助手に昇格すべきものとされています。しかし、現実には9号俸以上の教務職員が圧倒的多数存在するため、処遇改善を図るために助手に昇格したとしても、9号俸をはるかに超え、30号俸を超えて昇格するというような事例がざらにあり、その際の給与の格付けは他の人との間で大きな較差が生じるという問題があります。例えば、月額5万円も6万円もの格差がある例もありました。これが、給実甲254号問題というものです。元々、俸給表は9号俸を超えてからの2級昇格を想定していないことから生じる問題です。早期に昇格させてこなかった、もっと言えば、教授職の入口として位置づけて採用してこなかった大学に責任がある事柄です。
 我々が運動した結果、これに対する是正措置が取られました。1991年 11月に、人事院と文部省が協議して出した「調整給実甲」措置がそれです。これで、1991年以前の昇格者とその後数年の昇格者に対しては、かなりの程度の不公正是正がなされました。しかし、この措置は、とうに、1994年頃に実質的効果は失われてしまいました。今は、むしろ、この措置の期限が2001年11月30日であり、これまでに大学がこの制度と教務職員問題をどうするかが問われる段階に入っています。
 「調整給実甲」措置は、元々、大学が教務職員を8号俸はおろか、15号俸も、23号俸も、28号俸も超えたまま放置し、昇格、処遇改善を行わなかったことを、"あってはならないこと"と、人事院と文部省が言外に指摘したものです。これが10年間の時限措置であることは、10年のうちにこの問題を解決すべきだとの勧告に他なりません。これに応える責任が大学にはあります。

 第四に、教務職員の大学内での位置づけの曖昧性の問題です。
 以上に述べたように、教務職員は採用当初から、昇任・昇格の埒外に置かれています。制度の曖昧性からの当然の帰結として、これは必然です。職としての位置づけと処遇は連動しています。逆に言えば、一生、昇格がなく、大学の中で最も低い待遇を受けるとすれば、それは位置づけとして、そのような曖昧模糊とした存在としてあることの例証に他なりません。実際、教務職員は、教員でしょうか?技術職員でしょうか?事務職員でしょうか?そのいづれでもあり、いづれでもなく、どれにも、明確には位置づけられず、処遇もされず、採用されてきたのが実態です。
 更に大きな問題は、職の位置づけが曖昧な上に、教育職の故に、大学が自由に採用できることを利用した便法的なやり方が横行したことにあります。「便利な職」として使われてきたのです。この行き着く先が、28号俸問題に代表される多数の頭打ちの存在です。
 こうして、制度の在り方、位置づけの曖昧性、教育職としての採用の自由度、多様な職種での便宜的採用、処遇問題は不可分の関係にあります。

 第五に、教務職員の多様性に起因して個別的解決の困難性が深まっていることです。
 大学が、教務職員を曖昧な位置づけのまま、便宜的な採用を続けてきた結果、教務職員の中には、実に多様な人が存在し、その解決を教育職の建前の上で図ることが困難な様相が深まっています。例えば、非常勤職員の定員化に際して、採用が容易であるなどの理由で、教務職員になった人もいます。最初から学科事務職として採用された人などもいます。その人達に対して建前の上で「助手」の資格を云々していては、昇格はできません。たとえ昇格したとしても、教務職員制度と教務職員問題についての深い理解を持たない環境の中では、その後に多くの困難があります。技術職として採用され、技術職員としてきちんと位置づけられ、処遇されたいと望む人達もいますが、その道は今のところ閉ざされています。当面の解決方法は、建前上の資格を問わない助手への昇任(正確には「2級昇格」と呼ぶべきでしょう)という方法か、行政職への移行しか方法はありません。後者は、現状ではほぼ不可能に近い選択肢です。しかも、このような状況を抱えて解決の道が容易ではない人々の割合が段々に多くなるのは、処遇改善がしやすい人達が昇格して行った結果から来る当然の成り行きです。この結果、1949年の副手制度の廃止や、1963年の教務職員制度甲・乙の廃止の際に生じたのと同じ事態が生まれつつあります。「助手の資格がない」と言う名目で解決が阻害されるのです。しかも、他には行き場がなく、これでは結局現状のまま教務職員でいるほかなくなるのです。

 これは許さるべきではありません。三度同じ過ちを繰り返すべきではありません。このような事態を生んだのは、全く本人達の責任ではなく、大学が便法に寄りかかり、曖昧な位置づけで採用を続けてきた結果です。教務職員が大学内で極く少数派で、とても弱い立場にいて、声が小さいから、と言って、このような事態が見過ごされていい筈はありません。

「解決への道」

 これを解決するために唯一つ残されているのは、制度的解決です。教務職制度の廃止を決め、その具体的措置として定数を全て助手定数に振替え、その中で多様な人々に対応した処遇を柔軟に措置すべきです。個々の教務職員の希望に沿った柔軟な具体策の展開については、更に具体的事例に即して検討すべきですが、例えば、事務職員として行(一)への移行を希望する人には、教務職員定数そのものは助手定数に振り替え、同時に、その人限りの処遇として、属人的な形で、行(一)上位級の別途確保による格付けなどの方策も検討されていいのではないでしょうか。大事なことは、個々人の給与上での処遇改善と職の内容の充実と職場内での相応の位置づけによって、個人を尊重し、その勤務意欲の高揚を実現することです。制度廃止に伴う措置として個々の教務職員の状況と希望に沿った解決を図ることが、最も可能性の高い、現実的で、受入れやすい方法です。

50年の教務職員制度の歴史に終止符を打つ歴史的決断を望みます

 上に述べたように、教務職員制度は制度として発足の時点から誤りに満ちた制度でした。これに対して、我々組合と大学や学部、研究所当局、国大協、文部省、人事院など、様々な方面の努力が積み重ねられ、徐々に解決への道を進んできました。しかし、なお根本的解決には程遠い、というのが現実です。
 定数振替による個々の大学の教務職員問題の解決は、大学によっては相当進みました。これが全国の教務職員の数の半減ということに反映されています。しかしながら、これまで解決に努力してきた大学でも、なお相当数の教務職員がそのまま残されています。大幅な形での定数振替は一巡しつつあり、もはや個々の大学内の努力だけでは限界であると、我々は考えます。教務職員問題を根本的に解決するための措置を国立大学全体が考え、実行すべき時です。

 国大協は、技術職員問題をめぐる十数年の長きに亘る努力に、昨年4月からの技術専門官の職の導入によって、一つの区切りを付けました。また、助手制度に関する検討も開始されていると聞きます。今こそ、教務職員問題に於いても、その問題解決を図る良い機会だと考えます。
 我々は、国大協と国立大学が、大学固有の問題として生じている教務職員問題に関して、深い洞察によって、事の本質をえぐり出し、最も適切な解決すなわち制度廃止を、時を移さず成し遂げることを強く要請します。

 1999年は教務職員制度が発足してから丁度50年になります。このような制度を50年も永続させるべきではありません。この機会に教務職員制度の歴史に終止符を打っていただきたいと思います。

 また、2001年が「調整給実甲」措置の期限の年であることを想起していただきたい。大学は人事院によって求められた教務職員問題の解決を、この期限を待たずに成し遂げていただきたい。
 6月総会での決断を望みます。
 教務職員問題の歴史的解決を重ねて強く要請します。


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