2000.6.29発行
東北大学職員組合教文部 発行
Tel:022-227-8888 Fax:227-0671
E-mail:
日時:2000年6月7日(水)18:00−20:30
場所:東北大学金属研究所・2号館・講堂
主催:東北大学職員組合、日本科学者会議宮城支部
品川 敦紀 氏(全国大学高専教職員組合中央執行委員、山形大学理学部)
(東北大職組教文部による要約)
品川 敦紀 氏(全国大学高専教職員組合中央執行委員、山形大学理学部)
(当日配布資料より)
はじめに、5月9日に自民党文教部会による提言「これからの国立大学の在り方について」が、発表されるに至った経緯を見ておきたい。これは、今回の5/9提言の持つ意味、そのねらいを知る上で重要と思う。
詳細は他にゆずり、ここでは昨年来の経過を簡単に振り返る。まず、昨年9月20日、文部省が国立大学の独立法人化の受け入れを表明し、文部省としてこれに臨む基本方針を発表した。文部省は、このとき、年内に国大協に文部省のこの方針を了承させ、国立大学の独立行政法人化を年明け早々にも決定し、直ちにその具体化へ向けた準備作業に入る腹積もりであったようだ。
その予定で、11月の国大協総会へ向け、9月から11月にかけて地区別の学長会議で、独立行政法人化に臨む文部省の方針説明を精力的に行った。しかしながら、9月以降急速に広まった国立大学の独立行政法人化にたいする反対の声の高まりの中、この説明会は、こうした声を反映しての学長の疑問にまともに答えられず、文部省案に対する不審を深める結果となった。こうして、文部省の、昨年内の国大協からの了承の取り付け、本年早々の独法化問題の決着のもくろみは破綻した。
さらに、全大教の提起した100万人反対署名、全国紙への意見広告などの取り組みも反映し、国大協内に、文部省案を容易に受け入れできない状況が作り出された。こうして事態が膠着する中、文部省は、事態打開の切り札として、自民党内の高等教育研究グループを使い、幾つかの学長ヒヤリングを経ての3月31日の自民党高等教育研究グループの提言発表に至らしめた。この通称「麻生グループ」による提言は、実は文部省サイドの作文であると見られている。事実、この時点での提言には、昨年9月に打ち出した文部省案の内容と重複する部分が多い。
しかしながら、同提言に対する批判・不満は、自民党文教委員会内にも行革推進会議にも根強くあり、これらとの調整の中で、3/31提言の幾つかの部分に重要な変更が加えられ5/9提言となったようである。
実は、今回の5/9提言に新たに加えられた変更が、同提言を規定する性格を端的に表している。
すなわち、3/31提言では、真意はさておき、国立大学の独立行政法人通則法に基づく独立行政法人化は不適切として退け、大学の自主性、独立性を認めようとする表現が多く見られるのに対し、5/9提言では、あくまで独立行政法人通則法の枠内で法人化するものであり、大学の独立性、自主性は極力制限しようとさまざまな制限事項を設けている。このように、5/9提言の全体を通して見られる特徴の一つは、これまでの大学自治の有りようとこれを担ってきた大学人への極端なまでの不信と敵視であるといえよう。
5/9提言の特徴の今一つは、3/31提言にすでに盛り込まれていたものであるが、当初の行政改革の一環としての組織改編という意図に加え、経済の「グローバル化」の中で、米国等に後れをとっているバイオ関連分野やインターネット情報関連分野において、新技術開発による日本企業の巻き返しを図れるよう、大学を最大限効率的に奉仕させるための体制づくりをねらっているということである。いわゆる「科学技術立国」路線への国立大学の組み込みである。
以下に、5/9提言の文書に従って、問題点を明らかにしたい。
(1)5/9提言では、「はじめに」につづいて「今後の高等教育政策の在り方について」と題して、「3つの方向」と「3つの方針」が、提言されている。
1)「国際的な競争力の向上と世界最高水準の教育研究の実現」について
まず、「3つの方向」の第一として、「国際的な競争力を高め、世界最高水準の教育研究を実現する」ことを提言している。
この方向の問題点は、「世界レベルの研究」あるいは「国際的競争力を持った研究」のみを、有るべき研究の姿としていることである。こうしたいわば「先端研究」といった研究というのは、限られた分野の、限られたテーマについての、限られた手法による研究である場合が多いという事実を見逃すわけには行かない。
たとえば、生命科学分野では、「胚性幹細胞を使って人工臓器を作る研究」や「特定の疾病に関わる遺伝子を解明し治療薬を開発する研究」、あるいは、もう少しアカデミックなものでは「進化による生物の多様性と相反する遺伝子の共通性についての研究」といった研究が、脚光を浴びている。こうしたテーマでの遺伝子解析、遺伝子導入、遺伝子操作といった手法を用いた研究は、容易に研究費が獲得でき、成果が一流雑誌に掲載されるという現実がある。今回の提言は、今産業界が求めているバイオやインターネット関連での、こういった研究を「世界レベルの研究」と言っているように読める。
しかし、大学における学問研究が、その様に限られた分野、テーマ、手法にせばめられていいものでないことは論を待つまい。一方でそう言った研究の必要性は否定しないが、本来、学問研究はもっと広く分野ごとに極端に偏らずなされるべきものであろう。実際、有る時点で「先端的」研究者から注目をされないようなテーマ、手法の研究であっても、後になって大きなインパクトを与える研究になったというケースは、枚挙にいとまがない。
また、地方・地域に密着した研究というのも不可欠であり、その研究の意義は誰も否定できなかろう。こうした研究は、地域にとって切実であっても、決して5/9提言がいう「世界レベルの研究」にはならない。
2)「大学の個性化・多様化の推進」について
第二の方向として、この提言は、「大学の個性化・多様化を進める」としている。
この方向は、あからさまな大学の差別・選別をもとめたものであり、国民の教育の機会均等に反するものであることは明らかである。
提言は、旧七帝大+アルファを「研究重点大学」、旧一期校を「教育重点大学」、教員養成系単科大学あるいは医学系単科大学などを「実践的職業人養成大学」、残りを「教養型大学」と位置づけ、これまで以上に地方大や単科大の切り捨てをねらったものであり、差別・選別を「個性化」という言葉で粉塗したにすぎない。これでは、同じ国立大学でありながら、全く違った質の教育しか受けられないことになり、機会均等の原則に反する疑いがある。
3)「教育機能の強化」について
第三の「教育機能の強化」を提言している。教育を重視すべきということ自体はよいが、この方針と「世界レベルの研究」を推進するという方針とがどう両立できるのか疑問といわざるを得ない。
すなわち、研究者は「世界レベルの研究」をするには、家庭を犠牲にし休暇も取らず寝食を忘れるくらいのことをしなければならない。とりわけ、欧米各国に比べマンパワーに劣る日本では、研究者のこなさなければならない仕事は膨大である。たとえば、米国の有る公立大では、実験動物の飼育は、専用の施設に専門の職員が何人もいて行われ、学生・院生も含め研究者が研究のみに専念する体制が整えられている。日本の大学では、実験動物の世話は研究者でもある学生・院生が行うのが一般的である。このような状態で、大学教員や学生・院生が、どうして教育・学習に十分な時間と労力を割くことが出来ようか?
また、教員の評価が事実上研究成果でなされている上、提言で任期制まで導入して研究競争を煽っており、教育が疎かになることは明らかである。したがって、「世界レベルの研究」と「教育重視」は、現実には相矛盾する方針であると言わざるを得ない。
提言は、大学の「個性化」により、「研究重点大学」に「世界レベルの研究」を、「教育重点大学」や「教養型大学」には、教育重視を求めているようにも読める。研究から切り離されての大学教育など、真の意味ではあり得ないことからすれば、この様な方向は受け入れられない。
(2)同提言は、以上の「3つの方向」をふまえ、以下の「3つの方針」を提言している。
1)「競争的な環境の整備」について
まず第一の方針として「競争的な環境を整備すること」を提言している。
この方針の最大の問題は、「世界レベルの研究」を行う大学にするために、なぜ「国内的な競争」をさせなければならないのかという根拠が述べられてないことであろう。逆に言えば、彼らの言う「世界レベルの研究」が「出来てこなかった」のは、「国内的な競争がなかったから」なのかという検証がないことである。ここに論理の飛躍がある。
言うまでもないが、個々に見れば日本の大学における研究には、世界をリードする立派な「世界的研究」は多数ある。加えて、総体としても日本の研究者が発表している論文の数は、欧米各国のそれと比べて決して見劣りするものではない(世界第2位)。 政府・文部省による「大学貧困化政策」の下での予算不足・施設設備不足あるいは「定員削減」によるマンパワーの不足の中でのそういった成果は、日本の大学を中心とする研究者の水準の高さを示していると言ってよい。提言の言う「競争的環境」などなくても十分世界に通用する研究を行ってきていることは明らかである。
2)「諸規制の緩和の推進」について
第二の方針として「諸規制の緩和を推進する」ことを提言している。
文部省・政府与党は、これまでの国立大学の運営に当たっても出来きたはず規制緩和を一切行ってこなかったばかりか、財政誘導までして規制してきた。それにもかかわらず、その姿勢を改めようとしないで、ことさら独立法人化と結合して「規制緩和」を論じることの真意が疑われる。この方針は、たんなる見せかけのリップサービスとしかとらえられない。
実際、提言は、ここで「規制緩和」をいいながら、また、「3つの方向」で大学の個性化・多様化を求めながら、学長の権限、学長選考方法、任期制の導入、教授会の運営などといった大学内の運営のあり方についてまで、一律に事細かく指図している。さらに大学内組織の新設、改廃なども国の直接的介入が明言されている。これは、全くの自己矛盾としか言いようがない。真に大学に自由と独立を与えようとするなら、こうした「規制」こそまず撤回すべきであろう。
3)「高等教育、学術研究にたいする公的投資の拡充」について
第三の方針として「国公私立大学を通じて高等教育、学術研究にたいする公的投資を拡充する」ことを提言している。
大学関係者の中に、この方針に幻想を抱いているものも有るらしい。しかし、最近明らかになった情報では、自民党内において、大学への予算配分の増額はなんら承認されたものではなく、むしろ財政危機を理由に反対意見の方が根強くあるらしい。したがって、この方針は、予算獲得に期待を寄せる関係者へのリップサービスと取るべきであろう。
また、仮に多少の増額があったとしても、それは、提言が求める特定分野の「世界的研究」にたいしてであって、研究全般ではないことを肝に銘じる必要がある。
さらに、この方針で問題なのは、「公的投資」という言葉遣いである。「投資」というからには、具体的成果の還元を求めていると考えられる。したがって、成果の期待できる分野、研究機関へは「投資」を拡充するが、そうでない分野・機関には「投資」しないと理解できる。
(1)提言は、上記の「3つの方向」。「3つの方針」をふまえ、「国立大学の運営の見直し」について、7つの提言を行っている。
1)「護送船団方式からの脱却」について
その第一として、「護送船団方式からの脱却」をのべている。提言は、これまでの国立大学の運営を切り捨てる切り札として、マスコミ受けをねらってこの提言を行っていると考えられるが、銀行やゼネコンなどの一部大企業と異なり、我々国立大学関係者は、規制と攻撃を去れこそすれ、手厚い保護によって護送された記憶はない。それは、この間の欧米各国と比べての極端に貧困な、大学をとりまく環境を見れば一目瞭然である。従って、この項目はためにする大学攻撃といわざるを得ない。
2)「責任ある運営体制の確立」について
ここで問題なのは、責任ある運営体制の確立に、どうして学長への権限の集中が不可欠なのかという検証がなされてないことである。
提言のめざすのは、民間企業のように、社長が生殺与奪の権限を持っていてトップダウンで運営する体制を大学にも真似させようということであろう。しかし、そういう体制であるはずの銀行や、保険会社が次々と放漫経営による行き詰まりで次々とつぶれて行っていることはどう説明するのであろうか?また、次々明らかになる報道では、そういった銀行や保健会社で、リーダーシップをとるべきトップが部下の進言に聞く耳を持たず、起死回生の機会を逃してきたことも明らかになっている。
企業にしろ、大学にしろ、それぞれの組織が正しく運営されるのに必要なのは、権限のトップへの集中ではなく、現場の尊重と組織の英知の結集ではないか?それができないトップにいくら権限を集中しても、過誤が深まるばかりであろう。
3)「学長選挙の見直し」について
提言は、これまで学長にふさわしい人物が選出されない事があったと断定し、「リーダーシップのある学長」が選出されるべく、これまでの全学選挙による選出の禁止と、学外者を含む推薦委員会による選出等を提言している。
まず第一に、何を持って「リーダーシップのある学長」と行っているのか不明であるが、なぜ、学長に「リーダーシップ」がなければならないのかという事が疑問である。 提言の言う「リーダーシップのある学長」とは、下々の言うことには耳を貸さず、独断と偏見で一方的な大学運営をするような学長を指しているように思えてならない。この様な学長では、大学に混乱を招くだけであることは明らかである。
第二に、「リーダーシップのある学長」を選ぶのに、どうして今までの選出方法が問題なのか、根拠が示されてない。各大学において、多数が適任と思える学長を選出し、結果として「リーダーシップ」が有る学長も選ばれただろうし、そうでない学長も選ばれたであろう。それは、学長選挙の際、学長の見識や考え方といった情報が十分提供されてこなかったことが大きな要因の一つである。従って、選挙広報誌や立ち会い演説会などといった情報公開をより進めるならば、より確かな選挙が出来るはずである。
第三に、提言が、学長の選出にタックスペーヤーとして学外者を加えよと言っているのは、結局の所、多額の税金を払っている企業の代表を加えよと言っているにすぎなく、政・財界による大学運営への直接的な介入に道を開くことと求めているものである。
既に学外者で組織られる運営諮問会議を発足させ、学外者の大学運営への要望、助言を受け入れる体制を取っているのに、どうして学長選出のための「推薦委員会」を新たに作らねばならないのか、必然性がなんら示されてないのも問題である。結局の所、大学運営から、大学人の参加を徹底的に排除して、「財界の、財界による、財界のための大学」づくりをねらっているのか。
4)「教授会運営の見直し」について
提言は、なんらの根拠も示さず「教授会」だけを、諸悪の根元のように憎悪にみちて罵倒している。これまでの「教授会自治」の有りようについて様々な問題を抱えていることは事実である。しかし、その解決には、それぞれの大学、部局の実状に合わせて様々な方法が採られるべきである。一律に、これまでの大学自治の根幹をなしてきた「教授会自治」そのものを一切なくそうとするのは、実状を省みない暴論とであろう。
また、提言が一方で「規制緩和」を言いながら、このように大学内の運営の細かいことまであれこれ指図するのは、自己矛盾ではないか。
5)「社会に開かれた運営」について
提言は、「より自由な運営を可能とする上・・」と始めているが、今回の提言は、これまでの大学運営以上に事細かい規制を強いるもので、全く自由とはかけ離れた提言である。
6)「任期制の積極的な導入」について
提言は、全国の大学において「任期制」が導入されていないことに悪罵を投げかけ、「任期制」強制的導入をちらつかせている。
政府文部省は、「科学技術立国」を唱い、多数の研究労働力の必要性から、この間、大学院生数を急増させた。しかし、この間の定員削減により、若手研究者向けのポストの圧倒的な不足は明らかである。提言による「任期制」の強制的導入の示唆は、一つには、この事のあせりの反映ともとれる。
また、この提言が「任期制」の導入を、特に「世界的水準の教育研究の展開をめざすような大学」に求めていることは、一方で、そうした大学への予算の傾斜配分などの優遇措置を取るものの、その見返りとして「任期制」による研究者の管理・統制を宣言したものと受け取れる。
しかし、これには矛盾がある。提言が、もう一方で、テニュア制の導入を唱ったのは、実は「任期制」の全研究者への一律導入は、提言の言う「世界レベルの研究」自体にも支障があることを、提言者自身承知していたからであろう。実際、「世界レベルの研究者」ならば、どんどん外国にポストを得て出ていくであろう。
7)「大学運営に配慮した規制緩和」について
上記の1)-6)まで、あれだけ規制を求めながら、何が「規制緩和」か。有るのは、政府文部省および財界にがんじがらめにされた中での、ささやかな学長裁量権の拡大を言っているにすぎない。
提言は、第一に「様々なタイプの国立大学の併存」、第二に「学問規模の見直し」、第三に「大学院の一層の重点化」、そして第四に「国立大学間の再編統合の推進」という「四つの見直し」を提言している。
この「四つの見直し」を分かり易くまとめれば、財界の求める「新技術開発における世界的研究」の育成を目的として、大学を差別・選別し(1.「様々なタイプの国立大学の併存」)、これに役立たない学問分野は縮小・廃止し(2.「学問規模の見直し」)、マンパワーをこれらのできる機関により集中し(3. 「大学院の一層の重点化」)、残りはリストラする(4. 「国立大学間の再編統合の推進」)ということである。
一方でこの様な露骨な差別と選別による特定分野・特定機関の優遇政策を掲げているのをみれば、他方で、「地方の国立大学が果たしてきた役割を十分評価し・・」や「基礎研究や社会の需要が乏しいが重要な学問分野の継承・・」などと美辞麗句を並べても、これらの美辞麗句を額面通りに受け取るわけには行かない。
ここでは、3/31提言が、独立行政法人通則法による国立大学の独立行政法人化が問題であるとした内容と反対に、あくまで独立行政法人通則法の枠内での法人化を求めている。
提言は、その際、「大学運営の基本組織の位置づけ」、「中期計画作成の際の学識経験者からの意見聴取」、「大学評価・学位授与機構による第三者評価の尊重」、「学長人事における大学の意向の尊重」、「国立大学法人の名称」、「大学の特性をふまえた企業会計原則の適応」、「長期的財政運営システム」、「産学連携の推進」という、8つ措置を唱っている。
しかし、これらの措置は、国大協など多くの大学人が指摘した、独立法人通則法に基づく独立行政法人化の本質的疑念に応えるものとなっていない。
特に、主務大臣による中期目標の設定とそれに基づく第三者による評価については、多くの大学人から「長期的研究が困難になる」などと、期間の延長などが求められていたにも関わらず、これらの点についてなんら触れられていない。
また、提言は、中期計画の策定に当たり、各大学の主体性を尊重して定めるとしているが、各大学の申し出に基づいて定めるとは述べていない。これでは、主務大臣の一方的な計画設定も可能であり、主体性など認められていないと言ってよい。
また、第三者評価についても、大学による自己評価、大学評価機構による評価、主務省による評価、総務庁による評価と何重もの評価が相変わらずなされる。
大学評価機構への「幅広い関係者」の参加は、結局の所、この評価にも財界の意向を直接反映させようと言うことであろう。財界の意に添わない大学、財界にとって必要性の少ない大学が、恣意的差別を受けない保障はどこにもない。これでは、大学は常に財界のご意向ばかりを伺わねばならなくなるであろう。
学長人事については、大学の意向の尊重を言いながら、大学人の意向を極力排除する方向で、全学選挙などの禁止を示唆する一方、学外者の参加した推薦委員会による選出を求めているのであるから、真に大学の意向を尊重する意志はないと言ってよかろう。これは、まるで植民地に形ばかりの独立を与えるものの、政権はあくまで宗主国の意のままに操れる傀儡政権を作らせるというやり方にそっくりである。
提言は、「競争的経費の拡充と基盤的経費の確保」、「客観的な評価の結果にもとづく資源配分の実施」、「私学助成の抜本的拡充と傾斜的な配分の推進」、「寄付金の受け入れや促進のための税制の見直しや特許取得体制の整備」の四つを唱っている。
このなかで第一の「競争的経費の拡充と基盤的経費の確保」の提言は、多くの研究費不足に悩む研究者にとって魅力的な響きのある提言であろう。しかし、これは、あくまで財界にとって必要な「新技術開発のための世界レベルの研究」への「投資」を言っているのであって、見返りとしての「成果」の見込めない分野・研究には拡充など考えていないことは、「競争的経費の拡充」や「評価に基づく資源配分」の文言からも明らかである。
さらに、関係者の情報では、「高等教育・学術研究への予算の増額」には、政権与党内に根強い反対があり、「公的投資の拡充」はなんら確認されていないことが明らかになっている。一部大学人を引きつけるための方便と言っても過言ではない。
また、提言は「基盤研究費の確保」を唱っているが、あくまでゼロにはしないという意味での「確保」であって、増額などは念頭にないと思われる。事実、文部省は、大学研究者にとって基盤的研究費である「当たり校費」を長年にわたって据え置き、さらにはその積算単価を切り下げるということをやっている。むしろ、これも方便と取るべきであろう。
「客観的な評価の結果にもとづく資源配分の実施」、「私学助成の抜本的拡充と傾斜的な配分の推進」の提言は、財界にとって都合のいい研究・教育が行われているかどうかに従って、私立大学も含めた、差別・選別による予算の傾斜配分を唱ったものであり、学問の均衡有る発展を妨げるものといえる。
以上が当日配布されたもの.以下,6月13,14日国大協総会関係の資料
(質問)6月13日の国大協総会で、独法化にゴーサインが出るのでは?と心配している。また、国大協の内部事情は?
(品川氏)正確なことは言えないが、蓮實会長は談話の中で「調査検討委員会」の中に入る可能性を否定してはいない。しかし、通則法の枠内の独法化には反対、というこれまでの立場もある。簡単にあれでオーケーとはならない。
また、国大協には大別して3つのグループがある。第一に積極派、メジャーな総合大学で構成される。第二に断固反対派、鹿児島大や山形大といった地方大であり、国立として維持されるべきという考え。残りが第三の流動派・条件闘争派。流れをみておりいざとなったらすぐに条件闘争に入れるように準備している。
文部省の示した独法化のスケジュールは、平成13(2001)年度内に「調査検討委員会」で結論を出し、平成14(2002)年に法制化、平成15(2003)年より実施、という流れである。
(質問)公務員定員削減との関連はどのようになったのか?
(品川氏)25%の定員削減のうち15%の上乗せ分はどこかにいってしまった。また、10%の定削も予定通りには実施されていない。昨年は、大学の独法化を行革の一環としてやると言って反発を食らった。今年はあくまで大学改革の名のもとにやる。文部省はその件は今回は触れていない。
(意見)基本はあくまで行革。狙いはその一点。今後行革として大学がリストラされ、統合されていく。大学間で競争させ淘汰していくのが狙い。今ある99大学は、効率ある大学へと再編され、そういうところは重点化されていく。もう一方はリストラされる。これでは日本の科学の破綻が目に見えている。競争力をつけるためにリストラしてつぶしていくのではなく、初心に立ち戻った論議が大事。
(意見)いま少子化が問題となっており、今後大学に入ってくる学生数も減るだろう。政府の言い分は、学生が減るから教育にかかるお金も減らすというもの。そのような背景もある。国は民意を得られれば何でもやる。
(品川氏)その問題と多少重なる部分もあるが、学生、院生の立場からこの問題を見る必要もある。重点化などで院生が大きく増加しているが、院生の立場からするとドクターを取ってからの就職先、という点で地方大学の存在の意味大きい。地方大がつぶれると、総合大学のドクターもあふれてしまう。高い授業料取って毎日研究させられて就職先ナシでは学生も来ない。幅広い裾野があってこそ先端研究も成り立つ、ということの一つの例である。
なお、文部省説明では「給与を高く設定して優秀な研究者をヘッドハンティングできるようになる」と謳っているが、給与の面に関しては他の国家公務員を基準にするので、そんなに自由はない。
(意見)ドイツから金研に来ている研究員によると、ドクターを取ったほとんどが大学へ残るのではなく、多くの割合で企業に就職しているとのこと。選択肢が広い。日本の場合は、大学に残ってもポスドクになるのが大半であり、学生もその現実をクールに受け止めている。学生に本音を聞いても今の研究に(ドクターに進学してまでもやり通す)魅力を持てず、就職の道を選ぶとのこと。
(品川氏)米国の事情は、独法化とは似て非なるもの。授業料高くとってもそれに見合う奨学金が企業などからたくさんもらえる。また、米国の方が国からの負担は多い。企業の寄付金も一度公的機関にプールされ、その上で各分野に分配される。日本ははやりの分野に集中しすぎている。米国では研究費から研究者の給料も支払われていたり、建物をリースしたりしている。米国ではファンデーションがしっかりしている。その辺の基本点が日本とは違う。
(質問)全大教の署名や新聞広告の募金は一定の成果を挙げたが、その過程を踏まえて今後どのような運動を展開していくのか。
(品川氏)全大教では6月13日の国大協総会と6月25日の衆院選挙の結果を見極めて方針を検討する。全大協総会で提起したい。
(意見)3月で全大教では署名をうち切ったが、継続してやっていくことが重要。あの段階で打ち切ったのは惜しまれる。これはあくまでも要望意見。
(意見)経済学部の先生に経済効果の話を聞いたことがあるが、順序としては(1)福祉(2)教育で、公共(土木建設)事業は下位に位置しているそうだ。やはり教育は大事だと思う。日本はお金をかけていないのは問題だ。
(意見)東北大生協労組としても独法化に反対している。施設・土地は現在、大学から借用しているが、5年前に文部省が店舗の状況を点検に来た。土地代を試算すると年に3300万円かかる。これでは生協は2、3年で潰れる。職員も困る。署名に関しては生協も取り組んだ。国立大がなくなるんだと学生に訴えかけたら多くの学生が署名してくれた。
(質問)東北大ではこの問題に関して教職員の関心が低い。東北大は安泰なのであろうか?独法化になれば重点化大学も優遇されないのではなかろうか?
(品川氏)一例として朝日新聞社の大学ランキング2000という発行物。高校側からの評価では(1)京大(2)慶大(3)東北大という順序。企業側からの評価では、軒並み上位は私立大学。東北大は18番目。文部省はおくとしても、自民党サイドでは私学と同じレベルで競争させる考えである。
(意見)国立大をなくした国(ニュージーランド)では大変な状況と聞く。研究レベルも低下している。やはり国立大は大事である。
(意見)基本には大学も商売を考えろという考えがあるのだと思うが、そういう事のできる分野とできない分野がある。
(意見)今の大学人は2つの言葉に惑わされている。1つは、「競争的環境」という言葉。もう一つは「評価」という言葉。科研費などでお金があたる、あたらない、世間から大学はぬるま湯だというのがコンプレックスになっている。大学レベルで反対しているところもあるが、それは「つぶれる」という目先の危機感からである。運動の基本は、「学問・科学を守る」という立場であるべきだと思う。