1999.10.1発行
東北大学職員組合教文部 発行
Tel:022-227-8888 Fax:227-0671
E-mail:touhokudai-syokuso@ma5.seikyou.ne.jp
場所:東北大学金属研究所・2号館・講堂
主催:東北大学職員組合
日時:1999年9月29日(水)18:00〜20:30
☆報告:国立大学の独立行政法人化 −経緯とその問題点−
田嶋玄一(本部副委員長)
93.10 | 第三次行革審(会長:鈴木永二・元日経連会長)最終答申で,中央政府のスリム化を謳う.「国は,国家の存立に直接かかわる政策(外交,安全保障など),国内の民間活動や地方自治に関して全国的に統一されていることが望ましい基本ルールの制定,全国的規模・視点で行われることが必要不可欠な施策・事業など国が本来果たすべき役割を重点的に分担する」ことに絞るべき. |
96.10 | 総選挙における橋本総裁の公約「効率的でスリムな政府と活力ある社会・経済システムの構築」「省庁の数を半減」(同様の公約を小沢一郎新進党,さきがけも.上記最終答申の反映)選挙の結果自民党単独政権に. |
96.11.28 | 橋本内閣:5大改革.「行政改革会議」設置(会長橋本首相,委員13名:有馬朗人,飯田庸太郎,猪口邦子,河合隼雄,川口幹夫,佐藤幸治,塩野谷祐一,豊田章一郎,藤田宙靖,水野清,諸井虔,渡辺恒雄) |
97.12.3 | 「行政改革会議」最終報告,中央省庁等改革基本法の元になる.国立大学の独立行政法人化については「大学の自主性を尊重しつつ,研究・教育の質的向上を図るという長期的な視野に立った検討を行うべき」と慎重. |
98.6.9 | 中央省庁等改革基本法成立 2001年1.1から新制度でスタートすることを謳う
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98.7.21 | 中央省庁等改革推進本部事務局発足 橋本龍太郎「行政改革」 22省庁→1府12省庁(7.12の参院選で大敗し退陣) 小淵恵三「行政改革推進本部」(全閣僚が本部員) 「顧問会議」(今井経団連会長を座長とし9名) 「事務局」(発足当時は民間・官僚が半々,98.11時点では128名のうち民間からの出向は16名,あとは官僚) |
98.8.7 | 小淵内閣発足時の所信表明演説で,定数削減が20%に嵩上げされる.10%は独立行政法人化によって達成と説明. |
98.9.29 | 「中央省庁改革に係る立案方針」を推進本部で決定 |
98.11.20 | 「中央省庁等改革に係る大綱事務局原案」:国立学校は「独立行政法人化の対象となる事務及び事業の検討を積極的に進めるものとする」とされた. |
99.1.5 | 有馬文相の新春インタビュー「国立大学のエージェンシー化はいま一番頭の痛い問題.しかし,その前にやるべきことが2つある.一つは高等教育に対する国庫負担の問題.日本の高等教育はあまりにも私学に頼りすぎている.第二点は,いま大学改革が進められており,国公私立通じて色々な面で非常に真剣に議論が行われている.そこに,独立行政法人という全く新しいシステムを導入すると,大学改革が中途半端になってしまう.今の段階では独立行政法人というのは向かないだろうと思う.」(科学新聞) |
99.1 | 自民・自由両党の政策合意の際に定数削減が25%に嵩上げされる. |
99.1.26 | 「中央省庁等改革に係る大綱」:「国立大学の独立行政法人化については,大学の自主性を尊重しつつ,大学改革の一環として検討し,平成15年までに結論を得る」 |
99.3.18 | 国大協蓮見会長が独法化に関して検討を指示.松尾名古屋大学長を中心に検討を開始. |
99.4.14 | 「学校教育法等一部改正案」衆院審議における有馬文相の答弁「独立行政化については平成15年まで結論を延ばす.きわめて慎重に検討したい」 |
99.6.17 | 文部省一転して積極姿勢に.国立大学長会議での有馬文相挨拶「できる限り速やかに検討を行いたい」.文部省として国立大学の独立行政法人化について,2000年夏までに結論を出す方針を表明. |
99.6.18 | 「松尾レポート」が全国立大学長に配布される.15〜16日の国大協総会では,独法化に付いての検討を第1常置委員会に附託. |
99.7.8 | 「独立行政法人通則法」成立:2001年から89機関,7万4000人を独法化. |
99.8.10 | 国立大学の独立行政法人化問題を検討する有馬文相の私的懇談会初会合(江崎玲於奈前筑波大学長,吉川弘之放送大学長,小田稔東京情報大学長,阿部謹也共立女子大学長ら8人).懇談会では,「法人化が学問の自由や高等教育への予算の充実を伴う方向で行われるべきで,独立行政法人の運営,制度の基本を定めた『独立行政法人通則法』の直接適用は研究,教育の発展にかえって悪影響を及ぼすとの認識で一致した」.にもかかわらず,文部省案の作成作業を進める. |
99.9.7 | 国大協第一常置委員会の報告会.「中間報告」を公表. |
99.9.13 | 臨時国大協総会:独法化反対の基本態度を改めて確認.法人化の条件としての第一常置委員会案は「中間報告」であり,最終報告ではない. |
99.9.16 | 文相の私的懇談会の最終会合.独法化を前提とした発言に終始. |
99.9.20 | 全国学長事務局長会議で,文部省案が「国立大学の独立行政法人化の検討」として示される. |
99.9.21 | 自民党総裁選→内閣改造→有馬文相退陣へ. |
99.10 | 地区別大学長会議(東北地区 10.25-26):文部事務次官も出席,文部省案についての質疑予定. |
99.11.17-18 | 国大協定例総会 |
2000.1 | 総定員法「改正」案国会上程予定 |
2001.1 | 新体制移行(=削減開始)予定 |
英国の「エージェンシー」を元に発想したといわれる.この制度はサッチャー政権下で導入.行政の企画部門と実施部門を分離し,後者をエージェンシーとして人事・予算執行などに大幅な自由裁量を認め効率化を計ったもの.基本的には検査検定・許認可など定型的な業務を大量に行う部門に導入(刑務所にも導入されたが,これは後に問題を引き起こした).
一方,独立行政法人は当初同じような指向を示して提示されたものの,その後政治的に変質させられた.いわば,利権の巣となりうる行政実施機関は,手を付けることなく温存され,利権に遠い(政治的に弱い)部分が狙われることとなった.最も肝腎の「実施機能の分離」が,「公権力の行使に当たる業務等は原則的に不適当」として排除され,徴税事務,許認可事務,登記登録事務等も外された.その代わりに,「本来民営の形でも行ない得なくはないもの」が対象となり,省庁の研究所,国立病院,診療所,博物館,美術館,そして国立大学がその対象になった.対象とされた機関の多くは,本来の意味での行政機関ではなく,それとは相対的に独立しており,元々「企画立案機能」と「実施機能」の分離の対象ではない.およそ「実施機能の分離」とは全く次元の異なる領域に「独立行政法人」制度は適用されることになった.藤田氏は独立行政法人はイギリスのエージェンシーの日本版というよりは改良型の特殊法人であるとしている.
しかし,組織設計の段階で「実施機能の分離」に伴う3−5年の中期目標,中期計画,年度毎の評価,中期計画終了後の評価とそれに基づく業務の改廃勧告など,業務の効率化を図る機構を採用したため,一層大きな矛盾が生じることになった.対象となる機関はいわゆる「実施部門」ではなく「効率化」とはもっともなじまない業務を行っているにもかかわらず,運営原則は効率化を追及するものとなった.
国の行政職員数は約85万人(自衛官27万人を除く).10%を削減し,15%を独法化としたとき,約13.5万人いる国立学校職員に手を付けないわけにいかない,というのが根拠.しかし,この根拠は次に示すようにあやしい.
まず,郵政事業職員30万1千人が2006年から郵政公社に移行することが決まっている.したがって,削減の母数は約55万人.その15%は8.2万.うち,7.4万は独法化が決定している.残りは8000人でいい!?
もう一つの推進側の狙いは,「大学改革」と思われる.強力なリーダーシップとトップダウンによる意思決定,プロジェクト指向の組織編成,成績主義による人事管理など民間経営的手法を取り入れ,競争と淘汰による大学改革を狙う財界にとって,独立行政法人はうまい仕組.独法化した後,競争と淘汰によって大学の改廃再編成,さらには民営化を狙う.組織のスクラップアンドビルドを政治的に行える点も,財界にとっては“おいしい”.
さらに,戦後50年間,政府にとって「目の上のコブ」であった批判勢力としての大学の力が,近年大きく後退していること,この機を逃さず政府の管理の行き届く組織に編成し直したいという目論見もあるか?
いずれにせよ,独法化が大学の外から押し付けられた問題であり,研究・教育の内在的な必然性は皆無であることは明白.
国家行政の実施部門を対象に設計されたものであり,主務省によるきわめて強い統制と,不断の効率性追及が盛り込まれている.法人の長および監事は主務大臣が指名・任命する.役員は個別法で定めるが,主務大臣は長を含め役員を解任できる.また,主務大臣は,後述するように主務省内に設けられる評価委員会の報告を元に,法人の存廃,民営化を決定する.また,主務大臣とは独立に,総務省内に設けられる「審議会」が事務及び事業の改廃に関する勧告を行うこともできる.
3年から5年の期間をもつ「中期目標」が,まず主務大臣によって示され,これに基づいて「中期計画」を法人が作成し,主務大臣によって認可を受ける.主務大臣は計画期間中に「実施上不適当」となったときは計画の変更を命じることもできる.中期目標は以下の項目からなる.
財政的な基礎は政府からの出資による.業務運営のための財源の「全部または一部」は政府の予算から交付金として支出される.
財務諸表に関する監事および会計監査人の監査,評価委員会の意見,主務大臣の承認,官報への公示など財務・会計は厳しく監視される.「企業会計原則」が採用されるため,年度毎に「剰余」「欠損」を計上でき,翌年度に繰り越せるが,剰余金は「中期計画」に使途を明示していないと使えない.むしろ計画期間中の利益,損失は交付金との兼ね合いで調整される可能性が高いし,仮に剰余金を計上できるとしても主務大臣の認可が必要.
特定独立行政法人では職員の身分は国家公務員となる.ただし,給与,勤務時間等は現行のように給与法,勤務時間に関する法律等によるのではなく,独立行政法人が独自の基準に基づいて決定することになる.法人が給与等の決定主体になるから,民間の労使関係のような仕組みが必要になるが,国の機関であるので民間の労使関係法が適用されるのでなく,現在郵政や林野の現業部門に適用されている国営企業労働関係法(国労法)が名称を変えて適用されることになる.つまり,給与,勤務条件は独立行政法人が決定する.その決定に関して職員団体(労働組合)が交渉し,労働協約を締結することができるというようになる.ただし,国労法の下では争議行為は禁止されている.
定員に関しては,国家公務員の定員とは別枠とされ,中央省庁等改革基本法の10%削減の枠からは外される.しかし,1.中期計画に人件費の見積もりを含み,年々の合理化・効率化が要求される,2.独立行政法人の職員数についても純減を図るべき,との方針がある,3.新規採用者から非公務員とするなどの措置が検討されているなど,つねに非公務員型への移行,さらに民営化の可能性を視野に入れた検討の対象となりうる,という点から見て,移行後直ちに厳しい定員削減圧力にさらされることは明らか.
上述のように通則法が,そのままでは大学に適用困難であることは明白.特に大学の自由を損なう点は重大.このことは推進側の藤田氏も認めていること.この点について1.個別法で特例を設ける(文部省案),2.通則法を修正した別の立法(国大協案中間まとめ)の二案が提示されている.ただし,文部省案に対してすら,政府自民党内からは「特例が多すぎる」との声も挙がっており,文部省はここからさらに後退する可能性が高い.また,個別法で通則法を超越することに対する法理的疑問もある.
2000年1月の国会に総定員法「改正」案が上程され,2001年から削減が始まる.文部省としてはそれまでに国立大学の独法化を決め,定員削減枠から外したいとしている.一方,国大協は割れている模様.10月中に行われる地区別大学長会議および11月17-18日の国大協定例総会で何らかの方向性が出されると思われる.阿部総長の評議会での,独法化やむなし,7大学は一致した行動を,等の発言から,7大学+αが独法化に踏み切る可能性が高い.そうなると,地方大学においても“乗り遅れるな”の雰囲気が高まることが危惧される.
まず,学内世論の形成が重要.さらに,世論マスコミの多くが,国立大学に対して決して同情的ではないことは事実であり,これを変えていく運動を作らなければ勝てない(国鉄民営化と同様の手口が使われている).市民を巻き込んだ運動にするための切り口を見つける必要がある.以下,例として.
独法化問題は大学改革とセットで語られることが多いが,経緯に見るように,学問や教育のことはまったく考慮せずに進められて来た.数合わせに都合がよく,政治的に弱いところを放り出そうとしているに過ぎない.発想の元となっている「行政改革」の方向を変えさせることが必要.
「市民のための行政改革」の訴えと,現在進められている「行革」の正体についての徹底的な宣伝活動.福祉,教育部門の切り捨てと企業の国際的競争力維持のための規制緩和という政策が,貧富の差を拡大し,様々な社会的病理を生むことは,すでに欧米で実証済み(こうした政策への反省から英米独仏伊では政権交代が起こっている).日本型行革では,これにさらに利権汚職構造の温存(公共事業)が加わる.
また,日本の大学に対するマイナスイメージ(世界的競争力が不足している,学生に勉強させていない,ろくに研究もしない教官がいる,などなど)は,そのほとんどが充分な予算がないことに起因すること,その定量的解明と市民への訴え.
一国の学問・教育を維持発展させていくことに対する政府の責任は大きい.高等教育は公的財政によって支えられるべきであり,安易な市場主義の導入はあってはならない,というのは“グローバル・スタンダード”.政府予算の削減と民間資金の導入を進めた英国,ニュージーランドなどでは深刻な問題が生じている.安易な競争主義の導入は,学内での権力闘争を助長するだけ.
民間資金が多く導入され,一流大学を支えているとされる合衆国では,そもそも企業がその利益を地域社会や基礎研究に還元することへの強い義務意識が社会に共有されていることを忘れてはならない.バブル崩壊後,真っ先に基礎研究部門やメセナを閉鎖した日本企業は,この点でまったく頼りにならないことを自ら証明した.
ヨーロッパとオーストラリアでは大学のほとんどは国立であり,授業料はほとんど無料に近い.合衆国でも,私立の授業料は高いが,州立大学の授業料は私立の平均の27%程度と安い(州内の学生の場合).また,授業料免除の制度があり,奨学金を得られれば(多くの場合返還義務はない)それだけで生活していける.こうした制度が,裾野が広く頂きの高い高等教育を支えているといえる.
たとえば東京大学が民営化した場合,授業料は500万円に及ぶと試算されている.その他の多くの国立大学でも,現在の私立大学よりはるかに多額の授業料を設定しなければ立ち行かないと考えられる.
また,全国に国立大学があることの意義も大きい.一つは地方の風土文化と結び付いて個性ある大学を(また個性ある街を)作っていること,一方で望む地域で望む教育が受けられる可能性を大きくしてしていること.独法化の結果,整理統合が進むと生き残れるのは60程度との観測もある.
「個人の責任と平等な競争による活力ある社会」を謳う諸改革において,教育の機会均等こそが最大の基盤ではないのか?新自由主義的観点からすら破綻している?